これぞ日本選手団の旗手の底力か。レスリングの女子50キロ級の須崎優衣(ゆい)が圧倒的な強さで金メダルを獲得した。優勝が決まると、マットそばの吉村祥子コーチに抱きつき、ふたりで泣きじゃくった。 中学2年から9年間、苦楽を共にしてきた52歳の…

 これぞ日本選手団の旗手の底力か。レスリングの女子50キロ級の須崎優衣(ゆい)が圧倒的な強さで金メダルを獲得した。優勝が決まると、マットそばの吉村祥子コーチに抱きつき、ふたりで泣きじゃくった。

 中学2年から9年間、苦楽を共にしてきた52歳の吉村コーチが言った。「よくがんばった」と。

 22歳の須崎は「ホント、ありがとうございました」と返した。

「ホントにもう、ホントにもう、ホントに今の自分があるのは、自分に関わってくれたすべての人のお陰です。感謝の気持ちでいっぱいです。ホントにもう、夢みたいです」



レスリング女子50キロ級で金メダルを獲得した須崎優衣

 須崎は15日前の東京五輪の開会式で日本選手団の旗手を務めた。バスケットボール男子の八村塁と共に選手団の先頭を歩いた。心身の負担は増える。でも、吉村コーチと相談した結果、大役を引き受けることにした。

 夏季五輪で初めての女性旗手は1988年ソウル五輪の小谷実可子さんだった。この日、小谷さんは東京五輪パラリンピック組織委員会のスポーツディレクターとしてレスリング会場のスタンドにいた。

 試合前、小谷さんは言った。「旗手って楽しいじゃないですか。日本選手団の顔として選ばれた喜びもあって、モチベーションにもつながりますよね」と。

 日本レスリング協会の福田富昭会長によると、旗手となった理由は3つ。若さ、女性、そして金メダルが確実なこと。

 当の須崎は、「貴重な体験でした」と振り返っていた。

「日本選手団の一番前を歩かせてもらった時はホント、気合が入りました。絶対金メダルを獲って終わるぞって」

 須崎はルーティンワークとして、試合前、必ず、吉村コーチと作戦を突き合わせる。決勝戦の相手がリオ五輪銅メダルの孫亜楠(中国)。スタートの構えから手の位置、頭の角度、姿勢......。吉村コーチの述懐。「もちろん、アンクル(足首)をとったら絶対離さない」とも。

 須崎の試合前の最後の練習相手は吉村コーチだった。その決勝戦。須崎は強かった。いや、強すぎた。作戦通りに体が動いた。スピーディーだった。プレッシャーをかけて前に出る。崩して攻める。孫亜楠がバランスを崩した刹那、後ろに回ってポイントを先制。流れるように動き、アンクルホールド。そのまま2回、3回、4回と相手を転がした。

 須崎は「執念でした」と振り返った。開始1分36秒、テクニカルフォール勝ちだ。初出場の五輪の舞台において、失ったポイントはゼロの、4試合連続テクニカルフォール勝ちで金メダルを奪取した。

 右手でガッツポーズだ。22歳は「ホントにうれしい気持ちと、やっと金メダルを獲ることができたという達成感でした」と述懐した。

 須崎は6歳から、父の影響でレスリングを始めた。才能は文句なしだ。小学5年生の時、将来有望選手を集めた東京・味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)での合宿に参加し、充実した施設に刺激を受けた。NTCとは、五輪選手の『虎の穴』みたいなところである。中学2年の時、NTCを拠点として全国のトップアスリートを養成する「エリートアカデミー」に入った。

 そこで、須崎が出会ったのが、かつての世界選手権覇者の吉村コーチだった。ふたりの『東京五輪金メダルへの道』が始まった。決して平坦な道のりではなかった。2018年11月、須崎は練習中に左ひじのじん帯を断裂した。吉村コーチからは「心はけがしないように」と諭された。

 海外では敵なしながら、国内では苦しんだ。須崎は2019年7月の世界選手権選考会で入江ゆきに敗れ、五輪出場の可能性は限りなくゼロに近くなった。入江が世界選手権でメダルを獲れば東京五輪代表となったからだ。須崎は「どん底でした」と吐露する。吉村コーチからはこう声をかけられた。「チャンスは0.01%ぐらいかもしれないけど、チャンスが巡ってきた時に戦える準備はしよう」と。

 その世界選手権で入江が途中で敗退し、メダルを逃した。代表権争いが白紙に戻った。その年12月の天皇杯でリオ五輪金メダルの登坂絵莉と入江を破って優勝し、五輪代表の座を懸けたアジア予選の出場権を獲得した。

 座右の銘が、『人事を尽くして天命を待つ』という。アジア予選は新型コロナの影響で今年4月に順延され、そこで須崎は勝った。東京五輪出場を決めた。五輪延期の1年間は「新しい技に挑戦したり、レスリングの楽しさを実感したりする時間でした」という。強いアスリートとは、何事にもポジティブなのだ。

 ミックスゾーン(取材エリア)には吉村コーチも来てくれた。どん底からの2年間で愛弟子が成長したところは?と聞けば、名コーチはしみじみと漏らした。

「心の強さがすごく生まれて、人間として成長したのかなと思います」

 言葉が途切れる。涙声でこう、続けた。

「私はホッとしたというのが正直なところです。やっぱり、思い返すと、ちょっと込み上げるものがあって......。優衣は中学2年で親元を離れてきて、本当にオリンピックで金メダルを獲るぞという強い思いを持っていて......。ご家族のことを思うと、本当に、本当によかったなと思います」

 実は吉村コーチは須崎と東京五輪を『第一章』の集大成と位置づけていたそうだ。

「一応、ふたりではこれで第一章は終わりです。次の第二章はまた、彼女自身が考えて、レスリングはもちろん、いい人生を歩んでいってほしいと思うんです」

 いい選手には必ず、いいコーチがついているものだ。須崎は「吉川コーチに金メダルを」と言い続けてきた。

 繰り返すが、「0.01%」からの「100%」の金メダルだった。これまたミックスゾーン。須崎は笑顔で言った。

「ホント、一度あきらめかけた夢の舞台だったんですけど、コーチや周りの方々のお陰でここまで頑張ってくることができました。0.01%の可能性から一歩ずつ。ホントもう、感謝です」

 次はパリ五輪ですか、と聞けば、22歳は「はいっ」と即答した。

「そんな簡単な道のりではないと思うので、しっかり、もっともっと強くなって、次も金メダルを獲れるよう頑張ります」

 ひょっとして、また日本選手団の旗手をしますか、と冗談で聞けば、金メダリストは困惑顔で隣の日本オリンピック委員会(JOC)の広報スタッフの顔を見た。

「2大会回連続ってないですよね」

 日本選手団の旗手に笑顔が広がる。さあ、第二章はどんな、五輪連覇ストーリーになるのだろう。