日本にとどまらず、海外でも爆発的な人気を誇る伊藤麻希。その魅力は何といっても、生き様が溢れる試合、そしてマイクパフォーマンスにある。しかし最近、「生き様が出ない」と感じているという。いったい伊藤に、なにが起きたのだろうか。海外のプロレスフ…

 日本にとどまらず、海外でも爆発的な人気を誇る伊藤麻希。その魅力は何といっても、生き様が溢れる試合、そしてマイクパフォーマンスにある。しかし最近、「生き様が出ない」と感じているという。いったい伊藤に、なにが起きたのだろうか。



海外のプロレスファンからの人気も高い伊藤麻希(写真提供:東京女子プロレス)

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「昔はアンダードッグっていうんですかね。弱くて、いつもボコボコにされてたから、悔しくて悔しくてたまらなかったんですよ。自分の人生も踏んだり蹴ったりだったので、それも相まって感情が爆発していた。だけど、ずっとボコボコにされ続けたら学んでいくもので、ちょっとずつ強くなっていったんです」

 試合に生き様が出なくなってきたことに対して、悩んだ時期もあった。「昔のほうが、自分はプロレスがうまかったんじゃないか?」と思うようにもなった。そして先日、伊藤は2018年1月4日の男色ディーノとの試合を観返した。それがなかなか......酷かった。

「かなり話題になったし、自分のなかでも代表的な作品(試合)ではあるんです。でも今観たら、自分が思っていたよりも『この時の伊藤麻希、大したことないな』と思っちゃって。今の自分ならこうやるなとか、そういうことを思えるようになったんですよね。それがお客さんの心に響くかはわからないですけど」

 当時は、出せるものは全部出したいという感覚だった。

「私、ずっと『人生を棒に振れ』と思っていて。リングが生きる場所でいいやって。当時、全部がうまくいってなくて、『なんのために生きてるんかな?』ってずっと思ってたけど、プロレスを一生懸命やっているとみんなが褒めてくれるし、それが生き甲斐にもなっていた。だからもう、それ以外はどうでもよかったんですよね」

 目の前のファンに対して、すがるような思いでプロレスをしていた。しかし今は、違う。

「世界規模で見て、人が面白いと思ってくれることをしたい。そうなると、表現の仕方とかも変わってくるんですよね。たとえば(コロナ禍の前から)リップロック(キス)とかもしなくなったし、使う言語も、SNSでは英語をよく使っています」

 今年3月7日、フロリダ州ジャクソンビルで行なわれた米プロレス団体「AEW」のPPVイベントにサプライズ出場。アメリカで爆発的な人気を博した。今ではTwitterのフォロワー数が13万人を超える。

「伊藤麻希の面白さって、男色ディーノにリップロックするとか、そういうところでもあるかもしれないけど、世界の人たちが観たい伊藤麻希は、今はそこじゃない気がしてるんです。みんなが観ていて幸せになれるようにやりたいんですよね。下手くそとか、そういうことはもういいんですよ。誰も傷つかないプロレスがしたいって思ってます」

 今年4月17日、プリンセス・オブ・プリンセス王座の王者・辰巳リカと、タイトルマッチを行なった。辰巳はマイクでこんなことを言った。「伊藤麻希は丸くなったから、もっと尖ってこい」――。

「確かに、自分は前ほど尖っていないと思ってたんですけど、辰巳リカに言われたことで『なんで尖らなくなったんだろう?』ってあらためて考えたんです。そしたらやっぱり、尖る必要がなくなったからだと思いました。尖らなくても、自分にはいいものがたくさんある」

 自信過剰だと思われるかもしれない。しかし、その自信をつけるための努力をしてきた。「今の自分が好きなんですよね」と照れ臭そうに笑う。

 時代が変わったなと感じている。リップロックをした時、心のどこかで「テレビに出たい」「出るためには他の人がやらないこと――"女を捨てる"みたいなことをしなければ」と思っていた。でも今は、そんな時代じゃない。

 2019年5月3日、東京女子プロレス後楽園ホール大会にて、伊藤はアジャコングと対戦。試合後のマイクで、80万円かけて小顔整形をしたこと、それを誰にも気づいてもらえなかったことを告白した。

「試合で結果を残せなかったから、マイクに頼ってしまった。でも今は、マイクはあまりやらないようにしてるんです。ここから先は、どれだけ減らしていけるかですね」

 伊藤は巧みなマイクパフォーマンスで、ここまでのし上がってきたとも言える。そのマイクを減らしたいというのは、並大抵の覚悟じゃない。

「技とかも、増やせば増やすほど、自分ってどんなレスラーなんだろうって迷うんです。だったら、増やさないほうがいいなと思っている。一時はやっぱり、いろんな技を使えるようになりたいと思っていたけど、今はヘッドバッドとDDTと逆エビを主に使っています。

 私はスープレックス系をひとつも持っていない。たとえばめっちゃデカい外国人をバンッて投げたら、絶対会場は盛り上がると思うし、そういう技は1個あってもいいのかなとは思います。でも基本はもうあんまり増やしたくないですね。『伊藤麻希といえばこれ』という感じで見られたいです」



ケガを隠すサングラス姿で人生を振り返った伊藤 photo by Hayashi Yuba

 天性のコミカルさを持つ伊藤だが、日本ではシリアスな試合をする機会が増えている。

「コミカルなイメージが先行しているので、海外ではウケないかもしれない。でも『実は動けるんだぞ』みたいな引き出しは持っていてもいいのかなと思います。コミカルなほうが最大限に自分の才能を発揮できると思うんですが、ずっとそれだけをやっていても飽きがくると思う。どちらも"なあなあ"にはできないです」

 海外を意識し始めたのは、2019年4月のアメリカ遠征の時。伊藤が入場すると会場は大盛り上がりで、ポートレートが飛ぶように売れた。海外のプロレスファンはリアクションが大きく、笑わせ甲斐がある。日本とは違う楽しさがあった。伊藤は帰国するとすぐに、英語の勉強を始めた。

 ゆくゆくは、海外に拠点を移したいのだろうか。

「そこは両立したいと思ってます。海外だと、自分はまだ第3試合とかを担当するレスラーなんですよね。さっき言ったとおり、ずっとそれだけをやっていても飽きがくるだろうから、そういう自分にはなりたくなくて。前に進みたいんですよ。日本でどんどん難しいことにチャレンジして、海外では楽しいことをいっぱいして、『実はこういうこともできるんだよ』ということをたまに出すみたいな。それで好きになってくれたお客さんを日本に持って帰ることができたら、一番いいのかなと思ってます」

 海外で自分のフィギュアが作られるくらい、プロレス界で売れたいという野望がある。しかし日本では、自分が人気者になるよりも、後輩をもっと輝かせたい。

「最近、荒井優希っていうSKE48のメンバーが東京女子に来たので、彼女に対してはそういう気持ちですね。昔だったら絶対こんなこと思わなかったんですけど、今はもう余裕が出てきたから、人のことも考えられるようになりました。『この子はもっとこうすれば伸びる』って思ったら、アドバイスをしています。そういうことに楽しみを置いているから、もっと人気者になりたいとかはあんまり思わないんですよね。今のファンの方はもちろん大事にしたいんですけど」

 2018年1月の伊藤麻希は、プロレスにすべてを捧げて男色ディーノにリップロックをした。確かに面白い試合だった。しかし、2021年8月の伊藤麻希は違う。「誰も傷つかないプロレスがしたい」と話す彼女は、あらゆること――「プロレスは生き様を見せなければ成立しない」「女子プロレスラーは女を捨てなければいけない」といった固定観念など――から解き放たれている。

「誰も傷つかないプロレスというと、差別的なことはしないとか?」と尋ねると、彼女は迷いなくこう答えた。「はい、絶対」――。

【プロフィール】
@maki_itoh