ストイコビッチが来日し、名古屋グランパスでプレーをはじめてまだ日がたっていない頃、テレビ番組の取材でプレースタイルを聞か…

ストイコビッチが来日し、名古屋グランパスでプレーをはじめてまだ日がたっていない頃、テレビ番組の取材でプレースタイルを聞かれて、「ジューバン、ジューバン」とたどたどしく答えていたのを覚えている。「10番」と言えばすべてが通じる。背番号にも、自分のプレーにも絶対的な誇りを抱いていることがストレートに伝わって来た。このように、サッカーというスポーツにおいて、背番号は観戦者に多くのことを物語っているのである。どうですか? いろいろと詳しく知りたいと思いませんか?

■GKオチョアは狼の血脈

 東京オリンピックの男子サッカーは、残念ながらメダルに届かなかった。メキシコとの3位決定戦、後半18分に三笘薫が出てきていきなり左からチャンスをつくり、次いでいっしょに投入された上田綺世に決定的なパスを出し、さらには酒井宏樹のパスを受けて自ら左を突破してシュート、GKの頭上を破ったかと思った。だが上田のシュートも三笘のシュートも、メキシコGKギジェルモ・オチョアが安定した守備で止めてしまった。このあたりで1点を返せていれば、試合はもっともっともつれたかもしれないのだが……。

 オチョアは、この大会の男子サッカーでは、ブラジル代表の右サイドバックとして優勝に貢献したダニ・アウベスと並ぶ世界的名声をもった選手だった。メキシコ代表114試合。2006年から4大会連続してワールドカップのメキシコ代表に名を連ね、2006年大会は第3GK、2010年は第2GKだったが、2014年と2018年には第1GKとして活躍、見事なセーブで高い評価を受けてきた。おもしろいのは、このオチョアとダニ・アウベスが、ともに背番号「13」をつけていたことだ。

 フィールドプレーヤーの背番号13は別に珍しくはない。しかしGKが13番をつけるのはあまり見ないような気がする。今季のJリーグ(J1)20クラブ、およそ80人のGKの背番号を調べてみると、13番をつけているのはFC東京波多野豪サンフレッチェ広島増田卓也の2人しかない。しかしオチョアと言えば13番。第3GKとしてメキシコ代表に招集された2006年のドイツ大会から、彼は一貫して13番をつけている。いわば13番は彼の「第二の顔」なのである。

 ところがそのオチョアがなんと「背番号8」をつけて試合に出ていた時期がある。2017年から19年にかけてプレーしたベルギーのスタンダール・リエージュの1シーズン目の話である。この経験豊富なメキシコ代表選手を正GKに迎えるに当たって、スタンダールが用意した背番号が「8」だった。スペイン語で「オチョ(ocho)」は「8」。だから彼にふさわしいと思ったようだ。

 しかし「オチョアOchoa」という名前と「8」はまったく関係がない。「オチョア」はスペイン語系でときおり見かけるファミリーネームのひとつだが、起源はバスク地方にあり、バスク語では「Otxoa」と書く。そしてその意味は「オオカミ」なのである。「オチョア」の名前は、彼の背番号よりも彼の髪形に現れているといっていい。スタンダールでの2シーズン目、オチョアは背番号を13に変え、大活躍してクラブのシーズン最優秀選手に選ばれた。

 ではなぜオチョアは背番号13に執着してきたのか。それは、彼の誕生日が7月13日だからだという。ともかく、メキシコの背番号13は、「呪術的」と言っていいほどのゴールキーピングを見せ、日本の反撃を1点にとどめて祖国に銅メダルをもたらした。逆に言えば、左の角度のないところからそのオチョアを破った三笘のゴールは、きわめて非凡なシュートタイミングだったということになる。

■名将チャップマンからの提案

 さて、この連載では、過去に背番号の話を2回書いてきた。最初は第4回の「14番」の話、そして2回目が第32回の「13番」の話である。今回は、「ちょっと変わった背番号物語」その1である。

 19世紀にサッカーが誕生したころには、背番号などなかった。ワールドカップでも、戦前の大会では背番号は付けられておらず、1950年大会では、試合中の選手交代が認められていなかったこともあり、試合ごとに先発する11人が1番から11番をつけるという形だった。大会を通じて同じ選手が同じ番号をつけることになったのは、1954年のスイス大会以降のことである。サッカーはあくまでチームゲームで、誰が得点したのかなど、個人の記録には無頓着だったのだろう。ピッチの上で交錯する選手が誰なのか、背番号はそれを知るために必要になったものである。

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