7.1 TDCホールで「GLEAT」の旗揚げ戦を行ったリデットエンターテインメント。それまで選手のマネジメントや単発の興行、NOAHの運営等バックアップを行ってきた。そして満を持して団体を設立。エグゼクティブディレクターに田村潔司、オブザー…

7.1 TDCホールで「GLEAT」の旗揚げ戦を行ったリデットエンターテインメント。それまで選手のマネジメントや単発の興行、NOAHの運営等バックアップを行ってきた。そして満を持して団体を設立。エグゼクティブディレクターに田村潔司、オブザーバーとして長州力、最高技術責任者にカズ・ハヤシ、最高戦略責任者にNOSAWA論外(2020年10月退任)が就任。今回、代表取締役社長である鈴木裕之氏にダメ元で取材を申し込んだところ快諾。その模様を2回に分けてお届けする。前編は鈴木社長の生い立ちからプロレス事業に関わるまで。

――プロレスに興味を持ったキッカケから教えていただけますか?

鈴木:初代タイガーマスクさんです。とにかくタイガーマスクさんに釘付け、これまで経験したことのない衝撃を感じた記憶があります。その前、プロレスを観ていたかどうかの記憶がないのですよ(苦笑)。でもタイガーマスクさんが出てきたことは鮮明に覚えていますね。

とにかくタイガーマスクさんを追うようにプロレスにハマっていき、そこからアントニオ猪木さん・長州力さん・藤波辰爾さんを知りました。あの頃の新日本プロレスさんは海外の選手やベテラン選手、若手レスラーが境界線のないリング上で自己主張していましたね。

新日本プロレスさんを観て「大人になるとは、こんな感じなのか」と思い、自分がこれから勝負する社会とリング上のレスラーを重ねていました。

――プロレスから多大な影響を受けたのですか?

鈴木:新日本プロレスさん、松本零士さん「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」、手塚治虫さん「ブラックジャック」、高橋留美子さん、シルヴェスター・スタローンさんで、僕のほとんどが出来上がっています。恋愛は「うる星やつら」から学んでとか(笑)

あと水島新司さんの「ドカベン」と新日本プロレスさんを繋げて見ていました。「一つのチームで何かを成し得ていくところ」ですね。そういったものが僕を育んでくれます。

――身長が180cm以上ありますが、学生時代は運動していましたか?

鈴木:野球をしたり、「あしたのジョー」の影響でボクシングをかじったことはありますが真剣にスポーツに取り組んだことはないですね。実は学生時代、貧血気味になることがありました。身長が小学4,5年から中学3年にかけて一気に伸び、夜寝ていると骨が大きくなり骨が軋む音が聞こえるんです(苦笑)。

実は(身長が)今も伸びているんですよ。

――えっ、どういうことでしょうか?

鈴木:昨年が186cm、今年が187cmでした。日によって多少の変化はあると思いますが、主治医に健康診断の際、「この3年で成長してますね」と言われました(笑)。

中学生の時には180cmはあったと思います。身長順に並んだ時、つねに1番後ろでしたから。

――それだけ身長があると、プロレスをやってみようと思いませんでしたか?

鈴木:ボクシングや野球は、漫画やアニメから影響を受けやってみたいと思いましたが、プロレスは思いませんでした(苦笑)。プロレスは「やりたい」より「できない」の方が強かった。リングに上がっているレスラーの輝きが凄くて同じ人間という感覚がなかったですね。

――良く分かります。レスラーは超人ですよね。ところで社会人になった後のお話を教えて下さい。

鈴木:高校卒業後、会社を設立したけど失敗、その後イギリスに2年間留学しました。正直にいうと留学ではなく「遊学」ですね(苦笑)。社会に出て挫折感を味わった時、父から「海外に行ってきたらどうだ?」と提案されました。

――留学先がイギリスだった理由はなんでしょうか。

鈴木:当時、聞いている音楽がアメリカよりもイギリス寄りでした。ミュージカルとかエンターテイメントが好きで自分に合っているものがイギリスにあった。言葉を覚えたい、というより「本物に触れたい」気持ちが強かったですね。

アメリカは何もかも大きくてダイナミック、対してイギリスはインテリジェンスでクールな感じがしました。あの頃の自分は、それを求めていたのかもしれません。

――それで約2年間イギリスで生活していたのですね。

鈴木:実は1年過ぎた時、イギリスのホームオフィスに面接を要求されて行ったら、「君は全く英語の勉強していないから強制送還だ」と言われました。

――日本に帰ることになったのですか?

鈴木:実はその時期イギリスで飼っている猫が病気になりました。イギリスは大きな動物愛護団体が5つ存在するほど動物を大切にする国です。それで猫の治療のため滞在するビザが半年延長になりました。

――動物の治療で滞在ビザが延長になるのはスゴイですね。

鈴木:なんの躊躇もなくビザ半年延長のハンコを押してくれましたよ(笑)。

――その半年間、英語をみっちり勉強したのですか?

鈴木:しないですね(笑)毎日、ミュージカルやコンサート、映画鑑賞していました。あとはイギリスに住む日本人の「ミュージカルのコンサートチケットを取ってほしい」「ファミコンの取付けをして欲しい」と言った御用聞きをしてお小遣いを稼いでいました。

――映画はすべて英語ですよね?

鈴木:会話の中身は分かりませんが、観たい映画なので内容は理解できました。

――なるほど。その2年間のイギリス生活を経て日本に戻り、改めて起業したのですか?

鈴木:しませんでした。イギリスから帰国し「なぜ自分は社長になりたいのか」と自問自答しました。もともと「社長になりたい」という気持ちと直結してくるのが「お金」。

今でこそテレビドラマで不倫が事件の原因になっていますが、当時の火曜サスペンス劇場等はお金にまつわること、例えば相続で人が殺されたりする内容が多かった。それを観て「お金にコントロールされるのではなく、お金をコントロールしないとダメだ」と子供ながらに思いました。そうならないためには「総理大臣になるか、社長になるかの二択しかない」と(苦笑)。

――その二つの選択肢ですか(笑)。

鈴木:総理大臣にはなりたくないけど、社長はなりたい。それで社長にこだわっていたのはありますね。イギリスから帰国し自問自答した時、「やはり社長になりたい」と。ただ「すぐになりたい」ではなく「何年でなれるだろう?」と考えました。

イギリスから帰国したのが22歳、様々なことを考慮し「35歳くらいに社長になろう」と決意しました。そのためにパチンコホールや広告代理店など、いろいろな場所で働きました。実は「リデットエンターテインメント」は自分で創業した会社ではありません。

約20年前、エス・ピー広告(2018年10月より「リデットエンターテインメント」へ社名変更)に入社した時は勢いがあり人を多めに採用、社長も高級車に乗っていました。

しかし、あとから入社した人の給与が元々働いていた人より高く、その方々がクライアントを連れて独立。それで経営が傾き、当時のオーナーより私に話がありました。その時点で社員は10名くらいしか残っていません。そこでオーナーに「全部、任せてくれるならやりたい」と話し、入社に至ります。

最初から創業者に五カ年計画・十カ年計画を提出し、計画通り一つずつクリアしていきました。そして37歳の時、代表権を私が預かりました。

――計画を立て、その通り結果を出したのですね。ところでどのタイミングでプロレス事業と関わるようになったのですか?

鈴木:新日本プロレスさんが厳しい時代に知り合ったのが、当時新日本の執行役員で現在NOAH取締役の武田有弘さん。うちの現専務が新日本プロレスさんに電話したらたまたま武田さんが出て、そこから新日本プロレスさんの広告販促部とやりとりが始まりましたね。

販促物の仕事をいただきながら、新日本プロレスさんを応援する形でチケットを購入し社員や顧客の方々と会場に足を運びました。あの頃は仲間達とプロレス観戦するくらいで「団体を設立しよう」とは思っていませんでした。

僕は「プロレスは社会の縮図」だと思っています。会社の社員や取引先の方々と一緒にプロレス観戦をすることで、「いろんなことを学んで貰えたらいいな」と思い多くの仲間たちと足を運んでいました。東京から福岡まで数十人と一緒に観戦ツアーもしましたね(笑)。

――チケット代以上に交通費と旅費が高くつきますね。

鈴木:そうです(笑)。でも年に一度のことですし、何より皆と楽しく過ごせました。

そのような経緯の中、2009年9月長州力さんに「弊社に顧問として入っていただけないか」と話をしたら快く引き受けて頂きました。

――長州さんは具体的には何をされたのでしょうか?

鈴木:イベント出演もありますが、主に弊社の営業フォローをお願いしました。私と同じ世代の方々にプロレスファンがたくさんいます。新規の顧客獲得や年末のクライアント様へのご挨拶回りに一緒に行って頂きます。

――挨拶回りで長州さんが来たら驚きますよね。

鈴木:リング上の「長州力」は男気が強く屈強というイメージがあると思いますが、営業の長州さんはお客様が喜んで下さる話をしてくれます。最近のトレンドにも詳しく、どんな話をしてもお客様の心に刺さるのです。本当になんでも話して下さいますね、プロレスの話以外は(苦笑)。

――僕も一度お会いした時「プロレスの話は苦手なんだよ」と仰っていました。

鈴木:営業に同行して頂く際、事前に「間違いなくプロレスの話が出るかもしれません」と確認すると、長州さんは「いいですよ」と言って下さいます。しかし、お客様からプロレスの話が出ると、それまで笑顔だった長州さんは真顔になります(笑)。

とにかくお客様には喜んで頂けました。長州さんも弊社を大変応援して下さり2013年10月まで顧問契約が続き、改めて2018年10月から取締役会長、2020年3月より顧問へ就任頂いています。

2014年頃、武田さんが新日本プロレスさんを退社しました。最初はプロレスと関係ない仕事をすると話していましたが、「やはりプロレス関連の仕事をしたい」と。そこで弊社に来て頂けるか打診、2016年9月に入社頂きました。

――プロレス事業は、どのようなことから始めましたか?

鈴木:現在、新日本プロレスさんにいるSANADA選手(当時 真田聖也選手)を2016年1月から1年間マネジメント契約を結び、彼をプロデュースしました。

――SANADA選手が大日本プロレスさんで活躍していた頃ですね。ちなみにプロデュースの具体的な内容を教えて頂けますか?

鈴木:服装やものの考え方から始まり、「どのようにしたら『真田聖也』の名前を拡げていけるのか」を一緒に考えました。彼はファッショナブルで品があります。現在、公の場でスーツ姿が多いと思いますが、そういった「見せ方」の部分を話し合いましたね。

――ある時期からSANADA選手の私服姿がスーツになった記憶があります。

鈴木:「会場に行く時からスーツ姿にした方がいいんじゃないですか?」と提案、あくまでも私たちは「SANADA選手の良さを引き出した」にすぎません。例えば「スーツを着てみたらどう?」と発案しても本人に興味がないと、「着せられている感」が出てしまいます。でも彼はおしゃれに関心が高く、「どのように着たらカッコよく見えるか?」を考えていました。

――なるほど。最初は選手の個人からスタートしたわけですね。

鈴木:2016年にSANADA選手個人のマネジメントからスタートして、次に武田さんに「興行をやってみたい」と相談しました。色々紹介頂き2016年8月からNOSAWA論外選手の「東京愚連隊」と同年10月メキシコのAAAの後楽園興行を開催、その後2017年2月から7月まで半年間DDTさんの若手興行「DNA」をお手伝いしました。

2018年1月から2019年6月まで長州さんの興行が4回ありました。本人は引退という言葉を使わず「シューズを脱ぐ」とおっしゃっています(苦笑)。そして2018年12月にNOAHの経営が始まりました。

個人から単発の興行、ロングラン興行から団体の経営。そして自分たちの団体「GLEAT」と繋がります。最初から大風呂敷を広げるのではなく、自分たちの身の丈に合った形で経験を積ませて頂きました。

 

<後編に続く>

 

<インフォメーション>

8.4 東京・新宿FACEにて「G PROWRESTLING Ver.2」が行われます。詳細に関してはGLEATのWEBサイトをご確認下さい→https://ent.lidet.co.jp

 

GLEAT(グレイト)公式YouTube→https://www.youtube.com/channel/UC2PAyViYA-fin48Swq_QWig

 

鈴木裕之Twitter→https://twitter.com/LIDET_Suzuki

GLEAT(グレイト)公式 Twitter→https://twitter.com/LIDET_ENT

 

取材・文/大楽 聡詞

写真提供/リデットエンターテインメント

 

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