元世界ランキング8位のレジェンド、マーク・フィリポーシス(オーストラリア)が母国のテレビ番組で、お金をめぐる過去の苦労を…
元世界ランキング8位のレジェンド、マーク・フィリポーシス(オーストラリア)が母国のテレビ番組で、お金をめぐる過去の苦労を明かした。豪スポーツメディア Fox Sportsが報じている。【関連記事】テニス界で最も稼いでいるのは?大坂、錦織もランクイン!
度重なる怪我により離脱と復帰を繰り返したフィリポーシスは、現在44歳。現役時代に通算11個のツアータイトルを獲得し、1999年と2003年の「デビスカップ」でオーストラリアの優勝に貢献した。一方、グランドスラムタイトルにはあと一歩で届かず。1998年の「全米オープン」と2003年の「ウィンブルドン」で決勝に進むも、前者では同国の先輩パトリック・ラフター(オーストラリア)に、後者ではロジャー・フェデラー(スイス)に敗れている。
そんなフィリポーシスは現在、オーストラリアのサバイバル番組『SAS Australia(原題)』に出演している。その中で自分が最も恥じていることを正直に話すよう求められ、怪我でテニスができなくなり、全盛期のような収入を得られなくなったことで家族を失望させてしまった過去を赤裸々に語った。
「家族は僕にとって最も優先すべきことで、僕のすべてだ。プロのテニス選手になりたいという僕の夢を叶えるために、家族はすべてを捧げてくれた。父は銀行で良い仕事に恵まれていたけど、僕の夢を全力で支えるために仕事を辞めた。つまり、僕のために自分の夢を手放したんだ。僕は必死に頑張って、幸運にも夢を叶えることができた」
「その結果、何より良かったのは、僕が面倒を見ることで家族が再び働かなくて済むようになったことだ。父も母も働かずに済んだ。でも、怪我ですべてが中断されてしまうような厳しい状況に陥ったこともある」
「アスリートとして一番考えたくないことは…“万一のために備えておけ”と言われるように、怪我だ。でも、怪我をするかもしれないと考えたり、それに備えて何かを準備しておくことは弱さを示していると僕は思っていた。たとえ怪我をしても続けなきゃならない、いつかは大丈夫になるから、と考えていたんだ」
だが、どんな希望的観測もフィリポーシスを守り続けることはできなかった。2009年に6度目の膝の手術を受けた後、彼はどん底に落ちてしまう。怪我による肉体的な痛みよりも、金銭問題で家族が苦しむ姿を見ることによる精神的なダメージが大きかったとフィリポーシスは回想する。
「数ヶ月プレーできなかった。食べ物を買ってきてほしいと友達に頼まなければならないくらいお金の余裕がなかったよ。7日間続けでキャベツのパスタを食べていた時もあって、今では僕の好物の一つになったけど、母はキャベツとパスタにスパイスを加えただけのこのメニューを『貧乏人の食べ物』と呼んでいた。自分たちの夢を犠牲にしてまで支えてくれた両親の面倒を見るのは僕の責任だ。それができなくて、とても惨めな思いをしたよ。暗い気持ちが続いて、うつ病にもなった。自分のせいで大切な人たちが苦しむのを見るのは、これ以上ないほどつらいものだ」
同番組でフィリポーシスは、退屈しのぎに信じられないほどの大金を使い込んでいた時期についても語っている。全盛期にはスポンサー契約や大会の賞金で使い切れないほどのお金を手にしていた彼は、一時は何台もの派手なスポーツカーや約15台のバイクを所有。タクシーで帰るのが嫌だからというだけの理由で、新車のスポーツカーを10万オーストラリアドル(約800万円)で購入して翌日には売ったこともあったという。
だが、2009年にはそのような贅沢とは程遠い暮らしを送ることになる。この年、フィリポーシスは130万オーストラリアドル(約1億円)した家を抵当に入れて借りたお金の返済が滞ってしまい、訴訟を起こされた。本人は当時、「僕は2006年からテニスをしていない。テニスはプレーしていないとお金がもらえないスポーツの一つなんだ」と母国のHerald Sun紙に話している。「数年間は収入がない中で生活費を払わなければならなくて大変だったけど、それは誰もがやらなければならないこと」
現役時代は豪快なサーブと恋多き私生活で注目を集めたフィリポーシスだが、2013年に結婚、現在は二児の父となっている。若い頃の失敗から学んで、安定した暮らしを送ってほしいものだ。
※為替レートは2021年9月29日時点
(テニスデイリー編集部)
※写真は2010年、エルトン・ジョン主催のチャリティーイベントに出場した時のフィリポーシス
(Photo by Riccardo S. Savi/FilmMagic)