正直に告白する。バックネット裏の記者席で試合を見ていた私は、頭のなかで広島新庄の堅守について原稿を書く準備を始めていた…

 正直に告白する。バックネット裏の記者席で試合を見ていた私は、頭のなかで広島新庄の堅守について原稿を書く準備を始めていた。

 8月11日、全国高校野球選手権大会・広島新庄(広島)対横浜(神奈川)の1回戦。

 横浜は再三のチャンスを広島新庄の厚い守備網に阻まれ、8回まで無得点が続いた。9回表に広島新庄に決定的とも言える2点目が入り、試合は決まったかと思われた。

 9回裏に横浜高が無死から連打で一、三塁のチャンスをつくっても、三振と内野フライで二死に。試合を見ていたほとんどの人間が、広島新庄の勝利を確信したに違いない。



2点ビハインドの9回二死からサヨナラ逆転本塁打を放った横浜1年生の緒方漣

 マウンドに立つ広島新庄の左腕・秋山恭平は、勝利までアウトあとひとつに迫った場面で、自信のあるストレートを投げ込んだ。

「しっかりと腕を振って投げられた」と感じた反面、「真ん中にいってしまった」とも感じたと秋山は言う。

 次の瞬間、打席に立った身長166センチの小兵が鋭くバットを振り抜いた。

「打たれた瞬間にレフトの藤川(蓮)が見送ったのを見て、ホームランとわかりました」

 試合後、秋山は涙をこらえ切れず、絞り出すように語った。

 たしかに甘いボールだったかもしれない。それでも、広島新庄に大きく傾いた流れをひっくり返すのは、並大抵ではない。サヨナラホームランを放ったのは、横浜の1年生・緒方漣だった。

 経験の広島新庄、勢いの横浜。甲子園までの勝ち上がり方は対照的な両校だった。広島新庄は春のセンバツでも1勝を挙げており、守りの要である大可尭明、瀬尾秀太の二遊間は昨年の甲子園交流試合も経験している。広島商出身である前監督の迫田守昭氏、現監督の宇多村聡監督に鍛え込まれた試合巧者だ。

 一方、横浜は大会前から前評判が高かったわけではない。前首脳陣が不祥事もあって解任となり、2020年に同校OBの村田浩明監督が就任したばかり。1ケタ背番号をつける9人のうち、4人が下級生。優勝候補の大本命だったセンバツの覇者・東海大相模が新型コロナの集団感染によって、神奈川大会を出場辞退した背景もあった。

 広島新庄の戦いぶりは見事だった。エース右腕・花田侑樹は不安定さも見せた広島大会から一転、甲子園で息を吹き返した。6回裏には連打で無死一、二塁のピンチを招くが、横浜の4番・立花祥希のセンターへ抜けようかという強烈な打球を二塁の大可が横っ飛びで好捕。併殺でピンチを脱した。遊撃の瀬尾も再三、軽やかなフィールディングで守備を支えた。

 大可は「なんとか自分と瀬尾中心に守っていこうと声がけをしていた」と語る。広島新庄らしい「守りの野球」を貫いた。

 指導する宇多村監督はノックの名手だ。ノックバットを滑らかに扱い、甲子園の土に白球を弾ませるさまは惚れ惚れする。大可は「監督さんがノックを多く打ってくださったので、球際に負けないプレーができた」と胸を張る。

 横浜も粘り強く応戦したものの、広島新庄との経験の差は明らかだった。だが、9回裏二死一、三塁の最後のチャンス。横浜が幸運だったのは、最後にもっとも頼れる人間に打順が回ったことだったのかもしれない。

「最後に緒方がやってくれるんじゃないかという期待は、正直言ってありました」(村田監督)

「緒方ならやってくれる、つないでくれると思っていました。勢いだけじゃなく、冷静に試合に入っていけるので、頼もしい存在です」(横浜主将・安達大和)

 思えば、試合開始から緒方の存在感は際立っていた。1回裏、先頭打者として打席に入った緒方は、初球のストレートをセンター前に弾き返している。

 相手はスカウトも熱視線を送るドラフト候補。試合の行方を占う大事な第1打席。硬くなる要素はたくさんあった。それなのに、緒方はしれっとヒットを放った。試合後、緒方は「初球から起爆剤になれたのでよかったです」と語っている。

 村田監督が緒方を評価するポイントは「動じないこと」だという。1年夏から名門の1番・遊撃という要職を担っても、緒方は感情の揺れを見せない。「今まで野球で緊張したことはありますか?」と聞くと、緒方は「甲子園は初めてだったので緊張しました」と答えた。逆に言えば、それまでは緊張せずにプレーできたということだろう。ちなみに、緒方は神奈川大会7試合で打率.455、10四死球を記録している。

 甲子園の2打席目で送りバントを失敗しても、「もう1回打席に立つので、下を向いたら次のプレーができないと思った」とすぐに気持ちを切り替えた。

 サヨナラホームランという最高のパフォーマンスができた要因は何かと聞くと、緒方はこう答えた。

「徹底して『チームのために』という思いでプレーできたので、そこがよかったのだと思います」

 広島新庄の宇多村監督は試合後、時に笑顔を浮かべながら選手の健闘を称えた。

「最後は緒方くんのホームランで終わりましたけど、選手たちはこのすばらしい舞台で持ち味を発揮してくれたと思います。30人の3年生がいるんですけど、非常に仲がよくて......なんとしてでも勝たせてあげたかったなと。もう一度甲子園で試合をし、1日でも長く3年生とまた試合がしたかったです」

 広島新庄としては、ほとんどミスのない完璧な試合運びだったはずだ。だが、野球はわずか一瞬で天地を行き来する。あらためて、一球の恐ろしさを教えられた試合だった。

 殊勲の緒方は今後の意気込みを聞かれ、こう答えている。

「広島新庄さんの分までしっかりと戦って、臆することなく正面から向かっていけたらと思います」

 おそらく、今後も高校野球界で語り継がれる一打になったに違いない。その際には、広島新庄がいかに強かったかもセットで語られてほしいと願わずにはいられない。