ふたつ目の金メダルを獲得し、応援メッセージが書かれた日の丸を掲げた佐藤友祈東京パラリンピックで2つの金メダルを獲得した陸上競技の佐藤友祈(T52・車いす)。金メダルへの期待を一身に背負いながらも、自国開催のパラリンピックで快挙を成し遂げた。…

ふたつ目の金メダルを獲得し、応援メッセージが書かれた日の丸を掲げた佐藤友祈

東京パラリンピックで2つの金メダルを獲得した陸上競技の佐藤友祈(T52・車いす)。金メダルへの期待を一身に背負いながらも、自国開催のパラリンピックで快挙を成し遂げた。

「世界記録を更新して金メダルを獲得する」

世界記録に迫るタイムで初めてのパラリンピックタイトルを掴んだ男は、頂点を極めた自分を想像し、それを言葉にすることで、トップアスリートとしてのキャリアを切り拓いてきた。プレッシャーも、緊張も言葉にして楽しむ。佐藤の強さはどこから生まれたのか。

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「やりたいと思ったら即行動」

類まれな行動力で人生を切り拓いてきた佐藤は、幼いころから好奇心旺盛だった。身体を動かすのが好きで、父の影響でレスリングを始めたほか、サッカーや陸上にも親しんだ。

好きなことにのめり込むとぐんぐん力を発揮するタイプ。それを両親は感じていたのだろう。スポーツに限らず、絵画、歌、囲碁…いろいろなことに挑戦させたという。

人生の転機は、生まれ育った静岡から上京し、アルバイト生活をしていた21歳のとき。高熱で意識を失うと、手足に麻痺が残り、そのまま車いす生活になった。

脊髄炎と診断されたのはそれから1年半後。その間は障害者でもなく、健常者でもない状態が長く続き、ふさぎ込むこともあったが、テレビで偶然見たロンドンパラリンピックに心を突き動かされ、陸上競技を始めようと決意した。その年の12月に予定されていた車いすマラソン大会のハーフマラソンの部にエントリーし、地元で競技用車いすに乗っている選手を探した。それが陸上キャリアのスタートだった。

「僕はパラリンピックで金メダルを獲ります」

東京パラリンピックを目前に控え、そうメディアの前でよく話していたが、初出場のマラソン大会でもすでに同じ言葉を放っていたというから驚きだ。ちなみにマラソン大会の結果は53人中45位。それでも「これは、いける」とこの競技に手ごたえとインスピレーションを感じた佐藤は、大会に出場していたパラリンピアンや車いすメーカーのスタッフに自分を売り込んで回ったという。

「夢は叶えるもの」をモットーに掲げ、世界のトップ選手になった今も、実現させたいことは次々と口に出し、多くの人を巻き込むことで協力者を得ている。

金メダルへの最初の挑戦は、5年前のリオパラリンピック。400mと1500mの2種目で銀メダルという結果だった。両種目とも、アメリカの強豪選手レイモンド・マーティンに敗れる結果だっただけに、東京パラリンピックにかける思いは強かった。

2018年には400mと1500m、2019年にはパラリンピック未採用の800mと5000mで自己ベストを更新。400mと1500mの世界記録保持者として東京大会に向かっていた佐藤は「世界記録を更新して金メダルを獲得する」という高い目標を掲げ、トレーニングに励んでいた。だが、2020年3月、新型コロナウイルス感染拡大の影響で東京大会は1年延期になった。

いつもポジティブな佐藤とはいえ、すぐ目の前にあった金メダルという目標を実現する舞台を奪われ、さすがに不安な気持ちは隠せなかった。

しかし、そこで沈黙していたわけではなかった。1年延期された東京パラリンピック開催を待たず、佐藤は今年1月に、5年半務めた企業を退社。競技環境の整った実業団チームを離れて、プロ選手になったのだ。

自ら支援者を得て、自分の価値を高めるために発信する――。プロの環境が佐藤の力になった。音声メディアなどSNSを通じていろいろな人にパラスポーツや佐藤友祈について知ってもらおうと発信を始めたことで、応援してくれるファンを獲得。3月の日本パラ陸上競技選手権大会にはパラスポーツでは異例の約30名のファンが会場に足を運び、拍手やスティックバルーンを使った応援で東京パラリンピックに向かう佐藤を後押しした。会場の外でファンと記念撮影する姿はまさにプロアスリートそのものだった。

「もともとパラスポーツについて知らなかったという方たちが、来場をきっかけにパラスポーツに興味を持ってくれたんです。僕のやっていたことは間違ってないなって感じられてさらに力をもらいました。SNSでファンの方々と交流する時間が練習にもすごく活きています」

そう充実感を語っていた佐藤。現在、所属契約を結ぶモリサワの社員やSNSでつながった人たちによるオンライン壮行会で盛大に送り出され、決戦の時を迎えた。

東京大会では400mでも1500mでもライバルのマーティンと激闘を繰り広げた。レース後、「怖さはなかったか」と尋ねる記者に対して首を横に振り、「僕の方が強いんだと、最後まで強い気持ちを持ち続けて走り続けることができた」と語った。勝つのは自分。常に金メダルという言葉を口にし、自らを信じたことが大舞台での勝利につながったに違いない。

「今回、パラリンピックレコードを更新して金メダルを2つ獲りました。次に残っているのは、世界記録を更新して2種目で金メダルを獲得することです。これは必ず達成します」

パリこそ、有言実行。今大会は世界記録には届かなかったが、高い目標を口にしたことが金メダルの原動力になったことは間違いない。夢を持つ大切さを教えてくれる、プロアスリート佐藤の挑戦はこれからも続いていく。

*本記事はweb Sportivaの掲載記事バックナンバーを配信したものです。