東京五輪後、Jリーグが再開し、9月からいよいよカタールW杯最終予選が始まる。 日本代表の戦いに関心が高まりつつあるが、…
東京五輪後、Jリーグが再開し、9月からいよいよカタールW杯最終予選が始まる。
日本代表の戦いに関心が高まりつつあるが、ここにきて注目を浴びているのが、左サイドバックのポジションだ。しばらく長友佑都の独壇場だったが、最近は試合によって異なる選手がプレーし、レギュラー争いは激化しつつある。
そのレギュラー候補のひとりが、佐々木翔(広島)である。

日本代表でポジションをつかめるか注目される、サンフレッチェ広島・佐々木翔
現在、リーグ戦で中位に位置するサンフレッチェ広島で主将を務め、日本代表では左サイドバックを任されている。
「本当は、3バックの左で勝負したいんですけどね」
そう苦笑するが、森保一監督の信頼は厚い。
佐々木が日本代表に選出されるまでに成長したのは、広島への移籍がポイントになっている。横浜Fマリノスのジュニアユースからユースに昇格できずに挫折感を味わった。公立高校から神奈川大に進学し、大学3年の時にJリーグのクラブに練習参加を呼びかけられ、プロへの道が開けた。卒業後、佐々木はヴァンフォーレ甲府に入団し、3年間プレーした後、2015年に広島に移籍した。
「当時の広島は、僕が入る前の年は8位だったんですが、その前は連覇するなど3年で2回優勝する非常にレベルが高いチームだったんです。実際、チームに合流して練習をした時、こんなレベルの高いところでやっていかないといけないんだと思いましたね。1年目は悩んだり、苦労したり、もがきながらの日々でした」
広島の指揮官だった森保監督は、ペトロヴィッチ前監督の攻撃サッカーに守備のエッセンスを投入し、システマティックで質の高いサッカーを展開していた。3-5-2のフォーメーションで、3バックは水本裕貴、千葉和彦、塩谷司が不動のレギュラーで佐々木が食い込む余地がほとんどなかった。
「チームには鉄板の3枚がいたので、まずは森保監督の戦術に慣れることが優先事項でした。その上で自分のよさで勝負して、なんとかチャンスをつかもうとして地獄の2部練の日々を過ごしていました」
その頃の広島は若手を中心に午前、午後の2部練習になっていた。佐々木はそのグループの最年長で戦術の理解度を深め、必要とされるタスクをマスターするために練習していたが、「めちゃくちゃキツかった」と言う。
「2部練は2、3年続いたんですが、そのおかげでレギュラーの選手との距離をどんどん詰めることができたので、僕にとっては非常に大きかったです」
1年目、徐々に森保監督の要求に自分の持ち味をプラスしてプレーできるようになるとシーズンの後半には水本の負傷もあってスタメンで出場できるようになり、セカンドステージでは優勝に貢献、リーグチャンピオンにも輝いた。2年目のシーズンは、さらにスタメンでの出場回数を増やして、連覇に貢献するつもりだった。だが、4節(3月20日)の大宮アルディージャ戦で右膝前十字靭帯を断裂、全治8か月の重傷を負い、戦線を離脱した。
「ケガをした時は、なんでこの時期にケガなんか......これから輝く時期になるはずだったのにと思っていたんですが、やってしまったものはしょうがない。性格的にくよくよしないタイプなので、リハビリして早く復帰して、自分の力でポジションを取り戻せばいいやって思っていました」
4月に手術をして、翌17年に完全復帰をするべくリハビリを続けた。だが、年明けの1月、練習中に同じ箇所を負傷。前十字靭帯再断裂となり、再建手術を受けた。
「2回目の時はキツかったですね。1年のリハビリだと体の感覚とか比較的早く戻るんですけど、2年空くとプレーしようとする時、頭と身体が一致しなくなるんです。たとえば頭では足を出しているつもりでも実際、かなり遅れて足を出しているんですよ。リハビリも大変でしたけど、そういう感覚を取り戻すのがめちゃくちゃ大変でした」
2回目の手術をしてJISS(国立スポーツ科学センター)でリハビリをした。その中で、佐々木は同じ故障で苦しんでいるアスリートたちに出会った。
「僕は膝2回やってけっこう大変だなって思っていたらハンドボールの選手が2回やったとか、スキーの選手が3回目ですとか、そういう人がたくさんいたので、僕の2回なんて大したことないわって思いました。彼らとの出会いはすごく刺激的でした。とくに個人競技の選手はすごくストイックで、自分が一生懸命にやった分、成績に反映されるので、そういう人のトレーニングや姿勢を見ていると、自分ももっとやらないとという気持ちになりましたし、もっとやれることがたくさんあるなって思ってリハビリに取り組むことができました」
佐々木は、2017年シーズンを無理せずにリハビリに当てた。そのシーズン中に森保監督が去り、18年に城福浩が監督に就任した。新監督の元での開幕戦、佐々木は左サイドバックとしてスタメン出場を果たし、706日ぶりの帰還を果たした。
あれから3年が経過し、佐々木はチームでベテランの域に入り、昨年から主将を任されている。チームは世代交代が進み、過渡期にあるが、チーム内での佐々木の役割は15年に広島に来た頃とは当然だが、ずいぶん変わった。
「15年に来た時には、うまい人におんぶに抱っこでしたけど、今は自分が上の立場になってユース上がりの若い選手を始め、ほとんどが年下の選手です。みんな、うまいんですが今の若い選手を見ていて思うのは、日頃から自分に発破をかけてやれる選手が少なくなってきたということです。僕らの世代は言われなくてもやっていたし、どんな練習もガシガシ本気でやっていたんですけど、今の若手はハードワークしたり、戦うというところが練習から見られなかったりする。なので、僕が彼らのケツを叩きながら『こんなんじゃダメだ』と声をかけながらやっています(苦笑)」
佐々木自身は、あまりガミガミと言いたくはないが、何も言わずにいると数年後のチームの行く末に不安を感じてしまう。それゆえ、あえて口酸っぱく必要なことを伝えている。
「広島の若手は、ロッカールームは元気なんですけど、試合に出るとおとなしい(苦笑)。サッカーをしながら、あーしてくれよ、もっとこうしてくれよって言って仲間のケツを叩きながらプレーする選手が少ない。もっとお互いに要求してほしいですね。今、それを願っています」
リーグ戦は川崎フロンターレが独走し、横浜F・マリノスが追走する展開になっている。今シーズンも上位3チームがACL圏内なのは変わらないが、下位の4チームがJ2に自動降格する。中位にいるとひとつの勝敗で順位が大きく前後する厳しいシーズンになっている。
「リーグ戦は、上の順位も見えているけど、下も見えている。ひとつふたつ落としてしまうと大変なことになるので、後半戦はひとつずつ勝って、順位をひとつでも上に上げていきたい」
世代交代がさらに進行しながらも、佐々木は主将として勝ち星をつけていく難しいかじ取りを任され、シーズンの後半戦も先頭に立って戦っている。
9月からはW杯最終予選という日本代表にとって大事な戦いが始まる。
佐々木は、森保監督率いる日本代表で常に招集され、欠かせない戦力になっているが、起用されているポジションは本職のセンターバックではなく、左サイドバックだ。日本代表ゆえに本職ではないところでの起用にも監督の要求に応えていかなければいけないが、違うポジションでのプレーがその選手の評価となり、それで代表を外されることもある。そうなるとやり切れない気持ちになるが、本職ではないポジションの選手は、そういうジレンマとも戦わなくてはならない。
「難しいところですね。やっぱり自分が一番輝く場所はどこだって言われたら3バックの左のポジションだと思うんです。そこで日本のために貢献したいという思いが強いんですけど、今の代表は4バックですし、センターバックは鉄板の選手がいますからね。なかなかチャンスがないですけど、やっぱり代表は特別な場所ですし、目指さないといけないところなので難しさを感じつつ、自分のよさをどう発揮しようかもがいています」
日本代表の左サイドバックといえば長友だ。
2010年の南アフリカW杯から代表のポジションをキープし、もう10年以上経つ。今年、35歳になり、来年のカタールW杯の時は36歳になる。最終予選やW杯などでハードな試合を連戦でこなせるかというと過去のW杯ほどのパフォーマンスを発揮するのは難しい。それゆえに誰が左サイドバックを担うのか注目されており、佐々木はその候補のひとりだ。
「長友選手は、長い間、代表の左サイドバックを務めてきて、左サイドバックはこういうものだというのを作ってきました。でも、僕は同じことをするのではなく、自分のサイドバック像を見せていかないといけないと思っています。それは前の選手のよさを活かすためにポジショニングを考えてプレーし、いい攻撃ができるように味方をフォローしたり、守備の多くを担って攻撃の選手の負担を軽くして助けてあげることです。あとは高さですね。サイドバックにセンターバックができる選手がいることでセンターバックが苦しい時に助けることができる。そういう自分のよさを出して勝負していきたい」
最終予選、日本はB組で、オーストラリア、サウジアラビア、中国、オマーン、ベトナムと同組になっている。2位までのチームがW杯出場となり、3位はA組の3位とアジアプレーオフを戦い、勝者が大陸間プレーオフを戦い、勝ったチームがW杯への出場権を掴むことになる。
佐々木は、初めて最終予選を戦うことになるが、過去の印象はほとんどないと言う。
「正直、最終予選はあまり見ていなかったです(苦笑)。自分が代表に入る前は、もう別世界のことで、単純にがんばってくれよって感じで応援していただけなので。今回は、初めての経験なので、楽しみですけど、不安もありますね。国を背負って戦うのは、やはりプレッシャーもかかるし、1試合の重みも違うと思うので」
最終予選の初戦は9月2日、オマーン戦、日本のホームで始まる。
「今は、まだその試合のことは考えていないです。その前に僕は、Jリーグでいいプレーをしないと話にならない。地に足をつけてじゃないですけど、チームでいいパフォーマンスをして結果を出すことにまず集中したい。そこで代表に選ばれたら次は代表に集中する。僕は1回にいろんなことができないので、目の前にある仕事を一つひとつやるだけです」
コツコツと努力する堅実な性格で、与えられた仕事は丁寧に確実にやり遂げる。森保監督が佐々木を信頼しているのは、そういうところが大きい。厳しいレギュラー争いが続くが、指揮官の信頼を背に勝ち残っていければ夢だった代表入りを実現したようにW杯の舞台に立つ夢もきっと叶うはずだ。