連載「松田直樹を忘れない 天国の背番号3への手紙」13通目 松本山雅MF田中隼磨 かつて日本サッカー界に輝く唯一無二のD…
連載「松田直樹を忘れない 天国の背番号3への手紙」13通目 松本山雅MF田中隼磨
かつて日本サッカー界に輝く唯一無二のDFがいた。松田直樹。横浜F・マリノスで背番号3を着け、日本人離れした身体能力で数多のFWを封じ、2002年ワールドカップ(W杯)日韓大会で日本代表の16強に貢献。プレーはもちろん、歯に衣着せぬ言動とカリスマ性で選手、ファンに愛された。しかし、2011年の夏、所属していた松本山雅の練習中に急性心筋梗塞で倒れ、8月4日、帰らぬ人に。34歳の若さだった。早すぎる別れから、もう10年――。
節目の年に合わせた「THE ANSWER」の連載「松田直樹を忘れない 天国の背番号3への手紙」。その功績と人柄を語り継ぐため、生前にゆかりがあった選手・関係者らが命日となる8月4日まで連日、天国の背番号3への想いを明かす。第14回は横浜F・マリノスで6シーズンあまり、ともに戦ったMF田中隼磨。松本山雅で松田さんの背番号3を受け継ぎ、今も「ありがとう 松田直樹」とメッセージが入ったアンダーシャツを着て戦う想いを綴る。(構成=藤井 雅彦)
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マツさんが突然倒れてから10年が経つけど、僕はこの10年を長かったとか短かったとか時間の尺度で考えられません。松本という土地でプロサッカー選手を続けているとピッチ内外において常にマツさんに見られている感覚で、一緒に戦っている気持ちなんです。
今、マツさんが住んでいた家の近くに住んでいます。毎朝、練習グラウンドに通う時には「マツさんもこの道を車で走っていたのかな」なんて想像して、マツさんの愛車やそのエンジン音を思い出します。それからマツさんが倒れてしまったグラウンドは、僕が小さな頃から試合や練習で使用していた場所なんです。身近な人が身近な場所で倒れてしまうなんて想像もしなかった。
当時、名古屋グランパスに在籍していた僕はナラさん(楢﨑正剛)と闘莉王、アレックス(三都主アレサンドロ)と一緒に松本へ駆けつけました。あの日のことは昨日のことのように思い出せるし、マツさんが病院で治療を受けていた姿も脳裏に焼き付いている。練習グラウンドに向かう時はあの病院の前を必ず通るんです。あえて違う道を通ることもできるけど、なぜかそれをする気になれない自分がいる。
松本山雅からオファーをもらった時、クラブから「背番号3をつけてほしい」と打診されました。その意味と重みは十分に分かっていたつもりなので即答できなくて……。マツさんのお母さんとお姉さんに連絡させてもらって、背中を押される形でようやく決心できました。自分の中で覚悟が決まり、マツさんのためにもこのクラブをJ1に昇格させるという使命感に駆られました。
世界中に日本語と英語1枚ずつ、今も着続けるアンダーシャツに込めた想い
加入したシーズンに悲願のJ1昇格を成し遂げることができたのはマツさんのおかげです。ユニフォームの下に着ていたアンダーシャツは、マツさんが亡くなってしまった直後の試合から毎試合欠かさず身につけています。個人的にadidasさんにお願いして作ってもらったものなので、世界中を探しても日本語版と英語版の1枚ずつしかありません。
アンダーシャツに文字を書いてメッセージを届けるというアイディアは、実はマツさんが横浜F・マリノス在籍時代に何度かやっていたこと。僕自身も2004年のチャンピオンシップの時に怪我で出場できなかった安貞桓の名前を書いたアンダーシャツを着ました。
マツさんは2007年に怪我から試合に復帰して、試合後に一緒にリハビリしていた選手たちの名前を書いたアンダーシャツを着てスタンドにアピールしていたこともありました。ただ、翌日のミーティングで早野宏史監督に「直樹、ああいうのはやめろ」と公開説教を受けていたけど(笑)
高校3年生の時にプロデビューさせてもらってから、気性の激しいマツさんと言い合いになったのは一度や二度ではありません。負けてたまるかとばかりに言い返してしまったのは若気の至りで、今思えば「この生意気な小僧め」と思われていたでしょうね。
よく覚えているのは、マツさんがベンチに座っている監督の岡田(武史)さんのところへ行って「隼磨がもうヤバいから交代させてよ!」と叫んでいたこと。監督じゃないのに声に出して交代を要求できるのはマツさんくらいでしょう(笑)。それで本当に交代させられたことはないけど、さすがに納得いかなかったので必死に頑張りました。それがマツさんの本当の狙いだったとしたら、僕はお手上げです。
こんなにもチームや組織にとって影響力のある選手はいません。マツさんのモチベーションが上がっていて気分的にもノッている時は、すさまじいエネルギーを発してチームを前へ導いてくれます。自分は10代後半から20代半ばまでの時間を一緒に過ごさせてもらって、リーダーや中心選手としての立ち居振る舞いを勉強させてもらいました。
我が道を行くヤンチャなマツさんの背中を見て感じたこと
反対に、マツさんの良くない部分もたくさん知っています。一度、退場処分になってキャプテンマークをピッチに投げつけたことがあって。それを近くで見ていた自分はついスイッチが入ってしまって「こんなことするならキャプテンやめてしまえよ!」と言ってしまった。マツさんは振り向かずにロッカールームへ引き揚げていったけど、きっと聞こえていたでしょう。
僕はそのまま岡田さんに「あんなのがキャプテンだからチームがこんなふうになっちまうんだよ!」ともう止まらない状態になってしまって(苦笑)。試合が終わって数日してマツさんから「隼磨、そういえばオレが退場した時に何か言っていたよな?」と言ってきたのは、チームや仲間に対して申し訳ないことをしたと思ったからですよね?
そうやっていつも我が道を行くヤンチャなマツさんの背中をずっと見てきました。あっ、背中といえばマツさんが2001年に日本代表の一員としてフランス代表と対戦して0-5で大敗した後、帰国してそのまま東戸塚のクラブハウスに来て筋トレを始めたのは衝撃的でした。それで僕に「世界と戦うには“後ろの筋肉”が大事なんだよ」と語り始めた(笑)。背中やお尻、太もも裏の筋肉の重要性を教えてもらい、僕も筋トレでは後ろの筋肉を意識するようになりました。だから39歳になっても現役を続けられているのはマツさんのおかげです。
今、僕の背中には3番があるけれど、松本山雅の背番号3は松田直樹しかいないと思っています。僕は選手やスタッフ、そしてファン・サポーターを代表してマツさんのユニフォームを着ているだけ。自分の背番号という意識はまったくありません。
試合中や練習中にふと空を見上げて、マツさんは今頃どうしてるかな、と思う瞬間があります。そのたびにマツさんの闘志剥き出しの姿勢や激しい口調が蘇ってきて、それが自分を奮い立たせるエネルギーになる。そういう意味では僕とマツさんは日頃から会話しているんです。
だから、改めてのメッセージはありません。「松本山雅を強くしてマリノスと戦う」というマツさんの意志を大切に受け継ぎたい。そのために、今はまずJ1の舞台に上がらないと。
そしてマツさん、また一緒に同じピッチで戦いましょう。
松本山雅FC
田中隼磨(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)