「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#48「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信す…

「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#48

「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信する。今回は編集部記者が送るコラム。白血病で長期休養していた競泳・池江璃花子(ルネサンス)は今大会3種目に出場した。長い闘病の末にたどり着いた夢舞台。日本のみならず、海外からも復帰を願う人がいた。

 その一人が、リオ五輪100メートルバタフライ金メダリストで親友のサラ・ショーストロム(スウェーデン)。2年前には闘病中の池江へ、記者を通じ、1枚のポストカードが贈られていた。4つの世界記録を持つショーストロムに依頼した記者が、当時の経緯を明かす。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

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 目の前にいる五輪女王は、温かい笑みを浮かべていた。2019年7月23日、光州の南部大市立国際水泳場。世界水泳の取材で韓国にいた私は、ショーストロムに闘病中の池江に向けた直筆メッセージをお願いした。他に記者もカメラマンもいない部屋。休養日に快く了承してくれた金メダリストは、1枚のポストカードを手にしたまま、考え込んだ。

 金髪をくくった練習ウェア姿。その目は遠くを見つめながら、少し悩んでいるようだった。20秒ほど。その時間の長さに、池江に対する思いを感じた。182センチの長身を折り曲げ、机に置いた真っ白のカードに中腰でペンを走らせる。レースで戦った。一緒に合宿もした。食事にも出かけて笑い合った。ライバルでもある親友へ。多くの思いを巡らせながら、一つだけ言葉を選んだ。

「Stay Strong Ikee!!!」

 限られたスペースに大きく書かれたワンフレーズ。力強いメッセージに可愛いハートマークが添えられていた。

「強くあれ」――。ショーストロムが短い言葉を記した時、私は「あなたのメッセージは彼女の励みになるし、とても喜ぶと思う」と伝えた。「それが一番よ」と微笑んだ世界女王。くっきりと浮き出たえくぼは、思いやりに溢れていた。

 思いを感じる出来事は、前日にもあった。22日の女子100メートルバタフライ決勝直後。2位のショーストロムら表彰台に上がった3選手が、カメラに向けて一斉に手をかざした。「Rikako」「(ハートマーク)」「NEVER」「GIVE UP」「Ikee」「(ハートマーク)」と6つの手のひらに記したメッセージ。病を公表して5か月後の池江に向けたものだった。

「おー!」と沸き立つプレスルーム。海外記者たちも「今、なんて書いてあった!?」と慌てて確認していた。世界中のメディアが続々と報道。取材エリアは、メダリスト3人からメッセージの意図を問う記者でごった返した。当時、表彰式直前に発案したというショーストロムは「私たちが彼女を思い続けているということを目に見える形で伝えた。彼女が水泳を大好きなことは、みんなが知っているわ」と語っていた。

 池江が病を公表したのは19年2月。一報を聞いたショーストロムは「本当にショックで言葉がありませんでした」と胸を痛めたという。だからこそ、すぐに2ショットの画像をインスタグラムに投稿し「涙が溢れている。私のありったけの力と愛を送ります」とつづった。

サラの思いを形に残せないか、託された「for Rikako」は池江の手元に

 胸を痛めたのは、親友だけではない。親族や他の代表選手は言うまでもなく、メディアだってそうだ。東京五輪を目指す18歳を襲った病。彼女のために何かできないのか。私がショーストロムにメッセージを依頼したのは、手のひらをかざした表彰式の翌日のこと。レースのない休養日に契約メーカー主催の会見が開かれた後だった。

 各国の報道陣50人ほどが集まった会見。ショーストロムは、手のひらをかざした理由や池江に対する気持ちを赤裸々に明かした。彼女の思いを活字で伝えるだけではなく、池江のそばに形として残しておくことはできないか。会見前に報道陣に配布されていたのが、契約メーカーのグッズセット。その中に1枚のポストカードが入っていた。

 これしかなかった。会見が終わって各自撤収する中、お節介は百も承知でスウェーデン協会の女性広報に話しかけた。つたない英語に怪訝(けげん)な表情をされたが、身振り手振りの間に詰めた「for Rikako」だけは伝わった。

 その場で案内された部屋に入り、ショーストロムと対面。突然の申し出にも関わらず、真正面から応えてくれた。肩書きや体格の迫力と裏腹に、柔らかい笑顔が印象的な気さくな人だった。

「for Rikako」の思いを託された1枚のポストカード。汚れが付かぬよう大切にノートで挟み、「届けますよ!」と受け入れてくれた池江の関係者に渡した。池江にとって憧れで、目標でもあったショーストロム。親友の温かく、優しい思いを込めた直筆メッセージは無事に本人へと届けられた。

 簡単には計り知れない闘病生活を経てたどり着いた東京五輪。池江は会場でショーストロムと再会し、涙を流した。そして今日、4本目のレースを泳ぎ切り、ショーストロムは50メートル自由形で銀メダルを獲得。400メートルメドレーリレー決勝では、2人が同じレースに出場し、夢の舞台で再び戦った。

 立つことすら想像できなかった五輪を終え、池江は何度も涙を拭った。声を詰まらせながら、感謝の言葉をつないだ。

「この5年間は本当にいろんなことがあった。一度は諦めかけた東京五輪だったけど、またリレーメンバーとして決勝の舞台で泳ぐことができて凄い幸せだなって思います。結果を出せたわけじゃないけど、自分が出られるか、出られないかわからない状況からここまで来て、無事に五輪が開催された。またここに戻ってくることができて本当に嬉しいです」

 ショーストロムにポストカードを託されてから740日が経った。五輪までの道のりにあった、遠く離れたライバルからの友情。「幸せ」という言葉を聞けて、とにかくよかった。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)