サッカーを知れば知るほど楽しさの深みが増す、サッカー映画の最高峰『勝利への脱出』を知っていますか? 1981年の世界サッ…
■古き良き名スタジアムの雰囲気をそのままに
ポーランドの英雄で1972年オリンピック優勝時の得点王、1974年ワールドカップ3位では攻撃の組み立て役となったMFカジミエシュ・デイナは、東欧の強制労働施設から選ばれてきた5人の捕虜のひとり、「パウル・ボルチェク」役だった。他の4人(いずれも役者)がガリガリに痩せているのに、デイナひとりがぷっくりとしているのが少し笑える。デイナは長身のプレーメーカーだったが、引退して1年とはいえ、その間まったくプレーをしていなかったのか、試合のシーンではあまり活躍していない。彼もまた、1989年に交通事故により41歳の若さでこの世を去っている。
この試合が行われたのはパリの「コロンブ・スタジアム」という設定になっている。パリの市内に続く北西の郊外、蛇行するセーヌ川にはさまれた「コロンブ」地区に1907年に建設され、1920年に大改修されて1924年のパリ・オリンピックの主会場となり、1938年にはワールドカップの決勝も開催された名スタジアムである。1972年にパリ市内に「パルクデプランス」が完成して「フランス代表のホーム」の座を失ったが、安全上の理由で改修が相次いだため、この映画の撮影時には戦争中の雰囲気はもうなかった。
そこで選ばれたのが、ハンガリー、ブダペストにあった1947年建設の「MTKスタジアム」である。古い陸上競技場形式、メインスタンドだけにかかる屋根、大半が立ち見席の観客席など、古い「コロンブ」に雰囲気が似ていることから白羽の矢が立った。当然、試合のシーンの数万人の観客も、ハンガリー国内で募集したエキストラである。そう考えると、映画の終盤にスタンドのファン全員がフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌うシーンは不思議な気がする。このスタジアムは、東京の旧国立競技場と同じ2014年に完全解体され、現在はサッカー専用スタジアムに生まれ変わっている。
ちなみに、両競技場とも現在は名称も変わっており、「コロンブ」はラグビーの名選手の名前をとって「イブ・デュマノワ・オリンピック・スタジアム」と呼ばれ、「MTK」は1950年代に間違いなく世界最強だったハンガリー代表「マジック・マジャール」のセンターフォワードだった名手の名前をとり、「ナンドル・ヒデクティ・スタジアム」となっている。
■このプレーヤーは、マニアにしか分からない
さて、この映画の最大の魅力が「真剣勝負のサッカー試合」であることは既述したが、それを可能にしたのが、当時イングランド1部リーグの強豪で、この年リーグ2位、UEFAカップでは優勝を飾ったイプスウィッチ・タウンFCの選手たちの協力だった。試合に出場するドイツ軍選手は、ほとんどがイプスウィッチの選手たちである。
ただ、ジョン・ヒューストン監督はイングランドの選手たちにドイツ軍のプレーだけで終わらせるのは気の毒とでも思ったのだろうか、スコットランド代表選手でイプスウィッチのエースストライカーだったジョン・ウォーク(当時24歳)を連合国軍の「アーサー・ヘイズ」という英国捕虜の役で登場させた。しかし彼はパリでの試合ではベンチに置かれたままだった。
もうひとり、イプスウィッチの選手でとんだ「貧乏くじ」を引いたのが、ケビン・オキャラハンだった。名前でわかるとおりアイルランド代表だったオキャラハンは、左ウイングが本職だったが、この映画では連合軍チームのGK「トニー・ルイス」役を割り振られた。そしてパリでの脱走計画を実行するためにアメリカ人のハッチを正GKにしなければなくなったことで、彼はコーチ兼主将であるコルビーの説得を受け入れ、左腕をへし折られてしまうのである。
「ドイツ軍」の選手のなかに、ひときわ目立つ長身の選手がいる。ファーストネームは紹介されず、「バウマン」という名字だけで呼ばれるドイツ軍のキャプテンで、非常に端正な顔つきをしているにもかかわらず、この試合の悪役を一手に引き受けている。演じているのがワーナー・ロスである。
日本のファンにはほとんどなじみがない名前かもしれない。しかしロスは1970年代のアメリカ・サッカーにおけるトップスターだった。ユーゴスラビア生まれで8歳のときに家族とともにアメリカに移住し、ニューヨークで育った。そして1972年に24歳で北米サッカーリーグ(NASL)のニューヨーク・コスモスの選手となる。185センチの長身とエレガントなテクニックは、フランツ・ベッケンバウアーを思わせるものがあった。
コスモスは1975年にペレが加わり、ジョルジ・キナーリャ(イタリア)、カルロス・アルベルト(ブラジル)、ベッケンバウアー(西ドイツ)などをチームに迎えて、数年のうちに世界的な「ギャラクシー軍団」となった。そのなかにあって、ロスはほとんど唯一のアメリカ人レギュラーとして活躍、アメリカ代表でもプレーした。それにしても、レフェリーの見えない角度でペレに何度も左こぶしで「ボディーブロー」を食らわせるなど、クールな顔つきをまったく崩さず、「ヒール」を演じきった演技力は特筆ものだった。
■あのペレのオーバーヘッドに、ハモニカのプレーまで!
そしてペレである。彼はトリニダード・トバゴ出身の英国兵「ルイス・フェルナンデス」として最初のセレクションでチームに加わり、得意のボールリフティングでチームメートを感心させる。リフティングしながら「トリニダードでは、オレンジでやってたんだよ」というセリフは、貧しくてボールを買ってもらえなかったペレ自身の子ども時代の実話である。
ミーティングのなかで、英国人であるコーチ兼キャプテンのコルビーが黒板を使いながら、「パス、パス、パス、ウイングがもったら時間をかけずに中央に送れ」と指示をすると、ペレが歩み出て、自陣ゴール前からくねくねと線を描きながら(ドリブルの意味である)相手陣に進み、最後は相手ペナルティーエリアに迫り、シュートを決めるという作戦を話し、「これがいちばん簡単だ」と話すシーンは笑える。夜の宿舎内では、ペレが吹くハーモニカの音色にみんなが癒やされる。ペレのハーモニカまで聞けるのだ。なんとお得な映画だろう!
試合では、前半相手のラフプレーで左肩を痛めたペレが更衣室に去るが、キャプテン兼監督のコルビーは交代選手を入れず、10人でプレーを続けることを選択する。そして後半の35分過ぎ、残り10分になったタイミングでペレはピッチに戻る。左腕を体につけたまま残り時間をプレーしたのは、1970年ワールドカップの準決勝で左肩を脱臼し、左腕をテープで体に固定してプレーを続けたベッケンバウアーへのオマージュだっただろうか。
だがこの状態でも、彼は最後の最後に世界で最も美しいオーバーヘッドキックを見せるのである。ペレはこのとき41歳だった。ボールの持ち方、ターン、瞬間的な体の入れ方など、引退してから間もないペレのプレーは、この映画のハイライトと言ってよい。
■負けている試合から逃げ出すなんて……
時間は戻ってハーフタイム。3点をリードされた連合軍チームがロッカールームに戻ってくる。すると銭湯のような大きな風呂の底からブクブクと泡が立ち、やがて直径50センチほどの穴が開いて水が吸い込まれる。そしてそこからレジスタンスのひとりが顔を出す。コロンブ・スタジアムの下水管がパリの下水道につながり、数百メートル先のセーヌ川に流れ込んでいる。下水道から「ビジターチーム更衣室」の風呂までトンネルを掘り、チーム全員を脱走させようという作戦だった。
逃亡を急ごうと主張するハッチ。ところが、選手たちが「このまま負けて逃げるのはいやだ」と言い出す。強く主張したのは、サマービーの「ハーマー」と、トーレセンの「ヒルソン」である。ハッチはひとりでも逃げると言い出す。コルビーが「GKなしでは試合ができない」と言う。そして最後に、ペレが歩み出る。その言葉が感動的だ。
「たのむよ、おれたちの大事な試合なんだ」と、彼は持ち前の低く響く声で、ハッチに向かってゆっくりと話す。
「ハッチ、今やめると、心が一生傷を負う」と、字幕を担当した金田文夫さんは訳した。原文は「If we run now,we lose more than a game.」である。この言葉で、すべてが変わるのである。ペレの役者としての能力、言葉の説得力は、ベテランの役者もかなわない。
さて、長くなってしまったし、結末まで話してしまったら身も蓋もなくなるので、このあたりで締めにしよう。『勝利への脱出』は、映画としてもなかなか良くできているし、何より、各国の「レジェンド」とも呼ぶべき選手たちが達者に演技し、そのうえで普通にプレーをしているのが楽しい。見ていない人は必見、昔見たことがある人も、この映画の深い楽しみを確認しながらもういちど見てみたらどうだろう。