「オープン球話」連載第82回 第81回を読む>>【稲葉篤紀について、ノムさんと打撃談義】――前回は侍ジャパンの金メダルに…

「オープン球話」連載第82回 第81回を読む>>
【稲葉篤紀について、ノムさんと打撃談義】
――前回は侍ジャパンの金メダルについて伺いましたが、今回からは侍ジャパンを率いた稲葉篤紀さんについてお話を聞いていきたいと思います。稲葉さんは1995(平成7)年から2004年までヤクルトに在籍していました。八重樫さんが、稲葉さんと最初に対面したのはいつですか?
八重樫 稲葉と宮本(慎也)は同期入団なんだけど、彼らが入団してきた時は、僕は二軍のバッテリーコーチだったんです。稲葉も慎也もほぼ一軍生活だったので、この年はまったく接点はなかったですね。僕が1996年に一軍のバッテリーコーチになってからは、彼らと行動を共にするようになったんだけど......とはいっても、僕はバッテリーコーチなんで、ピッチャー、キャッチャーと接することが多かったんですよ。

ヤクルト時代の野村克也監督(左)と稲葉篤紀
――そうなると、本格的に稲葉さんと接するようになるのは、野村克也監督が退任して、若松勉監督が就任した1999年からということになりますか? この年から八重樫さんは一軍打撃コーチを務めることになりました。
八重樫 そうですね。稲葉にしても、慎也にしても、1999年から密に接するようになりました。そうそう、その前の二軍監督時代に、稲葉について当時のノムさんとじっくりと話し合ったことがあるんですよ。
――それは、どんなシチュエーションで、どんな内容だったんですか?
八重樫 1997年、僕が二軍監督だった時に、当時フェンスがなかった戸田球場ではなくて、きちんとフェンスがある球場で試合経験を積ませたかったんで、球団に頼んで立川の市民球場とか、神宮球場で二軍の試合をすることが多かったんです。それで、二軍が昼、一軍が夜に神宮球場で試合がある日があって。その試合前の打撃練習中に、稲葉について野村さんと話をしました。
――どんな内容だったんですか?
八重樫 当時、秦真司という左バッターがいましたよね。ノムさんが秦と稲葉の話題を切り出したんです。「おいハチ、どうして秦も稲葉も、インコースの速いボールを打てないんだ?」って聞かれたんですよ。
【野村克也を納得させた中西太理論】
――それで八重樫さんは何と答えたんですか?
八重樫 彼らに共通していたのは、バックスイングの際に上半身から始動してタイミングをとっていたことなんです。それによって、前の肩(右肩)がホームベースに重なってしまって、インコースの速いボールが一瞬だけ隠れてしまって差し込まれてしまう。だから、それを克服するためには、最初に下半身を絞ることでバックスイングをとるようにすればいい。そんなことを話した記憶がありますね。
――まさに、八重樫さんや若松勉さんがしばしば口にする太ももの内側、内転筋を絞ることで上半身に連動して力を伝えていく「中西太理論」ですね。それを聞いて、野村さんはどんな反応を見せたんですか?
八重樫 じーっと黙って2分ぐらい考えたまま、何も返事がないんです。その日はそれで終わりました。
――何か、とても気になりますね(笑)。
八重樫 次の日も神宮で二軍、一軍の試合があって、また野村さんが僕のところにやってきました。そして、「昨日の話だけどな......」と、野村さんなりのバッティング理論が始まったんです。それで、僕も身振り手振りで実演しながら、「下半身主導で上半身を絞っていけば、肩が入りすぎることはなくなります」と説明をしたら、野村さんはまたしばらく考えて、「おぉ、そうだな」って納得してくれたんです。
――三冠王を獲得した野村さんを納得させるのは大変なことですね(笑)。
八重樫 野村さんの場合は「こうじゃないですか」って言うと、「何を生意気なことを言っているんだ」って、絶対に怒るんです。南海時代から長年、野村さんに仕えていた松井(優典)さんが監督に意見したら、「誰が監督や。お前が監督になるんか?」って怒られているのをよく見ていましたから。だから、野村さんに何か意見をする時には「これこれだから、こうなるんじゃないですか?」と諭すように言うと、きちんと話を聞いてくれるんですよね。僕なりの学習成果が発揮された場面でした(笑)。
【マンツーマンで取り組んだ打撃改造】
――それで、実際に下半身主導のスイングについての指導を稲葉さんにしたんですか?
八重樫 いやいや、僕はこの時は二軍監督だったし、稲葉はずっと一軍にいたので、ほとんど接点はなかったんです。でも、一軍打撃コーチに就任した1999年の時点で、稲葉の悪い癖はそのまま残っていました。その時点から、ようやく指導を開始したんです。
――なるほど。満を持してのバッティング指導。具体的にはどんなことをしたんですか?
八重樫 稲葉とマンツーマンで取り組んだのは、ひたすらティーバッティングをすることでした。最初は普通のトスを上げていって、最終的には彼の右肩を目がけてボールをトスする。それまでのように、キャッチャー方向に肩を入れすぎるとバットを振ることはできず、自分にボールが当たってしまうんですよ。
――身をもって、正しいスイングを身につけさせようとしたんですね。
八重樫 稲葉には何度も「肩を入れすぎたらバットは振れないぞ。我慢して、我慢して、下半身をひねってごらん」と言いました。その次は、彼の顔を目がけてボールを上げて、「これを上手にさばいてごらん」と何球も何球も振らせていく。すると、右肩を入れすぎることなく、少しずつバットが内側からスムーズに出るようになっていったんですよ。
――すぐに成果は出たんですか?
八重樫 試合ですぐに結果が出たというわけじゃないけど、どんどんいいスイングができるようになっていったし、インコースの速いボールに振り負けることも減っていきました。「これで大丈夫だろう」という手応えはありましたね。
――稲葉さんは努力家で、真面目で、練習熱心だと聞いたことがあります。
八重樫 稲葉の場合はね、朝早くから練習を始めて、最後までやめないんですよ。若手の頃はもちろん、中堅選手になってからもその姿勢はずっと変わらなかった。僕も、若手の頃は死ぬ気で誰よりも練習をしたという自負があるんだけど、稲葉の場合は僕と比べ物にならないぐらい練習していました。
――どれぐらい練習するんですか?
八重樫 試合がない日はもちろん、朝から夜遅くまでだけど、試合がある日も午前11時には若手たちと一緒にグラウンドに出て、試合に出て、試合後も深夜までマシンを打ったりすることはよくありました。「おい、もういいから、ちょっとは休め」と言ったのは、後にも先にも稲葉だけでしたよ。
――ぜひ次回も、稲葉さんについての思い出話をお聞かせください。
八重樫 じゃあ、次回は一連の中田翔騒動を見ていて感じた稲葉のことをお話ししましょうか。次回も、どうぞよろしくね。
(第83回につづく)