東京五輪で悲願の金メダルを獲得した侍ジャパン。今大会、金メダルの期待が多くのし掛かるなか、各選手がそれぞれの働きをみせ、一つも黒星を喫することなく見事頂点に輝いた。

そんななか、自身もかつて日本代表として国際試合で戦った経験のある、元ソフトバンクの攝津正氏がYouTubeチャンネルを更新。日の丸を背負って戦うプレッシャーについて語った。

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「選考を受けてもいないのに呼んでいただきました」


アマチュア時代の「第37回IBAFワールドカップ」、そしてプロ入り後の2013年WBC日本代表と、過去2回代表選出の経験がある攝津氏。なかでも、思わぬ形で代表入りを果たしたというアマ時代の選出について、こう振り返る。

「当時、日本代表がほぼ決まっている状態で、たまたま代表チームと僕の所属チームが壮行試合をおこないました。その時に僕が登板したんですが、そこで良いピッチングが出来て、代表に呼んでいただきました。普通は選考合宿があって、そこで選出されるんですが、僕はそこに参加していない。選考を受けてもいないのに呼んでいただきました。しかも背番号が18番だったんですよね」

一方、プロ入り後は2013年WBC日本代表として戦った攝津氏。日の丸を背負って戦うプレッシャーについて、このように語っている。

「トーナメントで、負けたら終わりという状況なので、普段のリーグ戦ではなかなか味わえない緊張感は感じましたね。高校野球や、社会人野球に近いような雰囲気がありました。普段と変わらない気持ちで臨むようにはしていましたが、体がいつもより動いていないのかもわからないくらい緊張していましたね。ただ、代表に選んで頂けることはすごく名誉なことですし、最高のパフォーマンスを出したいという気持ちはありました」

「あの試合は痺れました」

自身が国際試合で投げたなかで、1番印象に残っているのが、WBC2次ラウンドの台湾戦だと語る攝津氏。登板結果は2回1/3を投げて1失点という内容だったが、当時の試合をこう振り返る。

「負けたら終わりという状況でしたし、かなり緊張しました。あの時確か9回に鳥谷さんが走り、井端さんが打ちましたよね。僕自身は打たれましたが、あの試合は痺れました。何試合か投げましたが、あれが1番印象に残っていますね」

その年はWBCに出場後、レギュラーシーズンでは2年連続となる開幕投手を務め勝利投手となったほか、3年連続二桁勝利も達成した攝津氏。国際試合に出場後、シーズンでは調子を崩す選手も多く見られるが、その点シーズンへの入り方について攝津氏はこのように話す。

「実践が1ヶ月早くなることで、調整の仕方もズレますからね。僕の場合はシーズン後半になると結構キツかったような記憶があります」

このほか動画内では、代表選出における所属チームからの起用法制限について、さらには代表背番号の決め方についても語られている。

※健康、ダイエット、運動等の方法、メソッドに関しては、あくまでも取材対象者の個人的な意見、ノウハウで、必ず効果がある事を保証するものではありません。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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