宮司愛海連載:『Manami Memo』第27回フジテレビの人気スポーツ・ニュース番組『S-PARK』とweb Sportivaのコラボ企画として始まった『Manami Memo』。第27回は、スノーボード・パラレル大回転の竹内智香選手にイ…

宮司愛海連載:『Manami Memo』第27回

フジテレビの人気スポーツ・ニュース番組『S-PARK』とweb Sportivaのコラボ企画として始まった『Manami Memo』。第27回は、スノーボード・パラレル大回転の竹内智香選手にインタビューをした時のお話。取材を通して、宮司アナが感じたこととは?

 今回は、私がずっとお話を伺ってみたいと思っていた方です。

 スノーボード パラレル大回転・竹内智香選手。2014年ソチオリンピックでの銀メダル獲得をはじめ、これまで5回冬季五輪に出場している、まさに"挑戦し続ける人"です。竹内選手は、来年の北京オリンピックの派遣推薦基準もすでにクリアしており、冬季では日本女子最多となる6回目のオリンピックを確実にしています。

 2018年の平昌オリンピックでは、現地にいながら残念なことに取材する機会がありませんでしたが、竹内選手の競技に対する原動力と、競技以外でもさまざまなプロジェクトを立ち上げる行動力や求心力。そして、女性としてのキャリアの考え方など、聞いてみたいことがたくさんある方だと以前から思っていました。

 8月、東京オリンピックが終わったばかりのとある夏の日に、シーズンイン前の竹内選手に、練習拠点で竹内選手の故郷でもある、北海道・旭川でお話を伺うことができました。

 実際にお会いした印象は、とにかくフレンドリーでパワフルな方! お会いして早々、初対面の私に「終わったらうちで温泉に入って帰りなよ~!」と気さくに声をかけてくださったかと思うと(竹内選手のご実家は、旭川・東川町にある「湧駒荘」というホテルです)、話題はコロコロと変わり、いつの間にか竹内選手が今まさに取り組んでいるという肌質改善の話に(笑)。いつもは「選手に心を少しでも開いてもらうために、雑談のネタをたくさん用意していかなくては......」なんて思っている私ですが、竹内選手の前には全く通用しない、いえ、むしろ私の心のほうがいつの間にか全開になってしまっていたのでした。


旭岳の麓でインタビュー

 写真:フジテレビ提供

【引退と現役続行 悩んで選んだ「迷い続ける」こと】



 そんな、明るくて誰とでもすぐに打ち解けてしまう竹内選手。インタビューでは6回目のオリンピックへの決意をまっすぐな言葉で語ってくださいました。

 ここに至るまでの道のりは、決して簡単なものではなかったのです。

「34歳で平昌オリンピックを迎えたので、年齢的にも、5回目のオリンピックというのも、自分のなかで(平昌が)最後になるって思っていて。北京オリンピックって本当に、非現実的というか、『ない』ものだと思っていたので」

 これが最後──そんな思いで迎えた平昌オリンピックの結果は5位入賞。ソチ後には左ひざの前十字靭帯断裂という大ケガもあり、なかなか思うような結果が出ず「仕事というか、義務感でやっているような感じで、楽しさはなかった」という4年間、平昌を終え脳内に浮かんだのは「引退」の二文字。しかし......。

「もう私のなかでは引退のほうに傾いて、その気持ちが強かったんですけど、応援してくださる方が『次の北京オリンピックも!』って言ってくれるなかで、正直、引退って言える雰囲気ではなくて」

「今までは競技を続けたくても続けられない時がありましたし、今は続けられる環境があって目指せるチャンスがもう一回ある。それを安易に引退って決めるのは後悔するんじゃないかな、と。迷わせてもらえる時間があるのであれば、迷えるだけ迷ってみようかな、って思いました」

 応援してくれる人たちの想い、そして改めて向き合った自分の人生のターニングポイント。竹内選手が選んだのは引退でも現役続行でもなく、「迷い続けること」だったのです。

 平昌オリンピック後、地元の旭川に帰り、オリンピアンとしての経験を地域の方々に還元するため運動教室を開いたり、「&tomoka」という次世代選手育成プログラムを立ち上げたり、それまでやったことのなかったヨガやスキューバダイビングなどに挑戦したり......。スノーボードから離れた日々を送るなか、頭をよぎる「楽しくて、このままフェードアウトして引退でもいいのかな......」という思い。

 しかし、そうして"積極的に"迷いながら2年半を過ごし、グルッと1周して戻ってきた雪の上で竹内選手が感じたことは──「雪上が仕事って、雪上って、すごくよい職場なんだな」。

 スノーボーダー・竹内智香の第2の人生が始まりました。

【迷い続け、たどり着いたある答え】

 10歳でスノーボードを始め、14歳の頃、長野オリンピックを見て「スノーボードでオリンピックに出る」と決心。2002年、高校時代にソルトレークシティでその憧れの舞台に初めて立ってからずっと、竹内選手とともにあったオリンピック。

 紆余曲折を経てたどり着いたこの場所で、37歳の竹内選手が感じたこれまでとの違いは、「毎日本当に楽しんでスノーボードをやれている」こと。

「こんな気持ちはもうここ10年、20年持っていなかった気持ちなので、その楽しさと勝ちたいっていう気持ち、この2つの感情をうまくコントロールしてスタートに立てたら、面白いオリンピックになるんじゃないかなと思っています」

 自分に正直に、一度きりの自分の人生、最高にしたいですしね、そう言って笑う竹内選手の笑顔はとびきり輝いて見えました。

 ちなみに......竹内選手のお言葉に甘えて、取材後に「湧駒荘」さんの温泉につからせていただきました! 冷えた体に染み渡る、よいお湯でした。竹内選手、ありがとうございました!


大雪山の麓にあるご実家のホテル「湯元 湧駒荘」

 写真:フジテレビ提供

PROFILE
宮司愛海(みやじ・まなみ)
91年7月29日生まれ。2015年フジテレビ入社。
福岡県出身。血液型:0型。
スポーツ・ニュース番組『S-PARK』のメーンキャスター。
スタジオ内での番組進行だけでなく、
現場に出てさまざまな競技にふれ、
多くのアスリートに話を聞くなど取材者としても積極的に活動。