新潟県西部に浮かぶ人口約5万人の佐渡島。高校までこの島で過ごし、現在は桐蔭横浜大学の4年生としてプロ入りを目指しているのが、身長188センチの大型右腕・菊地大稀だ。 佐渡高校3年だった4年前も「佐渡島出身者初のドラフト指名か」と注目された…

 新潟県西部に浮かぶ人口約5万人の佐渡島。高校までこの島で過ごし、現在は桐蔭横浜大学の4年生としてプロ入りを目指しているのが、身長188センチの大型右腕・菊地大稀だ。

 佐渡高校3年だった4年前も「佐渡島出身者初のドラフト指名か」と注目されたが、指名漏れ。それでもブレずに思いを貫き、再びドラフト候補として指名を待っている。



佐渡島出身初のドラフト指名を目指す桐蔭横浜大の菊地大稀

 菊地は、140キロ台後半のストレートとタテに割れるスライダーで三振の山を築く。9月25日の神奈川大戦で14奪三振完封。さらに10月2日の松蔭大戦でも8回を14奪三振無失点。スカウトが見守るなか、文句なしの快投を見せた。

 齊藤博久監督は菊地について「バランスがよくなりましたよね。自信を持って投げています」と目を細める。菊地も「目指してきたストレートの質が向上し、それが試合でも出せています」と自信を深めている。

 ストレートのキレと制球が格段によくなったことで、持ち味であるタテに割れるスライダーなど、変化球も生きるようになった。

 視察にきたスカウトからも「フォームがしっかりし、リリースも強くなり、制球も安定してきた」「タテのスライダーに加えて、脱力したフォームから力強いストレートを投げられるので空振りが取れる」と、次々に高評価の声が聞かれた。

 そんな高いポテンシャルを持ちながらも、これまではその実力を見せつけることができなかった。佐渡高校時代も指名の期待がかかったが、最後の夏を前に右太もも裏のハムストリングを肉離れし、新潟大会は初戦敗退。9球団から調査書は届いていたが、支配下ドラフトで呼ばれることはなかった。

「とても悔しい思いをしました。自分にはまだまだ力がないんだと切り替えました」

 高校卒業後、菊地は投手育成に定評のある桐蔭横浜大への進学を決めた。だが4年春までのリーグ戦通算成績は、無敗ではあるが4勝にとどまるなど、本来の力を発揮できずにいた。

 1年秋は右ヒジのクリーニング手術。リハビリ期間もあり、3年春はコロナ禍の影響によりリーグ戦中止。3年秋から登板するようになったが制球が不安定だった。

 横浜商科大戦では完投勝利を挙げ、最速148キロを記録したが、四球も多く、かなりの球数を要した。また、初めてリーグ戦を通して投げるなかで、体力不足を露呈するなど、2勝に終わった。

 そのため冬場は体力強化に努め、年明けも緊急事態宣言でチームの始動は遅れたが、菊地は早々に帰省から戻り、体をいじめ抜いた。

 しかし、春季リーグ戦開幕前の3月に右足首の靭帯を痛めた。結局、リーグ戦では2試合に登板しただけで1勝に終わり、全日本大学野球選手権では先発を任されたが、6回途中5安打2失点で初戦敗退となった。

 ドラフト指名にも黄信号が灯ったが、そこから菊地の意識が変わった。

 投手数人が齊藤監督の紹介でパーソナルトレーナーのもとを訪れたのだが、菊地はその後も自費で継続的に指導してもらうことになり、体の使い方が格段によくなったという。

「後ろに力をためること」を意識したフォームは、足を上げてから一度止まるような二段モーションのような動きが功を奏し、制球力の安定につながった。

 すると、そこから見違えるようなピッチングを続け、スカウトの評価も急上昇。

「どうしてもプロ野球選手になりたい」という気持ちの裏には、故郷への思いがある。菊地は言う。

「佐渡島からでもプロ野球選手になれるんだ、ということを証明したいんです。人口が減っているなかで、少年野球チームの数も少なくなっている。僕がプロで活躍することで、野球をする子どもが増えてくれたらと思っています」

 その夢を叶えるためには、ドラフトで指名されなければならないが、高校時は「育成指名なら大学進学」としていたが、今回は育成でもOKとしているため、その可能性は一気に高まった。運命の時は刻一刻と迫っている。