サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、「エリア前の…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、「エリア前の変な物」。サッカージャーナリスト大住良之が、歴史と算数に挑む。

 さて、PKは1891年に生まれたが、フリーキック(FK)の一種であるので、当然のことながら相手チームの選手はボールから9.15メートル離れていなければならない。そしてPKを守るのはGKただひとりということになっているから、他の選手はボールより後ろにいなければならない。ところがどこにいたらいいのか、ときどき醜い争いになった。

 1902年にペナルティーエリアができて、キッカーと守備チームのGK以外はすべてペナルティーエリア外にいなければならなくなり、この問題に決着がついたかに思われた。しかしこんどは、ペナルティーエリアのライン上での「位置取り合戦」が勃発する。

 1923年はじめには、この醜い争いをなくすために、ある提案が出された。ペナルティーエリアの2本の縦のライン(長さ16.5メートル)をそれぞれ3分割し、横のライン(約40メートル)を11分割して、GKを除く守備側の10人と、GK、2人のフルバック、そしてセンターハーフの計4人を除く攻撃側の7人を、それぞれのポジションに割り振って立たせるというのだった。キックするのは、攻撃側の7人のうちのひとり、センターフォワードであるという。それぞれが3~4メートル幅の位置に立つので、余計な争いはなくなるというものだった。

 だがこの提案は実施されず、代わりに、この1923年6月のルール改正において、守備側GKとキッカーを除く全選手はペナルティーエリア外で、なおかつペナルティースポット(つまりボールが置かれた位置)から9.15メートル以上離れた場所にいなければならないことになった。

■評決が下った1937年

 だがそれで混乱が収まったわけでもなかった。ペナルティースポットからペナルティーエリアのラインまではわずか5.5メートルである。「9.15メートル」を守らず、少しでもボールに近づこうという選手が後を絶たなかったのである。いまでは世界の常識となった「バニシングスプレイ」の登場(Jリーグでは2015年のこと)により、FKのときに主審がピッチに吹き掛けてボールの位置と9.15メートルのラインを明確にするまでは、壁の位置をめぐって醜い争いがあったことを考えれば、容易に想像がつく。

 またまたちなみに。今年創立百周年を迎えた日本サッカー協会が誕生したのが1921年。この論争のころのことである。誕生したばかりの日本サッカーには、まだ「かまぼこ」はなかったことになる。

「ペナルティースポットを中心に、9.15メートルの弧の形のラインをペナルティーエリア外に引いたらいい」という案が出たのは、欧州大陸の国からだった。残念ながら、どこの国の誰が考案したのか、私は調べ切ることはできなかったが、想像するところ、このころ欧州大陸のサッカーのリーダー的存在だったオーストリアあるいはチェコスロバキアといった国ではなかったか。ちなみに、欧州サッカー連盟(UEFA)が誕生するのは1954年のことだから、当然のことながら、この欧州サッカーの統合組織が提案したわけではない。

 1937年、サッカーのルールを決める国際サッカー評議会(IFAB)で正式認可され、すべてのサッカーピッチに「ペナルティーアーク」が追加されることとなった。「ひとみ」が描き入れられ、サッカーピッチという竜が美しく天に舞い昇った瞬間だった。

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