“松田直樹”というサッカー選手を知らない子どもたちへ伝えたい 今日8月4日は日本サッカー界にとって偉大な選手が亡くなった…
“松田直樹”というサッカー選手を知らない子どもたちへ伝えたい
今日8月4日は日本サッカー界にとって偉大な選手が亡くなった日だ。
松田直樹さんは10年前、急性心筋梗塞によって34歳の若さでこの世を去った。サッカー強豪校・前橋育英(群馬)から1995年に横浜マリノス入り。1996年アトランタ五輪の「マイアミの奇跡」、2002年日韓ワールドカップ(W杯)の16強進出など、Jリーグだけでなく、日本代表としても活躍した。日本を代表するDFがJリーグで16年に渡り所属したのが、横浜F・マリノスだった。命日を翌日に控えた記者会見で、新たな取り組みが発表された。
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サッカーJ1に所属する横浜F・マリノスが3日、記者会見を行い、1995年から2010年までチームに在籍していた松田さんが亡くなってから翌日で10年を迎えるこの日、改めて松田さんへの想い、今後のクラブの取り組みについて語った。
登壇したのは黒澤良二代表取締役社長、松田さんと一緒にプレーした波戸康弘アンバサダー、栗原勇蔵クラブシップ・キャプテン、そして松田さんの実姉である真紀さん。黒澤社長は“松田直樹さんという偉大なサッカー選手がいたことを、クラブが続く限り伝え続ける”という決意を表明した。
「クラブレジェンドの一人であり、1995年の加入以降、16シーズンの長きにわたり、横浜F・マリノスで活躍され、闘志あふれるプレーや熱い気持ちで多くの人を魅了しました。ファン・サポーターの皆様に愛された松田直樹さんが急性心筋梗塞に2011年8月4日、急逝されてから明日で10年を迎えます。命日を迎えるに先立ち、改めて松田さんへのクラブの想いとこれからの未来へ向けてご挨拶させていただきたいと思います」
取り組みの軸は2つ。1つ目は、これまでも実施してきた背番号3のベンチへの毎試合の掲出とSNS等を通じたメッセージの発信、そして8月4日に近いホームゲームでの記帳台の設置など、松田さんにフォーカスした想いをつなぐ発信や取り組みを継続していくというもの。2つ目は、松田さんのような悲劇を二度と起こさないための「命につなぐアクション」の継続である。
これは2019年に横浜FMから始まり、現在ではJリーグ全体で行うJリーグ社会連携、通称「シャレン」の取り組みとして広がりを見せている活動であり、CPR(心肺蘇生法)やAEDの使い方など、命をつなぐためのアクションをマリノスファミリー全体、そしてホームタウン内でのスポーツ中の突然死ゼロを目指すとともに、この取り組みを通じて松田直樹さんの魂を継承していくという。
背番号3のユニフォームとTシャツの売上は「命をつなぐアクション」へ
この10年、命日の8月4日に近いホームゲーム開催時には記帳台を設け、ファン・サポーターたちが松田さんへの想いを記帳台に記していた。しかし、今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響を考慮し、当該試合が観客上限5000人の対象試合となっていることから、記帳台をオンラインに変更。日付が変わる8月4日の0時~23時59分まで、ハッシュタグ「#FOREVER3」をつけてツイッターで松田さんへの想いをツイートするという。
また、この10年で初めて解禁されるのが、背番号3の1stユニフォームとプレーヤーズTシャツの販売だ。
クラブはこれまで、背番号3のユニフォームは特別な存在であること、松田さんの名前で利益につながるようなことはしないことから、背番号3のユニフォーム販売は行ってこなかった。しかし、10年目となる今年、販売が発表された。その理由について黒澤社長は「松田直樹さんという、偉大なサッカー選手がいたことをクラブが続く限り伝えていくという使命に、クラブとして全力に取り組んでいくことの決意の表れ」であると説明した。
売上については、利益の全額が、クラブが実施する「命をつなぐアクション」、ホームタウンにおけるCPR(心肺蘇生法)とAEDの普及啓発事業、そしてホームタウンの子どもたちへのサッカー普及活動費用に充てられるという。
松田さんが亡くなってから10年を迎える。黒澤社長は「決して何かの節目になるわけではなく、松田さんへの想いが変わることもありません」としながらも、「松田直樹さんと直接的な接点を持たない選手やスタッフ、彼のプレーを生で見たことがないファン・サポーターの方、2011年以降に生まれた彼の存在を知らない子どもたちがこの10年の間に増えていることも事実」と語る。
松田さんとは同い年で日本代表でもプレーした波戸康広アンバサダーは「マリノスに復帰してからはキャンプで同部屋になり、気づけば明け方までプライベートやサッカーの話を語り合った」と明かした。「今、彼と会って何を話すか考えると、やっぱりサッカーのことかな。これからも彼が大好きだったサッカーを伝えていきたいし、万が一に備えて命を守るAEDの普及啓発活動をアンバサダーとしても伝えていきたい」と決意を新たにした。
横浜F・マリノスの育成組織で育ち、2002年のトップ昇格から2019年の現役引退までクラブ一筋でプレーした栗原勇蔵クラブシップ・キャプテンは、松田さんのについて「プレーはもちろん、存在感が凄かった」と明かした。
「今でも、彼を超える存在はいないと思っている。生前もいろんなエピソードがありますが、亡くなってから(彼の存在で)AEDが普及されたのも間違いない。それによって助かった人も多いと思う。亡くなってからも存在感のあるマツさんは本当に凄いし、いつまででも憧れられる存在です。
たまにマツさんが生きていたら何をやっているかと考えるんです。マリノスにいたら何をやっているかなと。だから、マツさんが生きていたらやってくれていたことを、自分が少しでもできるように今後もやっていきたい。皆さん、そういうことがあった時に協力していただきたいです」
時を経ても、松田直樹がこの街で語り継がれるために
現在も、人々の心をつかんで離さない松田さん。会見にオンラインで登壇した姉の真紀さんは「ずっと想っていただけることには感謝しかありません。本当に感謝の言葉だけです」と、この10年、想い続ける人への感謝の言葉を口にした。
「16年という長きに渡り、横浜F・マリノスで熱くプレーできましたことを感謝いたします。一緒にプレーさせていただいた仲間の方々、今在籍する選手、ファン・サポーターの皆様、関わる皆様、ありがとうございます。毎年、松田直樹を想い、それを形にしてくださることを感謝しています。
10年間に渡り、ゴール裏にある直樹と思えるフラッグを掲げていただき、優勝時には“ナオキコール”をしていただき、生前からずっとずっと松田直樹を愛してくださったこと、本当にありがとうございます。16年間、所属させていただいたサッカー人生は幸せだったと思うことができます」
2018年に就任した黒澤社長は、松田さんとの接点はない。それでも「この3年で、いかに松田直樹さんが大きな存在であるのか、ひしひしと感じているし、クラブが継承すべきスピリットである」と語り、「松田直樹さんという偉大なサッカー選手がいたことをクラブが続く限り伝え続ける、というクラブの使命にマリノスファミリー全員でしっかりと向き合い、取り組んでいきたいと思います」と語気を強めた。
「この先、10年、20年と時を経ても、松田直樹さんという存在がこの街で語り継がれていくために、この使命のために、クラブ全体として取り組んでいくことをここに表明させていただきます」
松田直樹さんが望んだ、「サッカーを知ってもらいたい。楽しんでもらいたい」という願いを、横浜F・マリノスとともにつないでいく。(THE ANSWER編集部)