62kg級の川井友香子と57kg級の川井梨紗子(ともにジャパンビバレッジ)、そして53kg級の向田真優(ジェイテクト)と50kg級の須﨑優衣(早稲田大)。東京オリンピックの日程後半に行なわれたレスリング競技で、日本からは4名の女子金メダリ…

 62kg級の川井友香子と57kg級の川井梨紗子(ともにジャパンビバレッジ)、そして53kg級の向田真優(ジェイテクト)と50kg級の須﨑優衣(早稲田大)。東京オリンピックの日程後半に行なわれたレスリング競技で、日本からは4名の女子金メダリストが誕生した。

 そのうちのひとり、須﨑優衣は1回戦から決勝戦まで4試合失点ゼロで、しかもすべてがテクニカルフォール勝ち。それは、五輪4連覇の伊調馨や3連覇の吉田沙保里でもなし得なかった快挙だった。



金メダリストとなった須﨑優衣は早稲田大4年の22歳

 2019年に須﨑は国内の代表選考レースでライバルの入江ゆき(自衛隊体育学校)に敗れ、東京オリンピック出場の可能性が「0.01%」になりながらも奇跡的にチャンスを掴み、日本代表に選ばれたことはよく知られているだろう。だが、須﨑は2019年以前にも入江に黒星を喫している。それも、2回。

 須﨑は48k級と50kg級において、絶大な強さを誇っている。出場した世界大会はすべて優勝し、外国人選手相手には70連勝無敗。中学生となってから、わずか3回しか負けていない。つまり、そのすべての敗戦相手が入江というわけだ。

 全国少年少女選手権を3度制し、中学生になるといきなり全国中学生選手権と全国中学選抜大会の2冠を達成。中学2年からJOCエリートアカデミーに所属し、世界カデット選手権などを含め国内外で負けなし。周囲からは「東京オリンピック期待の星」「2020の申し子」と評された。

 もちろん、本人もオリンピック出場は遠い夢ではなく、必ず行くものとして捉えていた。しかし、自信に満ちて臨んだシニア初挑戦となる2015年12月の全日本選手権、須﨑は7歳年上の入江に0−10のテクニカルフォール負けを喫してしまう。

「何も通用しませんでした。技も力も......。とにかく、悔しかった。でも、逆にオリンピックが自分のなかで明確な目標になりました」

 それまでは、同世代の選手との戦いだけだった。だが、年齢がいくつ上だろうが、どれだけ実績のある先輩だろうが、すべて倒さなければオリンピックには出られない。須﨑は"現実"と徹底的に向き合うため、2位に終わった表彰状をエリートアカデミーの寮にあるベッドの上の天井に張りつけた。

 学校で勉強する時、食事、入浴時間以外は、すべて練習漬けの毎日。唯一ホッとできるのが就寝前だが、その束の間でも須﨑は天井を見上げ、「クソっ!」と悔しさをかき立てた。そして朝、目覚めると「よし、今日も誰よりもがんばるぞ!」と気合を入れる日々を過ごした。

 その成果は半年後に報われる。2016年6月の全日本選抜選手権では入江にリベンジを果たし、同年12月の全日本選手権、2017年6月の全日本選抜選手権でも優勝。初めて出場した世界選手権でも勢いは止まらず、18歳で世界チャンピオンに輝いた。

 ところが、その後も須﨑は勝ち続けたものの、パッとしない試合内容が続く。国体でもワールドカップでも格下の選手に先制点、大量点を許す展開ばかり。そんな須﨑に、伊調馨はこうアドバイスした。

「若いうちに、チャンピオンの肩書もプライドも捨てて、ガムシャラにやったほうがいい。(もっと強くなるには)早く負けることです」

 その言葉が的中したかのように、2017年12月の全日本選手権準決勝で須﨑は入江に0−10のテクニカルフォール負けを喫する。入江は徹底的に世界チャンピオンを研究し、相手の攻め手を完全に封じていた。須﨑の完敗だった。

「何もさせてもらえませんでした。調整ミスではありません。弱いから負けました」

 試合後、号泣した須﨑だったが、リベンジの炎は燃えた。「連敗は許されない」と心に誓い、さらに何倍もの練習を重ねた。そして2018年6月、全日本選抜選手権で入江にフォール勝ち。代表決定プレーオフでも勝って世界選手権2連覇を達成し、東京オリンピック出場が現実味を帯びてきた。

 しかしそんな矢先、須﨑にアクシデントが訪れる。全日本合宿で3階級上の選手に自らスパーリングを挑んだ結果、左ひじのじん帯を断裂して全治8週間の重症を負ってしまった。2018年12月の全日本選手権出場は絶望的。だが、須﨑は「翌年の全日本選抜選手権で優勝して、全日本選手権優勝者との代表決定プレーオフで勝てばいい」と前を向いた。

 迎えた2019年6月の全日本選抜選手権、須﨑はプランどおりの試合運びで入江を撃破する。ところが翌月のプレーオフでは攻撃が空回り、入江に3度目の敗退。東京オリンピック出場権を獲得できる世界選手権の代表枠は入江に奪われた。

 日本レスリング協会は「今回の世界選手権でメダルを獲得した選手は、その場で東京オリンピック代表に内定する」と規定していた。女子レスリング王国の最軽量級代表に選ばれた入江が3位以内に入れない可能性は限りなく低く、須﨑の東京オリンピック出場の可能性は消滅したと誰もが思った。

 須﨑は2日間、泣きまくった。それでも、エリートアカデミー時代から指導を受ける吉村祥子コーチに「たとえ0.01%でも可能性を信じてやろう」と声をかけられ、3日目からは練習に打ち込んだ。

 須﨑の座右の銘は「人事を尽くして、天命を待つ」。すると、彼女のもとに情報が飛び込んできた。『入江、世界選手権3回戦敗退。メダル届かず』。

 気持ちの高鳴る須﨑と、意気消沈の入江。12月の全日本選手権では両者の勢いがそのまま反映され、須﨑が危なげなく勝った。そして1年延期となった2020年4月のアジア予選、須﨑は4試合すべてテクニカルフォール勝ちで五輪代表権を獲得。東京オリンピックでの活躍は前述のとおりだ。

 日本の女子レスリング界には、ふたりのレジェンドがいる。

そのひとり、吉田沙保里といえば"連勝記録"。公式戦119連勝を記録していたが、北京オリンピック前のワールドカップでまさかの黒星を喫した。さらにロンドンオリンピック前も負けて、再び連勝記録を止められる。しかし、吉田自身は連勝にこだわることなく、「負けを知って、また強くなった。負けないとわからないことがある」と語っていた。

 伊調馨はリオデジャネイロオリンピックを7カ月後に控えたヤルギン国際大会で、0−10という屈辱的な試合を経験した。だが、伊調は「この負けはチャンス。成長のきっかけにします」と言い切った。



サプライズ登場した伊調馨が須﨑に花束を授与

 歴史に残る「絶対女王たち」と同じように、スーパーエリートと呼ばれた須﨑も"敗北"を味わわされた。あの3度の負けが須﨑のレスリングを鍛え、人間として成長させ、オリンピックの金メダルへと導いた。

「今の自分があるのは、関わってくれたすべての人のおかげ。感謝の気持ちでいっぱいです」

 東京オリンピックで決勝戦を制した須﨑は、号泣しながらもしっかりと語った。「関わってくれたすべての人」のなかに、入江ゆきも入っているのは間違いないだろう。

 金メダル授与の表彰式、プレゼンターは憧れの伊調だった。伊調が「次も、その次も、がんばってね」と告げると、須﨑は元気にうなずいた。

「次は」2024年のパリ大会、そして「その次」は2028年のロサンゼルス大会。"負けを知っている"レスリングの申し子は、オリンピックを連覇したふたりのレジェンドを追いかけ、さらに強くなる。