【佐々木祥恵(競馬ライター)=コラム『第二のストーリー』】◆「バッスルは『ホトケ様』のような存在」 乗馬として軌道に乗…

【佐々木祥恵(競馬ライター)=コラム『第二のストーリー』】

◆「バッスルは『ホトケ様』のような存在」

 乗馬として軌道に乗りかけた矢先に大怪我を負ったゴールドショットを心身ともに支えたヤマニンバッスル。競走成績はJRA、地方通算29戦4勝で、JRA時代は準オープン(現在でいえば3勝クラス)まで出世している。2013年6月に競走馬生活にピリオドを打ったバッスルを早川さんが引き取った2か月後の8月30日に、父トウカイテイオーが急死。悲しみのどん底にいた早川さんは、テイオーの面影が残るバッスルの顔を見ているだけで心が癒され、彼の存在が大きな支えになっていた。

 テイオーのためにも悲しみに暮れるテイオーファンのためにもと早川さんは奮起し、テイオー産駒が競走馬を引退後の乗馬転向を支援する「トウカイテイオー産駒の会」を同年10月に設立。バッスルがそのサポート馬第1号となった。

 乗馬の才能が高かったバッスルの最初の施設でのリトレーニングは順調に進んだ。見栄えの良さも手伝って「是非うちに」と馬術部からのオファーが来たこともあった。

「バッスルはテイオーの忘れ形見として大切な存在でしたし、将来を考え乗馬施設の設備・規模などより良い環境を求めて、現在お世話になっている赤城乗馬クラブに移籍しました」

 移籍後のバッスルは、すぐにレッスン、外乗、競技会で指名が集中するほどの人気馬となった。特に競技会では、障害と馬場馬術ともにこなす優秀さを発揮した。この活躍が、同じトウカイテイオー産駒のゴールドショットの受入れをスムーズにしたのは、前回記した通りだ。ゴールドショットが怪我で休養していた時も、バッスルが活躍することでゴールドショットを支えていた。

「怪我で療養中のゴールドショットが放牧地でバッスルのそばに行って助けを求めた時、バッスルの後ろには父テイオーがいたのではないかと思っています」

 バッスルは地域の祭りでも、存在感を示した。

「2019年の前橋市総社町で行われた『総社秋元公歴史まつり』の武者行列で、初参加ながら堂々とお役目を果たしてくれました」

 優等生過ぎてストレスが溜まらないかという心配をよそに、バッスルは次々と周囲の期待に応え続けた。

「馬装する際に少しだけキレ気味になるそうですが、それはご愛敬だと思っています(笑)」

 トウカイテイオーの産駒は気性の難しい馬が多いという話を、早川さんは耳にしたことがあるという。だがヤマニンバッスルをはじめ、会が関わった馬たちは皆、扱いやすく騎乗者の指示にも従順で、乗馬に向いている産駒たちだった。

「乗馬に向いているかの判断に、馬の気性面はとても重要な要素だと思いますね」

 ヤマニンバッスルからゴールドショット、リランと続いたテイオー産駒の乗馬転向へのバトンリレーは、バッスルが頑張ってくれたからこそ実現できたこと。

「バッスルは会にとって感謝の対象で、ありがたい『ホトケ様』のような存在です。これからもゴールドショットやリランと仲良く、健やかに暮らしてほしいと心から願っています」

◆トウカイフェスタが4頭目のテイオー産駒の乗馬に

 そのテイオー産駒のバトンリレーに新たな馬が加わった。トウカイフェスタだ。

 今年7歳にしてホッカイドウ競馬でデビューを果たし、話題となったキセキノテイオー登場前は、競走馬として走っていた最後のトウカイテイオー産駒であった。テイオーの子として10歳まで現役で頑張っていたトウカイフェスタを、会としても引退後もずっと見守り続けたいという気持ちがとても強かった。かねてからテイオーの後継種牡馬にと言う声も少なからずあり、注目が集まっていた馬でもあった。それもあってオーナーサイドの意向を会が尊重する形で、引退後は乗馬としてセカンドキャリアを歩ませることになった。フェスタが現役として走り続けている間に、リランが繁殖から乗馬へと転向を果たし、それから少したってフェスタの現役引退が決まった。

「フェスタは馬体重が500キロ台で馬格があって、品があり見栄えがするんです。馬場馬術をさせたら似合うだろうと感じましたし、馬の年齢や性格、外見などすべてにおいて、競走馬を引退しても乗馬としての素質があるはずだと、なぜかわからないのですがとても自信があったんですよね。だから乗馬に向いている馬がいますと、赤城乗馬クラブにアピールしました」

 フェスタがまだ走り続けている間に、繁殖から乗馬転向を果たしたリランが赤城乗馬クラブに移動して乗馬として順調だったというタイミングも良く、クラブ側からもOKが出た。

 こうしてフェスタは、赤城乗馬クラブ4頭目のトウカイテイオー産駒の乗馬となったのだった。