【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】 2年ぶりに世界最大級の馬の祭「相馬野馬追」の取材をしてきた。 コロナ禍のため神…

【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】

 2年ぶりに世界最大級の馬の祭「相馬野馬追」の取材をしてきた。

 コロナ禍のため神事のみの開催となった昨年につづき、今年も規模を大幅に縮小しての開催となった。

 感染者が増えていた南相馬市は7月末まで「非常事態」となり、飲食店の営業が夜8時までとなるなど、緊急事態宣言下に近い状態に。そのため、雲雀ヶ原祭場地を舞台とする甲冑競馬、神旗争奪戦といった目玉のイベントが中止になった。

 それでも、状況の異なる相馬市と浪江町では騎馬武者行列が行われるなど、「馬の街」が、少しずつではあるが、本来の姿を取り戻そうとしている様子がうかがわれた。

 私は、初日の7月24日(土)には相馬中村神社での出陣式と、相馬市内で行われた騎馬武者行列、2日目の25日(日)には相馬太田神社での例大祭、3日目の26日(月)には相馬中村神社での上げ野馬の神事を見てきた。

 24日の騎馬武者行列では、相馬市に拠点を置く宇多郷の40騎ほどが2年ぶりに勇姿を見せた。相馬中村城跡の大手門で、背中の旗指物が引っ掛からないよう騎馬武者が背をそらせて通るたびに沿道から声が上がる。

「まもなく騎馬が通過いたします。警備にご協力ください」

 相馬野馬追執行委員会の先導車のスピーカーから音声が流れる。すぐ後ろにパトカーがつづき、さらに遅れて騎馬武者たちが、色とりどりの旗指物を風になびかせ、街中を堂々と進軍する。

 私が初めて相馬野馬追の騎馬武者行列を見たのは、東日本大震災が発生した2011年のことだった。10年前のそのときも縮小開催で、この地を練り歩いた宇多郷の騎馬武者は今年とほぼ同じ40騎ほどだった。

 通常開催なら400騎から500騎ほどが出陣するので、数のうえでは寂しく感じられるが、初めて見たときも感動した。

 交通規制がかけられた一般道をオフィシャルカーが走り、スピーカーでアナウンスがあってから選手が来るあたりは、箱根駅伝やWRC(世界ラリー選手権)に通じるカッコよさがある。そして、沿道に立ち、拍手と声援を送りながら見守る幅広い世代の人々を見ると、地域に根付いたイベント以上のもの――文化であることがわかる。

 大手門の前で騎馬武者が出てくるのを待っていると、小高郷軍者の蒔田保夫さんに会った。小高郷の侍たちは騎馬での出陣がないため、宇多郷の行列を見に来たのだという。

 通常開催の年なら、小高郷侍大将の今村忠一さんらと雲雀ヶ原祭場地まで行列で向かっている時間だ。そんなときに、普段着の蒔田さんとほかの騎馬会の行列を眺めているのは不思議な気分だった。

「あの馬の蹄鉄、外れかけているような音してんなあ」
「大手門をくぐるとき、背中をそらせるんじゃなく、前のめりになると、旗指物が馬の顔のとこさ来っから、よくないよな」

 そんな話をしながら10分ほど行列を見ただけで、蒔田さんは南相馬市鹿島区のほうで用事があるというので、帰ってしまった。

 やはり、騎馬武者として出陣したいという思いが強いだけに、見ているだけでは面白くないのだろう。

 翌25日に相馬太田神社で行われた例大祭に馬は参加せず、人間たちだけで行われた。

 26日、月曜日に相馬小高神社で行われた上げ野馬の神事に参加した馬は1頭。小高郷副軍師の本田博信さんが繋養する中間種のゴーリーという15歳のせん馬だった。

 例年なら、騎馬武者たちが参道の上り坂で裸馬を追い込み、それを御小人(おこびと)たちが捕らえて神前に奉納する「野馬懸(のまがけ)」が行われるのだが、今年は、あらかじめ社殿近くに控えていたゴーリーを奉納する形となった。

 炎天下で、日焼けと虫刺されに悩まされながら騎馬武者たちによる時代絵巻を追いかける、千年以上の伝統を誇るここだけの祭、相馬野馬追。

 来年こそ、通常開催を――。

 そう願って、馬の街をあとにした。

 (文=島田明宏)