Bリーガーが語る『SLAM DUNK』愛 第4回:五十嵐圭(群馬クレインサンダーズ) 今年1月に映画化が発表され、来年の…
Bリーガーが語る『SLAM DUNK』愛
第4回:五十嵐圭(群馬クレインサンダーズ)
今年1月に映画化が発表され、来年の秋に公開が決まった『SLAM DUNK』。1990年から96年まで週刊少年ジャンプで連載され、今もなお絶大な人気を誇るマンガだ。そんな作品について、バスケットボールと『SLAM DUNK』を愛する男たち、Bリーガーにあらためて語ってもらった。
第4回は、今シーズンBリーグ最年長プレーヤーとして、新天地・群馬クレインサンダーズに移籍した五十嵐圭選手(41歳)。

ドンピシャ世代の五十嵐圭が『SLAM DUNK』について熱く語った
――『SLAM DUNK』を最初に読んだのはいつですか?
「小学5年生でミニバスを始めた頃です。元々は陸上部だったんですが、僕の地元の新潟は積雪のため冬は陸上の大会がないので、冬の間人数の少ないバスケ部を手伝う形で競技を始めました。まだバスケにすごく魅力を感じたわけではなかった時期に、友達との"『SLAM DUNK』ってマンガが面白い"という何気ない会話から作品を読むようになり、まさに桜木(花道)と同じように素人の状態から、少しずつバスケを好きになっていった感じです」
――80年生まれの五十嵐選手は、まさに"SLAM DUNK世代"ですね。
「そうですね。学生時代にNBAやストリートバスケが人気で、空前のバスケブームが起こりました。もちろんNBAにも影響を受けたんですが、マイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソンはマネするにはすごすぎて、日本の高校を舞台にしている『SLAM DUNK』により影響を受けたと思います。とはいえダンクシュートは簡単にはできないので、跳び箱の踏切板を使って挑戦したりしました。僕自身、中学生の頃に最も『SLAM DUNK』にハマって、桜木に影響されジョーダンⅥを履いたりもしました」
――『SLAM DUNK』と自身の経験が重なるようなことはありましたか?
「有名なシーンですけど、三井(寿)が安西先生に"安西先生...!! バスケがしたいです..."と言うシーンが自分と重なったことはありますね。『SLAM DUNK』は我の強いキャラクターがたくさん登場するじゃないですか。自分もそうだったなって。高校生の時って一生懸命になるほど周囲が見えていなかったりして。
高校2年生のインターハイで、僕が独りよがりなプレーを続けてチームが負けてしまったんです。インターハイ後、僕は約1カ月間チーム練習に参加させてもらえませんでした。どうしてもバスケがしたかったので、毎日朝一で体育教官室に行って掃除をして、先生が来るのを待ち"練習に参加させてください"ってお願いし続けたんです。三井のセリフが痛いほどわかるというか。1カ月後、ようやく練習参加が許可されたんですが、あの期間がなく競技を続けていたら勘違いしたまま天狗になって成長が止まり、きっとどこかでバスケを辞めてしまっただろうなと思います」
――では『SLAM DUNK』で好きなシーンは?
「山王戦のラストプレー、流川(楓)が桜木にパスをするシーンはやっぱり好きですね。あの瞬間、桜木がパスを呼んでいるわけではない。でも、流川には桜木の位置がわかった。バスケ経験者の中には試合中、"あいつなら、ここにパスを出したらいてくれる"と感じ、実際にチームメイトがそこにいてくれた瞬間を経験している人もいると思います。言葉すらいらない信頼関係というか。
僕で言えば、大学の1年後輩でもある柏木(真介)がそういう存在でした。後輩でありながら、入学当時から有名だった柏木とはライバルでもあり、最初はオンコートで言い合いになることもありました。その後、彼とは日本代表や、新潟アルビレックスBBで再びチームメイトになっています。何も言わないでもお互いのことがわかる。見なくてもどこにいるのかわかる。そういう信頼関係を築ける相手がいるのは幸せなことですし、自分も誰かのそういう存在になれたらなと思います。柏木には今回の群馬への移籍に関しても相談もしていますし、後輩というよりは親友という感覚ですね」
――『SLAM DUNK』で好きな選手はいましたか?
「昔は勝気なPGの宮城リョータが好きでした。今は選手兼監督の藤真(健司)が好きというか、自分から藤真に寄せていっているところすらあります(笑)。学生時代は選手兼監督というのがイメージできませんでしたが、もはや僕よりも年下の監督やGMが増えているくらいですから、選手兼監督というのもありかなと。
あと自分が学生だった頃は、陵南の(相田)彦一はただの面白いヤツという印象だったんですが、トップリーグでプレーするようになってからはスカウティングコーチ、ビデオコーディネーターといった職業があるように情報収集やデータ分析はチームにとって大切な役割です。彦一なら将来優秀なスカウティングコーチになると思いますね」

群馬クレインサンダーズでの新たな挑戦に向けて抱負を語る、五十嵐圭
――五十嵐選手も「要チェックや」と対戦相手のデータをメモしたりすることはありますか?
「相手チームの情報は過去の対戦時のデータの蓄積もありますし、最新の情報はビデオコーディネーターなどに委ねています。ただメモはしませんが、チームメイトについてはオンコートだけでなく、オフコートでも言動を自然とチェックしているということはありますね。PGというポジションの職業病に近いかもしれないです。
例えば食事中、マイペースで黙々と食べるのか、やたら喋って食べるのが遅いのか。好きなものを先に食べるのか、最後に食べるのか。些細なことですが、性格などがわかると、コート上で、こういう場面はどうしたい選手なのかなどの判断材料にもなるので」
――先ほど「年下の監督やGMが増えている」とおっしゃいましたが、41歳になった今も現役を続けられる秘訣はなんでしょう?
「それが特にないんですよね(笑)。体調管理のために、これは一切食べない、これは一切飲まないというようなことはしませんし、サプリメント類も一切摂らないんです。食事に関しては結婚してからは妻が管理をしてくれています。今回の群馬への移籍も妻がついてきてくれてサポートしてくれるので感謝ですね。そもそも50歳まで現役を続けた折茂(武彦)さんがいるので、僕が現役を長く続ける秘訣を話すなんて恐れ多いです(笑)。それに選手それぞれというか、同い年の田臥(勇太)なんかは、僕と対極というかいろんな部分でこだわり強い。バッシュの紐を縛るのに何分もかけたりするくらいですからね。一度冗談で、"今は紐を縛らなくていいバッシュもあるよ"って教えたんですが、真顔で"いや、そういうことじゃないんだ"って言われました(笑)」
――自身のキャリアを振り返ると、やはり長く続けてきたなと感じますか?
「感じますね。だって『SLAM DUNK』を読み返すと、まだ試合が前後半の時代の物語ですからね。時代は変わったなって思います。僕ら世代だと、『SLAM DUNK』を読みながら、"そんなダンクできないだろ!""そんなプレーできないだろ!"と、少し手が届かないような要素がたくさん詰まっていたのが、今では当たり前、スタンダードなプレーになっている。中学生が試合中にダンクをしてもさほど驚かない時代ですからね。僕ら世代は、"『SLAM DUNK』に登場するような選手になりたい"と思っていたのが、今は一段階上がり、『SLAM DUNK』に描かれているようなプレーができれば、さらに上のステージ、例えばNBAのような海外リーグを目指せる時代になりましたからね」
――選手の競技力向上の要因は何が大きいと思いますか?
「もちろんいろんな要素があると思いますが、多くの選手の"ああなりたい"、"こうなりたい"という憧れが積み重なって、たどり着いた今日なのかなと思います。その憧れが、『SLAM DUNK』であり田臥だった。そして日本人で初めて田臥がNBAのコートに立ち、さらに時代は流れ、今ではコートに立つだけじゃない、夢はNBAで活躍するというところまできましたからね」
――新シーズンでキャリア19年目に突入します。桜木が安西先生に「オヤジの栄光時代はいつだよ...全日本のときか? オレは今なんだよ!!」と言うシーンがありますが、五十嵐選手にとって栄光時代はいつでしょう?
「栄光時代や全盛期といったものは、周囲が決めることかなと。ただ自分では現役である以上、まだまだうまくなれる、もっと上にいけると思っています。どんな競技も経験がモノをいう部分、いくつになっても学べる部分があります。続ければ続けるほど奥が深い。若い頃は、スピードでは絶対に負けないと強気なプレーが信条で、ターンオーバーするたびに"もっと安全なプレーを選択するべき"という声も聞こえてきましたが、"これが五十嵐圭だ"とスタイルを変えようとは思いませんでした。
ただ年齢を重ね、一つひとつのミスが経験となり、高校時代練習に参加させてもらえなかったことなどすべてが糧となって、今はPGとしていかに周りを使うか、チームのバランス、チームの勝利を最重視してプレーしています。これからさらに経験を積めば、また違うことができるのかなと思っています。今季から所属する群馬クレインサンダーズは、B2から上がってきたチームですが、B1経験、B1優勝経験のある選手が多い。Bリーグのレベルは急速に上がり簡単に上位進出できるほど甘くはありませんが、まずは優勝のための権利をつかむ、チャンピオンシップ出場を目標にシーズンを戦い抜こうと思います」