大人が次世代に伝えるべきこと、陸上・朝原宣治「彼らは想像できない世界を生きる」 2008年北京五輪男子400メートルリレー銀メダリストの朝原宣治氏が「THE ANSWER」のインタビューに応じ、東京五輪・パラリンピックの価値を子どもたちにど…

大人が次世代に伝えるべきこと、陸上・朝原宣治「彼らは想像できない世界を生きる」

 2008年北京五輪男子400メートルリレー銀メダリストの朝原宣治氏が「THE ANSWER」のインタビューに応じ、東京五輪・パラリンピックの価値を子どもたちにどう伝えていくべきかについて語った。開催に賛否のあった中で迎えた今大会。大人たちは次世代に何を伝えていく必要があるのか。主宰するスポーツクラブで子どもたちと触れ合う機会もある朝原氏に、今の子どもたちの五輪に対する“温度感”とオリンピアンとしてできることを聞いた。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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 コロナ禍の開催に様々な意見が飛んだ中、五輪・パラリンピックは行われた。世界的祭典を母国で開催したことにどんな意味があったのか。「開催してよかった」というわけではない。開催前から賛否があったとしても、開催されたからには少なからず価値を見出す必要がある。

 朝原氏は、1996年アトランタ五輪から4大会連続で五輪に出場した陸上短距離の第一人者。100メートルでは日本人として初めて10秒1台、10秒0台をマークし、日本記録を3度更新した。36歳で引退後、指導者として2010年4月からスポーツクラブ「NOBY T&F CLUB」を主宰。運動を楽しむことを目的とした小学1年生から85歳までの老若男女、上を目指す全国トップレベルの中高生など幅広く在籍している。

 子どもと直接触れ合ったり、現場を任せたコーチを通じて子どもの様子を知ったりする。まだ五輪真っ只中にいた7月29日。朝原氏に「受け入れられない人もいる中で迎えた今大会の素晴らしさを、子どもたちにどう伝えていくか」について聞いた。「めちゃくちゃ難しいですね」と苦笑いしながら、自分なりの考えを明かしてくれた。

「できることをやるしかない、ということじゃないでしょうか。大会に向けた選手の調整面もそうですし、大会の開催もそうです。去年はインターハイもなかったのが、今年はできるようになりました。できることを考えて、少しずつ前進しているのがすごくいいことだと思います。

 今回の五輪・パラリンピックは強引かもわからないですが、開催した。競技はできていて、選手たちもすごく活躍している。おそらくこれからの子どもたちは、僕らが想像もできないような世界を生きていかないといけないですよね。何が起こるかわからない世の中です。何か起きた時、『自分が何に力を注いで、どんなことができるのか』と前向きに捉える。前向きに考えて行動することは、子どもたちに伝えられることかなと思います」

 今回は未曽有のウイルスだった。これが自然災害、個人的な事故や病気になるかもしれない。困難に直面した時、どうアプローチしていくのか。長い人生において「前向きに考えて行動する」という姿は何においても応用できる。大人が子どもたちに見せられるものの一つだ。

「スポーツ界だけではなく、今は各企業も大変な状況。この五輪・パラリンピックをマイナスに考えようと思ったら、いくらでも考えられます。でも、これによって得た知恵や方向性はあると思います。そこを少し強めに言わないと、本当にこの大会を開催した意味合いがなくなってしまう」

今の子どもは五輪に興味があるのか「みんなスマホを見ています」

 今の子どもたちは五輪・パラリンピックのことをどう思っているのか。前回の16年リオ五輪以前と、受け入れられないまま迎えた特別感のある東京五輪。夢舞台への目線は変わったのか。

 大人たちの批判的な意見について「みんないろいろなことを知っていると思いますけど、大人ほど自分事として考えてないんじゃないですかね」と朝原氏。クラブの子どもたちの温度感を踏まえた上で、朝原家の熱量について教えてくれた。

「僕らの世代みたいにみんなが見ているという感じではないと思います。別にオリンピックを見なくても、スマホでいろいろなコンテンツがあるので。テレビでやっていますが、テレビを見ないじゃないですか。うちの夫婦はテレビでずっとオリンピックをつけていますけど、子どもたちはみんなスマホを見ています」

 朝原氏は高校3年の長女、中学3年の長男、小学4年の次女を持つ。妻は1992年バルセロナ五輪シンクロナイズドスイミング・銅メダリストの奥野史子氏。スポーツの世界で生きてきた夫婦は熱中しているが、子どもたちはそれほどでもない。しかし、自分が何かしら触れたことのある競技に関しては別だという。

「『ハイキュー!!(バレーボール漫画)』とかが流行っているじゃないですか。だから、長女はバレーボールにはすごい興味があって、その時だけはオリンピックを見ています。息子はスケボーをやっているのでスケボーは見る。興味が分散しているけど、注目しているものはある。子どもたちは自分が関わると、わかりやすく興味を持ちますね」

 時代とともにコンテンツの隆盛は変化していく。一昔前のように「五輪だから」といって、国民全体の注目が集中する時代ではないのかもしれない。若者人気を意識した国際オリンピック委員会(IOC)は、東京五輪でスケートボード、サーフィンを新種目に承認。24年パリ五輪ではブレイクダンスを新たに採用したように、現状打破へ動き続けている。

 朝原氏は「データとかはないので肌感覚ですが、若者の五輪への意識は少しずつ変わってきているのかなと思います。今回、有観客でもっと盛り上がっていたら、もう少し違っていたのかな」と想像する。スポーツ界の人間として危機感があることは否めない。だからこそ、オリンピアンとして「五輪」と「子ども」を繋ぐ必要がある。

「五輪は知っていて、オリンピアンがすごいということも知ってくれているけど、自分のこととしてなかなか捉えられないことが多い。例えば、僕がやっているクラブはオリンピアンが主宰して、(指導者には)僕を入れてオリンピアンが3人いる。そういう意味では、子どもたちも指導を受けていることを誇りに思ってくれたり、五輪に興味を持ってくれたりする。そういう機会を増やしていかないといけないと思います」

日本スポーツ界の未来に危機感「スポーツに落ちるお金、注目が減るのはすごく怖い」

 取材した7月29日時点で、朝原氏が東京五輪で「価値がある」と感じたシーンはいくつもある。水谷隼、伊藤美誠の卓球混合ダブルス金メダル、北京五輪以来の実施で連覇したソフトボール、メダルを量産した柔道。子どもたちに見てほしい選手の姿があった。

「卓球の2人のコンビネーションや信頼関係。ソフトボールにはチームワーク、忍耐、諦めない力を感じました。上野由岐子投手が一度モチベーションを失って、ここまで来た姿とか。柔道の相手を称える『道(どう)』という感じも素晴らしい」

 4回出場した五輪。引退後に初めて携わったのが12年ロンドン五輪の解説だった。驚いたのは世界中から報道陣が集まるメディアセンターの規模。引退して気づいたことがあったという。

「僕たち選手が主役だと思っていたけど、メディアセンターの方がデカい(笑)。やはり僕たちは、誰も知らないひっそりとした山奥で競技をやっていても誰も感動しない。それを伝える人がいてビジネスになり、初めて価値を生んでいる。そこは選手時代には実感できなかった」

 選手の姿を見る、感動する人がいて付加価値が生まれる。綺麗事だけではなく、「お金」がないと大会自体が成り立たず、選手も生きていけない。今もなおスポーツに携わる者として、この関心を継続させていくことを大切にしている。

「今回の東京五輪に向けて、いろいろな人が“旨味”を手に入れようと協力してやっていたかもしれません。その旨味がなくなってしまい、これからスポーツに落ちるお金、注目が減るのはすごく怖い。東京五輪までは選手たちもイケイケドンドンでスポンサーがつくこともあったのですが、このあと厳しい時代が来るのかなと。

 選手たちも頑張らないといけないですし、僕たちもスポーツの力を存分にみなさんに知っていただかないといけない。オリンピックに関わってきた人間としては、やはり素晴らしさ、その価値は伝えていきたいと思っています」

 様々なリスクを伴って開催された世界最大の祭典。過去は変えられない。大人たちは最大限の意味を持たせ、未来をつくることが求められる。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)