「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#61「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信する。今回は…

「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#61

「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信する。今回は「THE ANSWER スペシャリスト」として陸上界の話題を定期連載している2004年アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずきさん。史上類を見ない形で開催された五輪だからこそ選手に得てほしいこと、反対する人もいる中で開催された意義について金メダリストの視点で語ってもらった。(構成=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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 私は選手としてコロナ禍の五輪を経験したわけではないので、偉そうなことは何も言えませんが、選手たちにはいろいろな経験をしてほしいです。大変な中で頑張って競技をしている。それだけでもすごいことだと思います。

 開会式でドラゴンクエストの音楽を聞いてすごく感動しました。出場する選手たちがみんな勇者に見えてきて(笑)。賛否両論がある中でも、海外選手は「自分のやってきたことをここでしっかりと出し切るんだ」という想いで日本に来てくれた。無観客は残念だったかもしれませんが、選手たちがすごくいい顔でプレーしているのを見るとホッとします。

 もちろん、いつも通りの形で開催されるのが一番良かった。でも、特別な形だからこそ珍しいことを経験できる。本来の形ではないですが、アスリートのために戦える場を提供してくださっただけでもよかったです。選手にもプラスに捉えてもらえたらいいですね。

 選手村でもあれこれ問題があると言われていますが、ネガティブな言葉はそこを攻撃しようとする人が着目しているだけだと思います。実はポジティブな声も多いのではないでしょうか。組織委員会や選手村をまとめている人たちの努力もある。選手にとって日本の暑さは大変ですが、しっかりと競技をできている。私も「この状況下でもできるんだ」とすごく感動、興奮しているところです。

 開催に対して批判的な意見があることは仕方のないことです。でも、選手に罪はありません。実際、5月にテスト大会が行われたハーフマラソンのコース近くでは、反対デモで横断幕やプラカードが掲げられていました。それを見てしまった選手がショックを受けていると聞き、可哀想だなと思いました。命が懸かっていることなのでデモをする人の気持ちもわかりますが、選手にだけは見せないでほしいと感じました。

 反対派だった人の中には、五輪が始まってから応援してくれるようになった人もいると思います。「近代オリンピックの父」と呼ばれるピエール・ド・クーベルタン男爵が掲げたオリンピック憲章では、4年に一度のこのときだけは武器を捨て、争いごとを忘れて競技をすることが説かれています。競技を通じて白黒はっきりつける。あの言葉は、本当に素晴らしいと思っています。

 今の時代の武器は目に見えないもの。形を変えて人を攻撃し合っています。クーベルタンの言葉は、今でも通じるものがあると思うんです。このときだけは賛成していた人、反対していた人も一緒にいていい。手のひら返しのように応援してくれる。それでもいいと思うんですよ。

「何? 反対してたじゃん」ではなく「みんなで応援しよう」って。このときだけは人を攻撃するようなネガティブな言葉、武器を捨ててほしい。これをきっかけに世の中が前向きに進んでくれたらいいなと思います。

コロナ禍の世間に願い「五輪をきっかけに互いを思いやれるように…」

 でも、みんなが同じ方向に進んでいくのではなく、何通りもの人の想いがある大会も新しくて、それはそれでいいと思います。いろんな意見があることは大事。私もネガティブな意見を聞いて「なるほどな」と思ったり、少し不安になったりしたこともありました。

 選手は、世の中は何でもかんでもポジティブに捉えてくれる世界ではないと知ることができたのではないでしょうか。私は現役時代に「走った距離は裏切らない」という言葉がずっと座右の銘でした。北京五輪の5日前に怪我で欠場してしまったとき、「走った距離は裏切らないと言っていたけど、練習のやりすぎで走った距離に裏切られたじゃないですか」と手紙をもらってハッとしました。

 引退後にも知人に「それってちょっと違うと思う」と言われた。確かにそうなんです。努力しても報われないことがある。怪我をしてから「自分の思っていたことは間違いだったんじゃないか」と、何度も何度も思わせられるくらい良いことばかりじゃない。世の中はネガティブなこともいっぱいあるし、綺麗事だけではないんです。

 だけど、それをいい方向に持っていくために自分がどう思うか、どう動けるか。それが大切なことだと思うんですね。今大会、怪我や誹謗中傷に遭ってネガティブな想いをしている選手もいます。でも、それをどう乗り越えるか。トップアスリートはそこが上手いような気がします。ただ、慣れてない選手にはずっしりと大きな重荷となる。そこをどう乗り越えるか、どう考えるか。それが大事だと思います。

 いろんな意見があるからといって、みんなネガティブになってしまったら立ち直れない。コロナ禍で世の中の人たちが少しバラバラになってしまったところで、できるならばオリンピックをきっかけに一つになってほしい。また互いを思いやれる関係性を築き上げられたらいいなと感じました。

 今後は今までの五輪のスタイルに戻ってほしいですね。もし、将来コロナのような予期せぬことが起きたとき、一つのモデルになるかもしれません。選手たちには最後まで五輪・パラリンピックどちらも胸を張って、しっかり集中して競技をしてほしいと思います。

■野口みずき/THE ANSWERスペシャリスト

 1978年7月3日生まれ、三重・伊勢市出身。中学から陸上を始め、三重・宇治山田商高卒業後にワコールに入社。2年目の98年10月から無所属になるも、99年2月以降はグローバリー、シスメックスに在籍。2001年世界選手権で1万メートル13位。初マラソンとなった02年名古屋国際女子マラソンで優勝。03年世界選手権で銀メダル、04年アテネ五輪で金メダルを獲得。05年ベルリンマラソンでは、2時間19分12秒の日本記録で優勝。08年北京五輪は直前に左太ももを痛めて出場辞退。16年4月に現役引退を表明し、同7月に一般男性との結婚を発表。19年1月から岩谷産業陸上競技部アドバイザーを務める。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)