「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#47「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信す…

「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#47

「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信する。陸上はスプリント指導のプロ集団「0.01 SPRINT PROJECT」を主宰するアテネ五輪1600メートル4位の伊藤友広氏と元400メートル障害選手でスプリントコーチの秋本真吾氏が、走りの新たな視点を提案する「走りのミカタ」を届ける。

 第2回は「速い選手と強い選手の違い」。31日の男子100メートル予選は日本人の3選手ともに敗退となったが、世界のトップスプリンターが集まる五輪の短距離レース。持ちタイムが上位であってもレースになると自己記録に及ばず、波乱が起こるのは珍しくない。なぜ、国際舞台で持ちタイム通りに記録を出すのが難しいのか。選手たちが陥る心理と繊細な感覚を解き明かす。(取材・構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

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 陸上短距離で起こる波乱。もちろん、そもそもの実力差に加え、調整の過程、その日の体調などの条件に左右されることがあると想定した上で、注目したいのは「力み」と「リラックス」という。

「短距離になればなるほど、瞬間的に力を出すことが必要になり、“入れる”“抜く”という意識が大切になります。本来、スプリントはリラックスした状態がベースにあり、足の接地の瞬間だけ、ポンッと力を入れて動いていく。それが緊張だったり、相手のことが気になったりでリズムが崩れる。つまり、体に力が入る時間が長くなる。それにより、腕振りや接地にズレが生じ、パフォーマンスがベストではなくなることがあります」(伊藤)

 しかし、日々たゆまぬトレーニングを積んでいるアスリート。本番も同じ距離。にもかかわらず、どうしてレースで硬くなり、実力通りのタイムを出せなくなるのか。

「例えば、僕は大会プログラムを見て持ちタイムを確認します。この選手は自分のタイムよりも速いから付いていこうとイメージしますが、いざ、いきなり内側からノーマークの選手に抜かれることがある。その時は焦って、急に力が入る。想定していたレースとちょっと違う展開になっただけで本来の動きができなくなってしまいます。様々な状況を想定してレースパターンを組み立てておく準備が必要です」(秋本)

「200メートルや400メートルのようにスタート位置が階段状になっていると、否が応でも他の選手が目に入り、起こりやすいケース。ただ、100メートルのように横並びであっても、自分の視界に隣のレーンの選手が入るだけで力みが生じてしまうこともあります。

 力みとは別の理由でタイムに影響するのがピーキング。特に強豪国の選考会を勝ち抜くことは容易ではなく、まずは国内で勝ち抜くために五輪前に調子のピークを持ってきて、五輪本番ではピークを過ぎており、ベストタイムを下回るパフォーマンスとなってしまう例もあると思います」(伊藤)

 持ちタイムが速いからレースで勝てるわけではない。「速い選手」と「強い選手」は「=」で結ばれないという前提が、陸上短距離の面白さだ。

互いが見えない状態で100メートルを走ったら勝つ人が変わる?

 秋本氏は仮説をもとに、こんな想像をふくらませる。

「実際にはあり得ないですが、選手と選手の間に競馬の出走ゲートのように衝立があり、互いが見えない状態で100メートルを走ったら勝つ人が変わるかもしれない。競り合いがなくなりリラックスして実力を発揮できるようになる選手もいれば、逆に力が入らずにタイムを落とす選手もいる。僕は複数で走る方が好きなので、苦手だった1人での走りはタイムを落としているかもしれない。そういう考え方も仮説としてはあります」(秋本)

「力み」と「リラックス」について、野球やサッカーなど他競技のトップ選手のスプリント指導も手掛けている秋本氏は、こう置き換えて説明する。

「僕は“オン”“オフ”という表現で言うのですが、陸上以外のトップアスリートに説明すると『走りのオンとオフって何?』となる選手が多いです。例えば、野球選手に説明するのは『バットをボールに当てる時、ずっと力を入れてスイングしませんよね』『バットにボールが当たってから、グーッと押し込んでないですよね』、サッカー選手なら『ボールを蹴る時、足を当てる時にグーッと押し込んでないんですよね』と例えて言う。

 結局、力を入れるタイミングはどの競技も一瞬。それがバットとボール、足とボールの関係が、走りになると足と地面になるという話。地面に着いた時に一番大きい力を出し、あとは抜かなければいけない。縄跳びをする時、地面に足が離れている間も力を入れて跳ぶ人はいません。地面に着いた時だけ力を入れ、あとは抜く。このオンとオフがスプリンターになると、大切な腕振りや接地のタイミングにズレが生じる感覚です」(秋本)

 走りにおいて大切になる「リラックス」であり「オフ」の意識。しかし、一般レベルになると注意が必要になるという。特に子供たちだ。

「例えば、子供は逆に自分よりちょっと速い人と一緒に走った方が、タイムが出ることがある。足が遅い子の特徴の一つが、ふにゃふにゃとして力を入れられないパターン。そういう子は、前に追いかける目標があると自然と力が入る状況になり、タイムが上がることが多い。

 オフの前にまずはオンがどのような状態かを体感することが大事。一瞬で大きな力を出すジャンプのようなトレーニングがおすすめです。反対に力がうまく出せない子に『リラックスしよう』という言葉がけをしてしまうとなおさら力が入らなくなって遅くなることが多いので注意が必要です」(伊藤)

 100メートルならわずか10秒。その間に力を“入れる”“抜く”が、勝負の命運を分ける。走りの奥深さはこんなところにも表れている。

■伊藤友広 / Tomohiro Itoh

 1982年生まれ、秋田県出身。国際陸上競技連盟公認指導者(キッズ・ユース対象)。高校時代に国体少年男子A400メートル優勝。アジアジュニア選手権日本代表で400メートル5位、1600メートルリレーはアンカーを務めて優勝。国体成年男子400メートル優勝。アテネ五輪では1600メートルリレーの第3走者として日本歴代最高の4位入賞に貢献。現在は秋本真吾氏らとスプリント指導のプロ組織「0.01 SPRINT PROJECT」を立ち上げ、ジュニア世代からトップアスリートまで指導を行っている。

■秋本真吾 / Shingo Akimoto

 1982年生まれ、福島県出身。双葉高(福島)を経て、国際武道大―同大大学院。400メートルハードルで五輪強化指定選手に選出。200メートルハードルアジア最高記録(当時)を樹立。引退後はスプリントコーチとして全国でかけっこ教室を展開し、延べ7万人を指導。また、延べ500人以上のトップアスリートも指導し、これまでに内川聖一(ヤクルト)、槙野智章、宇賀神友弥(ともに浦和)、神野大地(プロ陸上選手)、阪神タイガース、INAC神戸、サッカーカンボジア代表など。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)