中学生の時、友達とプロレスごっこした動画がキッカケでプロレスデビューしたMAO。DDTプロレスの若手ユニットThe 37KAMIINAに所属、リング上で予測不能な戦いを魅せる。8.15後楽園DDT EXTREME戦、8.21富士通スタジアム…

中学生の時、友達とプロレスごっこした動画がキッカケでプロレスデビューしたMAO。DDTプロレスの若手ユニットThe 37KAMIINAに所属、リング上で予測不能な戦いを魅せる。8.15後楽園DDT EXTREME戦、8.21富士通スタジアム川﨑 葛西純&クリス・ブルックス戦とビッグマッチを前にMAOは何を思うのか。全2回、前編は生い立ちからマイク・ベイリーとのタッグMoonlight Expressまで。

――プロレスに興味を持つキッカケは何でしたか?

MAO:深夜にテレビで観た新日本プロレスの真壁刀義さんです。仲間に裏切られメチャクチャやられていて本間朋晃さんが救出に入った試合ですね。友達がハマっていて一緒に観ていました。小学生の時は野球をやっていたけど休憩時間に絵を描いている男の子でした(苦笑)。

当初「プロレスは骨折れるし怖いな」と思っていましたが、真壁さんの試合を観て「こんなにやられても人は大丈夫なのか?」と感じ漠然とプロレスに興味を持ちました。その直後、1976年のアントニオ猪木vsモハメド・アリ戦を観ました。アリの脚をパンパンに膨れるまで蹴り続けた猪木さんの姿を観て「プロレスラーは凄い」と実感しましたね。

――リアルタイムのプロレスから、歴史をさかのぼり猪木さんの異種格闘技戦を同時期に鑑賞したのですね。

MAO:はい、それからワールドプロレスリングを見始めました。クラスでちょっとしたプロレスブーム、友達と田中将斗さんの弾丸ポーズをしたり大日本プロレスのDVDを観ている友達もいましたね。それで中学時代にプロレス好きが10人くらい集まり、日々プロレスごっこに励み「中学生プロレス」になりました。

――「中学生プロレス」とはなんですか?

MAO:YouTubeに「中学生プロレス」という文化があったんです。各地方のプロレス好きの中学生が技をかけ合っている動画をYouTubeに投稿していました。

ドラゴンゲートに影響を受けている中学生は飛び技中心、新日本プロレスに影響を受けている中学生は固め技とか、影響を受けているプロレスによって動画の内容も違い面白かった。それで僕らも仲間と一緒に後追いで参加しました。

当時のYouTubeは著作権も厳しくなかったので、好きな音楽を使い自分たちで動画編集しPVを作っていました。

YouTubeで色々なプロレスを観る中、僕は「ジュニアヘビーのプロレス」に惹かれました。当時、海外のインディーシーンは派手な技が多いけど、日本は合理的な技が多く、「90年代の日本のジュニアには華やかさと戦いがある」と感じてみちのくプロレスやFMWのハヤブサ選手に魅了されましたね。

ある日、東京の「中学生プロレス」の学生がDDTのプロテストを受けました。合格こそしなかったもののDDTプロレス社長の高木三四郎さんがTwitterで「中学生プロレスという文化があるのか」と投稿。そこで僕は「私もやっています」と自分たちのYouTube動画のURLを貼り付けたら、高木さんから「もし本気でプロレスラーになりたいのなら連絡をください」と返信がありメアドが送られてきました。それで高木さんとやりとりが始まりました。

――中学卒業後、すぐDDT入団ではありませんでしたね。

MAO:僕は中学を卒業したらすぐに上京する気持ちでいましたが、高木さんから「高校だけは卒業してほしい」と言われ地元宮城の高校に入学し柔道部に所属しました。中学生の時は吹奏楽部でしたから(苦笑)。

――文化系ですか?プロレスとは真逆ですね。

MAO:リアル文化系でしたね。少年野球をしていたけど内気な小学生で、練習が厳しく体壊して小児喘息になってしまった。それで中学に入り肺活量をつける目的で吹奏楽を始めたら身体が元気になり、エネルギーが有り余って始めたのが「中学生プロレス」です。もし初めてなかったらヤンキーになっていましたね(笑)。

それで高校一年の時DDTの仙台大会あり、高木さんと僕・両親で面接が行われ内定をいただきました。

――プロレスをやることにご両親の反対はなかったのですか?

MAO:最初は両親に反対されたけど「やりたいことをやらせないで文句を言われるくらいならやらせよう」と言われ、最後は納得してくれました。

高校2.3年の夏休み、1週間上京しビアガーデンプロレスのお手伝いと練習をやらせてもらいました。

――本格的に上京したのは高校を卒業した2015年3月ですか?

MAO:山形で自動車免許を取得する合宿に参加したので5月です(苦笑)。

上京して毎日練習をガッチリやりました。ただ今振り返ると「中学生プロレス」の時に身体の使い方を研究したことや高校時代の柔道が役に立っていました。

中学生プロレスを撮影しYouTubeにアップ、自分の姿を客観的に見ることでプロレスラーと比べることができる。そして高校で柔道を習いしっかり受け身を学ぶことができたので上京する前に「プロレスラー」としてのベースは出来ていたと思います。

――両国国技館でのデビュー戦が8月。上京してからデビューまで期間が短いですね。

MAO:デビューを言われたのが2週間前でした。毎年7月下旬から8月上旬はビアガーデンプロレスです。その途中、リングに上げられてデビューすることが発表されました。

――デビューは突然言われるのですか?

MAO:「練習生の渡瀬(瑞基)と井上(MAO)、リングに上がれ…デビュー決定!」と、びっくりしますよ(苦笑)。訳のわからないまま話が進みコスチュームを作成、気がついたらデビューでした。

【DDTプロレス 竹下幸之介】AEWへは「イケる」という確信の下で渡米した

――緊張でデビュー戦の記憶がないレスラーがいますが、MAOさんは記憶ありますか?

MAO:第一試合でオープニングVTRが流れ、「バーーン」と最後にデッカい音が鳴った記憶があります(笑)。緊張はしませんでした。

――試合中、緊張しますか?

MAO:たまに緊張しますけど滅多にしないです。リラックスが1番(笑)。

――デビュー2戦目は若手中心のプロジェクトDNAで、現在同じユニットThe 37KAMIINAの勝俣瞬馬選手と対戦しました。すでにMAOさんのファイトスタイルが完成されていた気がします。

MAO:デビュー当時は何がなんだか分からないまま試合をしていましたね(苦笑)。今は洗練されすぎてしまった気がしています。悪い意味ではなく「昔の自分は気持ちが悪いなぁ」と思っていますね。僕は「気持ち悪さ」という違和感を大切にしていきたい、その方がお客さんの印象に残ります。

――DNAでの活動で思い出に残っていることはありますか?

MAO:いろいろありすぎますね(苦笑)。DNAは大きく3章に分かれます。最初は他団体からも選手に参戦してもらい若手同士の戦いが多かった時期、第2章は佐々木敦規さんに興行の演出をしてもらってショーアップされた時期、第3章が2017年8月から2018年8月のDNAが休止するまでになります。

第1章の途中で「NωA」というアイドルユニットが始まりました。これはDNAではなくDDTのリングのみの活動で大石真翔さんと勝俣さんがいて、僕があとから加わりました。最初は流されるままにやっていましたね(笑)。

ただベテランの大石さんとユニットを組めたことは今に生きていますね。NωAは3人組のユニットなので6人タッグで戦うことが多く、現在の6人タッグのノウハウはこの時期に学んだものです。

――ディック東郷さんがメンバーだったこともあるんですよね。

MAO:1日だけNωAメンバーに加入した時もありましたし、シングルで対戦もありました。NωAはアイドルユニットで2017年12月まで活動、レスラーとして大切なことを経験させて頂きました。

第2章DNAではアイドルではない自分を出していこうと思いました。当時DNAは月1興行、NωAメンバーとしてDDTのリングで身につけたスキルを確認する場でしたね。

第3章は自分のファイトスタイルの確立、現在のベースが完成した時期です。

――中学時代からプロレスをしていたので世界中のプロレスを学んでいると思いますが、影響を受けたレスラーはいますか?

MAO:旧姓・広田レジーナさくらさんで、特にGAEA JAPAN時代を見ています。中学生プロレスをしていた頃から「広田さん面白いな~」と。以前、何人かいる食事会でご一緒したけど好きな想いを伝えられませんでした(苦笑)。

――しっかり書いておきます!ところで世界を代表するハイフライヤーであるマイク・ベイリーとのタッグ「Moonlight Express」について組んだ経緯から教えていただけますか?

MAO:当初ベイリーは竹下さんと組んでいました。DDT的に「MAOと組ませよう」とは考えてなかったと思いますが、ある日4WAYタッグの一枠として僕らが選ばれました。初めて組んだ日にベイリーと肩を組んで場外にムーンサルトを飛んだり、自分として「しっくり来た試合」が出来ました。会社も同じことを感じたらしく、2017年8月の両国大会もベイリーと組んで出場しました。

ただこの時は「Moonlight Express」の名前はなく、DDTドラマティック総選挙2018にノミネートするのに急遽つけましたね(笑)。DNAが解散する時、みんなで「普通のプロレスラーに戻ります」とマイクを置き、ベイリーが迎えに来てくれたのが2018年7月。この頃から本当の意味でタッグチーム「Moonlight Express」がスタートしました。

――この頃、MAOさんの仲間はベイリーだけですか?

MAO:はい。ベイリーは日本に1ヶ月来て1ヶ月戻る、を繰り返していました。KO-Dタッグのタイトル戦が決まると、ベイリー不在で前哨戦を1人で戦うことが多かった。結果的に8ヶ月間ベルトを保持、ベイリーとのタッグはコロナ前まで続きました。

2019年10月から約2ヶ月間イギリスにプロレス留学し「凱旋帰国、Moonlight Expressが華々しくKO-Dタッグ挑戦!」と青写真を描いていたら国際運送のFedExがベイリーの入国許可書を失くして来日できず、考えていたプランがおじゃんになりました(苦笑)。

ただイギリスを回り経験を積んだし、「そろそろKO-D無差別級に挑戦したい」と気持ちを切り替えました。それで2020年2月後楽園で当時KO-D無差別級王者の田中将斗選手に初めて挑戦しました。

<後編に続く>

<インフォメーション>

8.15東京・後楽園ホール「Summer Vacation 2021」、8.21神奈川・富士通スタジアム川崎「WRESTLE PETER PAN 2021」が行われます。MAOはDDT EXTREME戦を制し、ベルトを巻いて葛西純の前に立つことができるのか。

チケット等、詳細はDDTプロレスリング公式サイトをご覧ください。

また試合は動画配信サービスWRESTLE UNIVERSEで生配信されます。

DDTプロレスリング Twitter

MAO Twitter

取材・文/大楽 聡詞

写真提供/DDTプロレスリング