「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#56「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信する。今回は…

「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#56

「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信する。今回は「THE ANSWER スペシャリスト」として陸上界の話題を定期連載している2004年アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずきさん。連覇を狙った北京五輪は左太もも肉離れで本番5日前に出場辞退を発表した。今大会はコロナ感染で直前に辞退を余儀なくされる選手がいる中、どん底から前を向けたきっかけと「挑戦の意義」を説いた。(構成=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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 まず、私は直前の故障で出場できなくなった経験がありますが、コロナの影響で辞退せざるを得なかった選手とは状況が違うと思います。比べものにならないので、何と言ったらいいのかわからないというのが正直な想い。1年延期で全ての選手に不安があり、制限の中でトレーニングをしなければならない。誰も経験したことのない本当に難しいオリンピックだと感じます。

 陽性で辞退した海外の男子選手が「もう仕方がない」とコメントされていた。本人は残念だと思いますが、気持ちをしっかりと整理して切り替えているような受け答え。普通の人からすればすごく悔しいでしょう。でも、トップレベルの選手ともなると、ある程度気持ちの整理をつけて冷静にメディア対応しているんだなと。素晴らしいスポーツ精神を持っていると思いました。

 私は北京五輪直前に故障した。あの頃は本当にしんどい時期だったので、鮮明には覚えていません。ギリギリで痛み出してから3、4日間ほど走っていなかった。でも、諦めきれない。どうしても出たい気持ちがあった。本当はジョギングするのもきつかったけど、何とか出られるように無理やり練習をしてしまった。いま振り返れば、それが1、2年も引きずってしまった要因だったのかなと。でも、やっぱり簡単には諦められない。

 欠場はギリギリで判断した。私は出たいけど、競技人生はその後も続いていく。監督、コーチが後への影響を心配してくれた。それで「もう諦めるしかない」と。監督が記者会見で発表するまで、私は何とか走ろうとしていたけど、会見後は無駄に動くことをやめた。会見の時点で気持ちは切り替わりました。本番をテレビで見る頃には「もう仕方ない」「今更どうしたってできない」って。

 寮のトレーニングルームでバイクトレーニングをしていたので、会見は見ていません。陸上部の寮にマスコミの方々が集まるだろうということで、北海道に急遽移動。連覇がかかっていたので、ある程度は覚悟していた。北海道にいる時に後輩から「人の数がすごいことになっていました」とメールをもらいましたね。それだけ大きな期待があり、残念な思いにさせてしまって申し訳ないという気持ち。五輪はそれだけ影響力があるんだなと身にしみて感じました。

辞退後に届いたある親子からの手紙「立ち直れた一番のきっかけ」

 でも、そこまで悲観的ではなかった。傷つくというよりも「仕方がない」と。申し訳ないという気持ちだけだった。自分の殻に閉じこもることなく、再び前を歩き始められたのは応援してくれたファンの皆さんのおかげ。それに気づかされたのは、ある親子からの手紙でした。

 息子さんが自閉症の方だった。「どうやって進んでいけばいいでしょうか」と相談を受けたんです。そして、私に「また頑張ってほしいです」と。いろいろな方にご迷惑をおかけしても、こうやって相談してもらえるんだって。すごくありがたかったし、その人たちのおかげで「冷静にならなきゃいけない」と気づかされた。

 手紙をきっかけにその親子とは今でも交流があります。立ち直れた一番のきっかけ。人前でプレーをするアスリートの意味がそこにあった。

 元気な時ではなく、怪我でつまずいたときから応援し始めてくださった方もいたんです。お手紙やメールで「つらいとは思いますが、しっかり前を向いてまた立ち上がってください。またあなたの走りを見たいです」というメッセージをいただいた。私にとって、どんな言葉よりも綺麗で素晴らしい言葉。本当に支えになって、立ち上がるきっかけにもなりました。

 諦めずにずっとそばで支えてくれたスタッフもいます。私を守ってくれた。一般の方には励ましだけではなく、攻撃的な言葉をいただいたこともあって。でも、それは私の目につくところには置かず、スタッフだけで確認して励ましのメッセージだけ私に出してくれた。また一緒に頑張っていこうと感じました。

 私の中では北京五輪の失敗もなくてはならない出来事だった。人生は山あり谷あり。頂点を見て、今度はどん底を見た。いいことばかりではない。ネガティブな状況に一度だけ自分の殻に閉じこもったことがあったけど、困難な時こそしっかりと冷静に周りの声を聞くことが大事だなと感じた。

 北京五輪の舞台には立てなかったけど、そこに至るまでに記録にチャレンジして日本記録を出せたり、金メダリストとして追われる立場の中で代表権を掴みとれたり、アテネ五輪で満足することなく上を見続けられた。まだまだいける、先をどんどん見ていこうと思えたことは、その後の人生にも繋がっています。

 だから今回の五輪を見ていても、海外選手が冷静に気持ちを切り替えている姿を見て、それが大切なんだなと感じます。人間は生きる上で、また新しいウイルスや何か別の想像もつかない困難にぶつかるかもしれない。コロナ禍でいろんなことを考えさせられる五輪になった。

「五輪は出場することに意義がある」と言われますが、出場できなくても得るものがあります。陽性になって出場できなかった選手は本当に悔しかったと思いますが、この悔しさをバネにできる。パワーに変えられると思うんです。

 励ましの声がたくさん届いているはず。その声をしっかりと自分の力にして、これからまた気持ちを切り替えてほしい。自分だけじゃない。オリンピックを超える力を出せるように頑張ってほしいと思います。

■野口みずき/THE ANSWERスペシャリスト

 1978年7月3日生まれ、三重・伊勢市出身。中学から陸上を始め、三重・宇治山田商高卒業後にワコールに入社。2年目の98年10月から無所属になるも、99年2月以降はグローバリー、シスメックスに在籍。2001年世界選手権で1万メートル13位。初マラソンとなった02年名古屋国際女子マラソンで優勝。03年世界選手権で銀メダル、04年アテネ五輪で金メダルを獲得。05年ベルリンマラソンでは、2時間19分12秒の日本記録で優勝。08年北京五輪は直前に左太ももを痛めて出場辞退。16年4月に現役引退を表明し、同7月に一般男性との結婚を発表。19年1月から岩谷産業陸上競技部アドバイザーを務める。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)