「オープン球話」連載第80回 第79回を読む>>【荒木大輔の勝負勘は誰にもマネできない】――前回は甲子園の大スター・荒木…

「オープン球話」連載第80回 第79回を読む>>
【荒木大輔の勝負勘は誰にもマネできない】
――前回は甲子園の大スター・荒木大輔さんについて伺いましたが、今回もその続きをお伺いします。荒木さんの勝負度胸は抜群だったというお話でしたね。
八重樫 あれだけバッターに対して逃げない投手はいなかったですから、キャッチャーとしてはとても気持ちがいいピッチャーでしたよ。独特の勝負勘を持っているんです。だから大輔のおかげで、僕自身も攻めるべき時はとことん攻めていくという配球のあり方を教わった気がします。

1992年9月にケガから復帰した荒木(左)と握手する野村克也
――荒木さんからの「教え」は、他の投手にも効果を発揮したんですか?
八重樫 なかなかそうはならなかったですね。大輔の勝負勘は独特のもので、同じような気持ちの強さを持ったピッチャーはいなかったし、なかなかマネすることは難しかったんでしょう(苦笑)。そういえば、秦(真司)のことをフォローしたこともあったな。
――1987(昭和62)~89(平成元)年に監督だった関根潤三さんは、八重樫さんに代わる正捕手として秦さんを積極的に起用していましたね。
八重樫 関根さん時代に大輔と秦がオープン戦でバッテリーを組んだんですよ。その試合中、まったくサイン交換が合わないんです。大輔がずっと首を横に振りっ放し。秦は入団したばかりで大輔の特徴を知らないからしょうがないんだけど、大輔にとってみたら「攻めたいのに攻められない」「逃げるサインを出すな」という思いだったんです。
――荒木さんのような考えを持つピッチャーは少ないんでしょうね。
八重樫 毎回、すごく不機嫌な顔をしてベンチに戻ってきていて、交代後に大輔に「どうしたんだ?」と声をかけたんです。すると、「秦は逃げてばかりなんですよ!」と怒っていました(笑)。だから、「まだプロに入ったばかりなんだから、試合前にお前から秦に説明しなくちゃダメだぞ」って言ったんですよ。僕からも、事前に秦に説明しておけばよかったんですけどね。
【野村克也さんも荒木の度胸を評価していた】
――関根監督時代にひじ痛を発症。ジョーブ博士の執刀を受けてリハビリに励んでいたものの、復帰を急いでまた故障して再手術。さらに椎間板ヘルニアも発症して長いリハビリ生活を送りました。その頃の荒木さんはどんな様子でしたか?
八重樫 本当に暗い顔をしていました。そして、イライラしているのがよくわかりましたね。ただ、ある時期から吹っ切れたのかな? 「早く投げたい」という思いから、「しっかり治そう」と切り替えてからは、少しずつ明るくなっていきましたね。
――結局、荒木さんが復帰したのは野村克也監督時代の1992年秋、リーグ優勝争いの渦中でのことでした。
八重樫 野村さんも待ちに待っていたと思いますよ。大輔のように「打者に向かっていく投手」が大好きですから。野村さんはいつも「逃げるな」って口にしていましたからね。アウトコースに要求する時も、「あくまでも、次にインコースで勝負するための布石なんだ」と言っていて、単に弱気で投げるアウトコースのサインに対しては「逃げるな」と口を酸っぱくして言っていました。
また、のちに野村さん自身も言っていたけど、大輔の持つ「勝負運」のようなものを評価していたようですね。
――荒木さんは1992年9月24日の広島戦で1541日ぶりの一軍復帰を果たしました。ブルペンからマウンドに向かう時、あの日の神宮の盛り上がりは最高潮でしたよね。あれだけ球場中が盛り上がったのは、個人的な体感としては、池山隆寛さんの引退試合ぐらいだったような気がします。
八重樫 あの日の神宮の盛り上がり方は異常でしたよね。あの年、ヤクルトは14年ぶりのセ・リーグ優勝を果たすけど、大輔の影響がとても大きかったと思います。当時、チームは連敗もあって苦しい状況だったのが、大輔の復帰からムードが一気に変わりましたから。野村さんは勝負勘だけじゃなく、マウンド上でのたたずまいも好きだったんだと思いますよ。
――「1992年の荒木大輔」というのは、ファンにとっては生涯忘れられないカッコよさと存在感でした。
八重樫 大輔がマウンドに立つと、実際よりもひと回りもふた回りも大きく見えるんです。それはやっぱり、大舞台を何度も経験した男ならではの存在感だったと思います。オーラみたいなものがあったし、その気迫はボールにも乗り移っていましたね。
【体がボロボロで満身創痍での引退】
――翌1993年には開幕からローテーション入りをして8勝4敗を記録。チームの連覇に貢献し、西武ライオンズとの日本シリーズでは初戦に先発してチームに白星をもたらしました。しかし、その後は成績が低迷。1996年に横浜ベイスターズに移籍して、その年限りでの引退となりました。晩年の荒木さんについてはどんな印象がありますか?
八重樫 大輔は全身を使って目いっぱい投げていたのに、晩年は小手先で投げるようになっていましたね。体がもう完全に限界で、ボロボロだったんだと思いますよ。みなぎる気迫と全身の力を使って抑えていたものが、連打を食らうようになったり、オーバーフェンスになったり、打球がヒットコースに行ったり。そういうケースが増えていきましたから。
――前回のお話にも出てきましたが、プロ入り時に八重樫さんが「どうしてこんなピッチャーを獲得したんだ」と思った荒木さんは、マウンドに上がると人間が変わって、気迫みなぎるボールでバッターを圧倒してきました。だけど、肉体の限界と共にその気迫も衰えていった......。そういうことなのでしょうか?
八重樫 そうだと思いますね。やっぱり、長年にわたって気持ちをずーっと張りつめたままにしておくというのは、かなりキツイことだと思いますよ。ついに限界に達したことで、引退を決意せざるを得なくなったんじゃないかな?
――その後、ヤクルトや西武で指導者を経験して、現在は日本ハムのピッチングコーチを務めています。
八重樫 技術を教えることはできるけど、現役時代の大輔のようなマウンド度胸や勝負勘を教えることは難しいんでしょう。大輔のような強気なタイプのピッチャーは、その後も出てきていないですからね。
――前々回までは酒井圭一さん、前回、今回は荒木大輔さんについて伺ってきました。同じ「甲子園のスター」でも、両者はそれぞれタイプが異なっていたんですね。
八重樫 酒井はとにかく、入団時からすごいボールを投げていました。打球が顔面に直撃しなければもっと活躍していたと思います。大輔はマウンド度胸、勝負勘がすごかった。神宮にたくさんのファンが殺到したし、「甲子園のスター」の名に恥じない人気ぶりだったのは間違いないかな。
これは言ってもしょうがないことだけど、酒井のポテンシャルに大輔のメンタルがあったら、とんでもないピッチャーになっていたでしょうね。去年は甲子園が中止で寂しかったけど、今年の夏の甲子園からはどんなニュースターがプロへと巣立っていくのか。楽しみにしていますよ。
(第81回につづく)