「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#44「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信す…
「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#44
「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信する。陸上はスプリント指導のプロ集団「0.01 SPRINT PROJECT」を主宰するアテネ五輪1600メートル4位の伊藤友広氏と、元400メートル障害選手でスプリントコーチの秋本真吾氏が、走りの新たな視点を提案する「走りのミカタ」を届ける。
第1回は「短距離種目のイケてる流し方とイケてない流し方」。100メートル~400メートルの短距離種目の予選では、有力選手がゴール前に減速し、左右を確認しながら、流すシーンをよく見かける。準決勝に余力を残すために必要な戦略と思われるが、その方法によって実はデメリットも考えられるという。いったい、なぜか。今夜の男子100メートル予選を前に2人が見解を語った。(取材・構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
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8月1日の準決勝に向けたステップとなる男子100メートル予選。国際舞台では、有力選手がゴール前に流しながらゴールするシーンが目に付く。その裏には「イケてる流し方」と「イケてない流し方」が存在するという。
「全力で走っている時とそうじゃない時の走り方は筋収縮や神経の働きが違うことがわかっています。例えば、途中まで全力で走り、残り20~30メートルを流す場合、急な減速を伴うブレーキをかけたり、走りのリズムや力の出し方を途中で大きく変えたりすると、筋肉へのダメージ、筋肉をコントロールする神経の働きがそのまま走った時と異なってしまいます。その時は何ともないかもしれませんが、それが次のラウンドの走りのリズムを崩してしまいかねないと言われています。
では、後半流す意味は何なのか。ちょっと力を抜いた程度ではそれほどスピードが変わらないことも、もちろんあります。しかし、違う見方をすると、力んで走ると必要以上に力を入れてしまって、地面を蹴りすぎたり、力を入れるタイミングがずれたりで怪我のリスクが高まる可能性がある。できる限り、さーっと自然に抜くことによって、スピードは維持しながら、必要以上のダメージを残さない。良い動きをキープし、良いイメージを作った上で、次のラウンドに向かうことや怪我リスクを低減させる意味合いで、どのように力を抜くかが大切になってくると考えられます」(伊藤)
急激な減速はむしろ、後の肉体的な負担や走りの狂いにつながるという“流し”。これを上手にやっているのが100メートル日本記録保持者の山縣亮太という。
「走っているフォームを外側から見ると違いがわかりづらいかもしれませんが、上手に力を抜いている印象。それで確実に次のラウンドでタイムを上げていきます」(伊藤)
しかし、残り20メートルを流したとして、わずか2秒。最後まで全力で走った場合と、肉体的な疲労度の差は生まれるのか、気になるところ。
「その2秒は大きいと思います。“流している2秒”と“全力を出している2秒”は全然違う。自分も100メートルを走ってみると、80メートルくらいからフォームがバラバラになっていくことがありました。それくらい鍵になる後半の2秒は、かなり負荷が大きいのではないかと感じます。ただ、なかには周りの選手に余裕があるように見せるため、無理に顔を横に向けるなどのポーズをするシーン見かけることも陸上界ではあります」(秋本)
「スピードが出ているほど、着地の瞬間の衝撃は高まります。1歩あたり体重の5倍以上、70キロの選手なら350キロ以上の負荷がかかる計算。残り20メートルを9歩で走った場合、『9歩×体重の5倍以上』と考えると、翌日に0.01秒を競りにいく選手にとってはこの区間をどのように走るか、力まずに自然な走りができるかは、その後に影響が出てきます。筋肉の部位で言うと特に影響が出るのが、ハムストリングス(太ももの裏)と尻。また、全力疾走の大きな衝撃に耐えるため、姿勢を保つ筋肉である腹筋・背筋が次の日に筋肉痛になることもあります」(伊藤)
やはり、流すメリットはある。だからこそ、上手に力を抜くこともポイントになってくる。
ボルトとジョンソンクラスのトップ選手に見る「流し方」
流すという点で浮かぶのは、100メートル世界記録保持者のウサイン・ボルト(ジャマイカ)。世界選手権、五輪の予選では他の選手を子ども扱いするかのように力を抜くことがあった。
「ボルト選手のレースでいうと、スピード曲線も絡んできます。100メートルを最後まで加速しながら走り切れない。ある程度のところで最高速から落ちていく。このレースも60~70メートルまである程度力を発揮しますが、最高速度が他の選手と大きな差がある。なので、ボルト選手が減速し始めても、他の選手たちは全力で走っていても自然に減速が始まるので、差が詰まらない。余裕をもって流せているわけです。
ただ、距離が400メートルに延びてくると、より分かりやすくなります。この距離の世界記録保持者マイケル・ジョンソン選手(米国)は300メートルまでの入りの速度が圧倒的で、ボルト選手と同じように他の選手と全く違う。残りを速度が乗ったまま、上手に流しにいく。ゴールでは2位の選手が詰めてくるのですが、スピード曲線としては緩やかなので、個人的には『イケてる流し方』の一つかなと感じます」(秋本)
有力選手にとっては、実力差はあっても「準決勝→決勝」のステップを考えると、実は奥が深い予選。残り20メートルをどう走るか、レースを見る新たな視点として楽しめる要素になる。
■伊藤友広 / Tomohiro Itoh
1982年生まれ、秋田県出身。国際陸上競技連盟公認指導者(キッズ・ユース対象)。高校時代に国体少年男子A400メートル優勝。アジアジュニア選手権日本代表で400メートル5位、1600メートルリレーはアンカーを務めて優勝。国体成年男子400メートル優勝。アテネ五輪では1600メートルリレーの第3走者として日本歴代最高の4位入賞に貢献。現在は秋本真吾氏らとスプリント指導のプロ組織「0.01 SPRINT PROJECT」を立ち上げ、ジュニア世代からトップアスリートまで指導を行っている。
■秋本真吾 / Shingo Akimoto
1982年生まれ、福島県出身。双葉高(福島)を経て、国際武道大―同大大学院。400メートルハードルで五輪強化指定選手に選出。200メートルハードルアジア最高記録(当時)を樹立。引退後はスプリントコーチとして全国でかけっこ教室を展開し、延べ7万人を指導。また、延べ500人以上のトップアスリートも指導し、これまでに内川聖一(ヤクルト)、槙野智章、宇賀神友弥(ともに浦和)、神野大地(プロ陸上選手)、阪神タイガース、INAC神戸、サッカーカンボジア代表など。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)