東京五輪男子マラソンは、エリウド・キプチョゲ(ケニア)が31キロ付近からスパートをかけ、圧巻の走りを見せ、2時間8分38秒で金メダルを獲得した。日本代表の大迫傑、中村匠吾、服部勇馬はメダルへの期待がかかっていたが、最終的に今回のレースを現…

 東京五輪男子マラソンは、エリウド・キプチョゲ(ケニア)が31キロ付近からスパートをかけ、圧巻の走りを見せ、2時間8分38秒で金メダルを獲得した。日本代表の大迫傑、中村匠吾、服部勇馬はメダルへの期待がかかっていたが、最終的に今回のレースを現役最後と宣言した大迫が6位入賞を果たした。MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)に参戦し、東京五輪男子マラソン代表の座をかけて彼らと走った神野大地は、このレースをどう見ていたのだろうか。

「大迫さんが36キロ手前で8位から6位に追い上げたシーンは、胸が熱くなりました。あそこでズルズルと後退せず、粘れるのが大迫さんの凄さ。2位集団との距離が縮まってきたし、体が動いていたので、『メダル、いけるよ』と思いました」


レース後

「100%出しきった」と話した大迫。6位入賞を果たした

 レースは、スタート直後キロ3分7秒で暑さのなかではやや早めのペースで進んだ。5キロのラップは15分17秒、キロ3分3秒ペース。だが、10キロまでの5キロは、15分36秒に落ち、15キロまでは15分45秒とさらに落ちた。気温26度の暑さと80%の湿度のせいか、選手はややペースを抑えてレースが進んでいた。序盤戦、果たして日本人3選手の位置取りは、どうだったのか。そして、この時、神野はあるシーンが気になっていたという。

「中村選手は、早い段階で先頭集団から離れてしまいました。試合後のインタビューでも言っていましたが、故障が響き、自分の力を100%発揮することができず、悔しい気持ちだったと思います。(服部)勇馬は、歩道側にいたり、前に行ったり、大迫さんの後ろに行ったり、けっこう場所が変わっていたので序盤から自分のリズムと走りに集中できていないのかなって思いましたね。大迫さんは、中央寄りにポジションをとっていて、無駄な動きをせず、いつものマラソンと同じように同じ位置をキープしていました。

 ただ、後ろに位置していたので、給水の時、大丈夫かなって見ていました。給水の度に前との差が開くので、それを埋めるためにペースを上げ、落ち着いてきたなと思ったらまた給水で......給水の度に上げ下げがあるように見えたので、もう少し前でもいいかなとは思っていました。海外の選手は給水をとるのが上手くないので、そこで前の人が止まると、連鎖して後ろも止まったり、ぶつかって転倒したりします。その危険性があるし、今回は国ごとに手渡ししてくれていましたが、とれないとみんながとれているものをとれなかったというダメージが残ります。僕は、この給水でのペースの上げ下げが後半の勝負に少なからず影響を与えたと思っています」

 キプチョゲら先頭集団は、ハーフを1時間05分15秒で走り、47人いた集団は徐々に選手が振るい落とされていく感じになった。この時、服部もまさかの失速になり、先頭集団からこぼれ落ちていった。

「勇馬は、僕の同期で箱根駅伝をともに戦ってきた仲間であり、親しい友人でもあるんですけど、走りを見ていて思ったのは、昨年五輪が開催されていたらもっといい走りができたかもしれないなということでした。というのも昨年は、開催時期に合わせて調整が進み、すごく走れていたからです。今回、東京五輪に向けて、練習で100%の準備ができていないことは報道などからも聞いていました。

 MGCでマラソン男子代表になって2年間、国を背負い、注目され、ものすごいプレッシャーがあったと思います。結果を残さないといけないという思いから、故障したら普段であればじっくり治して次に進めると思いますが、五輪代表選手としての期待が焦りになって、故障を完治させることができずに長引かせてしまった。実際、この1年は満足できるレースはできていないんじゃないでしょうか。それでもハーフまで先頭集団で行けたのは勇馬に力がある証拠でしょう。中村さんもそうですけど、勇馬の走りからは期待と重圧のなかで結果を出すことの大変さを改めて感じました」

 大きくレースが動いたのが31キロだった。先頭集団にいたキプチョゲがスパートをかけ、同じケニアのアモス・キプルト、ローレンス・チェロノ、そしてアブディ・ナギーエ(オランダ)、バジル・アブディ(ベルギー)らを一気に置いていった。

「すごいスパートでした。キプチョゲ選手は、後半があるので30キロまで様子を見ながらレースをしていたんですけど、残り12キロになった時、自分の余力はこのくらいだから、ここから何秒まではペースを上げられるというのを頭の中で計算していたと思います。それで、もうペースを上げてもいいなと判断し、スパートをかけました。42キロのなかでいかに100%の力を出しきるのかを考えて、実行する能力が非常に高いですね。

 また、キプチョゲ選手は、ほかの選手に一番ダメージを与えるペースアップをしています。30キロから35キロまで14分28秒で30秒ペースをアップしましたが、3分オーバーで走っている状態から一気に2分55秒を切るペースに上げると、早いなって感覚と同時に体にけっこうなダメージがきます。キプチョゲ選手のスパートは、まさにこのパターンでした」

 キプチョゲのスパートに大迫はついていけず、8位に下がり、35キロを越えるとトップとの差は51秒に開いた。2位集団とも少し差が開いていった。

「大迫さんにとっては、ここが大きなポイントになったと思います。僕の個人的な意見でいうと、この時に2位集団についていっていたらメダルの可能性はあったのではないかと思います。たらればですが、最後まで2位集団のペースはそれほど上がらなかったので。大迫さんも、キプチョゲ選手同様に42キロのなかで自分の力を発揮する能力が高い選手なので、その時の体の状態やペースから冷静に判断したのだと思いますが、その後、37キロで2位集団に16秒差というところまで追い上げましたからね。

 ただ、この追い上げには本当に心が打たれました。大迫さんとは、これまで何度か一緒に練習させてもらったんですが、それまでどんな練習をどのくらいしているのか、さっぱりわからなかったんです。でも、一緒にやるとこんなに練習しているんだというのが身に染みてわかりました。僕はそれまで大迫さんはセンス型のランナーだと思っていたんですけど、才能よりも努力で結果を生み出してきたランナーだとわかりました。

 昨日、今日、練習の質やボリュームを上げてきたのではなく、学生時代から地道に増やしていって、やっと今の領域になれるんだっていうのを肌で感じることができた。誰もマネできないくらい練習をしていたからこそ五輪という舞台で、最後にあれだけ追い上げることができたんだと思います」

 レースは、そのままキプチョゲがトップを快走し、笑顔を見せてゴール。リオ五輪に続いて大会2連覇を達成した。この暑さのなか、普通に2時間8分台の好タイムを出すこと自体、驚きでしかない。そして、2位集団を猛追した大迫は6位の順位をしっかりとキープし、見事、入賞を果たした。

「キプチョゲ選手は、フォームを見ても一切無駄な動きがなくて、レース中はすごく集中しているなと思いました。展開は、ラストでの争いが得意ではないので、早い段階で勝負を仕掛けるというのを決めていたと思うんです。それをやり遂げ、しかも金メダルを期待されたなかで、それを獲るのは普通に力を持っている選手以上に力がないとできないと思うんです。キプチョゲ選手は走りも強さも異次元で圧倒的でした。

 大迫さんは、6位入賞で、レース後に『100%出しきった」と語っていたように自分の能力を出したと思います。引退レースになりましたが、テレビを見ていた人は、この走りを見て、まだまだやれると感じたと思います。でも、それは簡単じゃないんです。僕は、大迫さんがやってきた練習がすごくタフで、苦しくて、それを幾重にも積み重ねてきたのを見てきました。その厳しい練習の先に結果があった。大迫さんは、その練習をさらに何年も続けることが難しいと感じたから引退することにしたんだと思います」

 日本は大迫が6位で、ロンドン五輪での中本健太郎以来、2大会ぶりの入賞を果たした。中村は62位(2時間22分23秒)、服部はフラフラになりながら73位(2時間30分08秒)でフィニッシュし、レース後に重度の熱中症と診断された。106人中30名が棄権するという非常に厳しいレースになったが、前日の女子マラソンを含めた結果から日本の長距離界について神野は何を感じたのだろうか。

「男子マラソンはロンドン五輪以来の入賞ですが、その時と今ではマラソンのレベルが全然違うと思うんです。大迫さんの6位入賞も女子の一山(麻緒)選手の8位入賞もかなりレベルが上がったなかでの結果ですし、すごく大きな成果だと思います。

 僕がマラソンをやり始めたころは日本のマラソン界の動きが止まっていて、世界がどんどん強くなっていた時代でした。でも、MGCに向けて、みんなが前を向いて取り組むことで全体のレベルが上がってきて日本が世界に迫ってきていると思います。でも、またこの先、世界が大きく動いてくると思うので、その時に日本が遅れないようにすることがすごく大事だと思います。

 今回、大迫さんが結果を出したことで、次は自分だと思っている選手が多いと思います。僕もチャレンジしたいですし、そのためにも強さを身につけたいと思いました。ペースメーカーがついてタイムを出すよりもどんな揺さぶりにも動じずに、自分で42キロをイメージして勝つ。そういう強さが五輪には必要です。大迫さんは、『次は若い世代に』ということで日本人の夢を次に託したので、自分たちや次の世代が大迫さんの結果を越えていきたいですね」