イングランドのプレミアリーグにはこれまでも何人もの日本人選手が挑戦してきたが、壁は厚かった。これまでイングランドで成功…
イングランドのプレミアリーグにはこれまでも何人もの日本人選手が挑戦してきたが、壁は厚かった。これまでイングランドで成功した日本人といえば、前線での豊富な運動量でレスター・シティーの奇跡の優勝(2015/16年)に貢献した岡崎慎司。そして、サウサンプトンでセンターバックとしての地位を確立した吉田麻也の2人しかいなかった。
マンチェスター・ユナイテッド入りした香川真司も活躍できなかったし、リヴァプール入りを果たした南野拓実も(現在まで)出場機会を得られないでいる。そんな中で、冨安はアーセナルで早くも確固たる地歩を築いてしまったようだ。
イングランドのプレミアリーグというのは、フィジカル・コンタクトの強さやスピードが特徴であり、非常にインテンシティ―が高い。どこの国の選手でもプレミア入りすると順応するのにある程度の時間が必要とされる。そんな中で、冨安は合流直後から何の遜色もないプレーを見せているのだ。
日本人DFがプレミアリーグという戦場でこれだけ活躍できるというのも、ある意味で驚くべきことだ。「日本人選手はフィジカル的に劣る」という常識もこれからは見直すべきなのかもしれない。
■名古屋をタイトルへ導いたベンゲル
日本人選手が初めて活躍したイングランドのビッグクラブがアーセナルというクラブだったことにも、何か因縁めいたものを感じる。アーセナルはイングランドのクラブの中でも日本人にとって最も有名で身近なクラブだったからだ。
Jリーグ発足以降にサッカー・ファンになられた方にとって、アーセナルといえば名古屋グランパスを強豪クラブに育てた名将アーセン・ベンゲルが監督となったクラブということになるだろう。
1994年までフランスの名門ASモナコの監督を務めていたベンゲルは1995年にそれまでは弱小クラブだった名古屋の監督に就任。1995年にはJリーグのセカンドステージ(ニコスシリーズ)で2位に入り、また天皇杯全日本選手権で優勝を飾る。そして、1996年の夏にはイングランドの名門アーセナルの監督となって名古屋を離れたのだ。
名古屋での監督在任はわずか1年半という短いものだったが、日本人のファンに強烈な印象を残し、その後、何度も日本代表監督の候補として取り沙汰されたが、ベンゲルが名門アーセナルの監督という地位を捨てて日本に戻ってくることは考えづらいことだった。事実、ベンゲルはアーセナルに21シーズン在籍し、プレミアリーグにおける最長在任記録を樹立したのである。
■メキシコ五輪前に来日したアーセナル
もう少し年齢の高い(つまり、僕と同年代の)オールド・ファンにとっては、1968年に来日したアーセナルが忘れられない思い出だろう。
第2次世界大戦後、航空機による移動が普及していくと本場ヨーロッパから来日するサッカー・チームも増えてきていたが、多くはスウェーデンやスイス、西ドイツ、ソ連といった国々のチームだった。各国のトップリーグとはいえ、まだ正式にプロ化される前のセミプロまたは“事実上のプロ”だった。
日本で初めて「プロチームの来日」と騒がれたのは1966年6月のスターリング・アルビオンであり、当時アマチュアリズムが根強かった日本ではわざわざ日本体育協会(現、日本スポーツ協会)の許可を取って対戦したという試合だった。
しかし、スターリング・アルビオンはスコットランドの1部と2部を行ったり来たりしている無名のクラブだった。
■20世紀で2クラブ目のダブル・チャンピオン
しかし、1967年にはブラジル・サンパウロの強豪パルメイラスが来日。そして、メキシコ・オリンピックを前にイングランドからアーセナルが来日して3試合を行ったのだ。
アーセナルが3戦全勝と実力を発揮したのだが、東京・国立競技場での1戦目では渡辺正の右からのクロスに対して、ニアサイドに飛び込んだ釜本邦茂がヘディングで合わせて日本代表が先制。同じ国立競技場での最終戦にはさらに多くのファンが集まり、入場ゲートを壊して入場する人までいたという騒ぎになった。
僕ももちろん東京での2試合を観戦に行ったし、東京の世田谷区のグラウンドで行われたアーセナルの練習も見学に行った思い出がある。
この時のアーセナルはその後強化を続け、1970/71年のシーズンに当時のイングランドのトップリーグ、フットボールリーグ(FL)1部で優勝。さらに同シーズンにはFAカップにも優勝して、「20世紀で2クラブ目のダブル・チャンピオン」という偉業を達成することになる。
そして、これはまったくのプライベートな思い出だが、1972年10月に僕は初めての海外旅行をして、ロンドンのアーセナル・スタジアム(今のエミレーツ・スタジアムではなく、昔のハイバリー)でマンチェスター・シティーとの試合を観戦した。これが、僕にとって初めての海外でのサッカー観戦だった。
こうして、アーセナルは様々な世代の日本人にとって記憶に残るクラブとなった。いや、もっと古くからアーセナルは日本でも有名だった。