「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#34「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信す…

「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#34

「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信する。柔道では、活躍した選手の恩師の育成法をクローズアップした短期連載を掲載。第5回は女子70キロ級で金メダルに輝いた新井千鶴(三井住友海上)だ。師は児玉高校の柏又洋邦監督。県立高校で立地も恵まれているとは言えない場所で、ハンデを克服する工夫をこらした。(取材・文=THE ANSWER編集部)

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 新井の母校・児玉高校は八高線の児玉駅から徒歩15分の場所にある。埼玉の北西部に位置し、神流川を渡ると、そこは群馬県藤岡市。自然あふれるのどかな環境の中で、全国的には無名だった新井は柔道家として開眼、やがて強豪実業団の三井住友海上からスカウトされるまでの急成長を遂げた。

 柏又監督の指導は、とにかく生徒の自主性を重んじる。「本人たちが何を望んでいるか、本心を確認した上で、そのために必要なことを確認してから練習を始める。押し付けることは極力したくない」との方針で、新井に向き合った。

 小学校1年のとき、柔道を始め、中学では関東大会止まり。全国大会には及ばなかった。柏又監督に伝えた目標は「全国に出て、結果を残したい」。そのために何をすればいいかの道筋が決まると、懸命に練習に取り組んだ。最大の長所は精神力で、「技術、体力は当然、秀でたものはあったけど、性格ですね。人間性というか、真摯な取り組み方を継続してできる。根気強さが優れていた。それが持ち味」と柏又監督は明かす。

 地方高校ならではのハンデはあった。「県立高校で埼玉のはずれ。交通の便もあるし、選手も集まりづらい。部員も地元の子ばかり」。全国からトップ選手をかき集める都会の強豪校と比べれば、環境面で違いがあった。練習相手の不足を埋めようにも、すぐに解決するような場所ではなかった。「田舎の辺境の地なので、簡単に出稽古ということもできない。よその学校ほどはできなかった。英才教育みたいな指導は一切していない」。たまに大学や他校の胸を借りることがあるくらいだったという。
 
 そんな状況で、いかに新井は強くなっていったのか。柏又監督が着手したのが学校のトレーニング施設の“改造”だった。

 児玉高校に赴任したとき、「箱だけあった」施設に、外国製の器具を導入した。関係各所に掛け合って、他校と同等の施設を作り上げた。「近隣でスポーツクラブもなかった。学校の中で完結できるような施設を作りたかった。箱だけあったので、中身に関しては好き勝手に言わせてもらった。ちょうどでき上がったときに新井が入学してきた」。複数の生徒が同時に利用しても、しっかり練習できる環境を整備。新井をバックアップした。

高校卒業後に三井住友海上入り「大学を出てからでは遅いかもしれない」

 練習は男女一緒。新井の乱取りの相手は女子ではなく、男子をあてた。「60~80キロの子が結構いた」といい、格好の相手となった。「練習が終わってからも納得がいかない部分があると納得いくまで練習したり、研究したりしていましたね」と柏又監督は日々、居残り練習で努力する新井の姿を覚えている。

 さらに新井の体重を増やすために、親に協力をあおいで食事のサポートをお願いした。部活ではプロテインやビタミン剤を補給させ、たんぱく質や炭水化物、糖質の適切な摂取の仕方など栄養学を教えて助言した。中学3年のとき、52キロ級だった新井は高校入学後、1年ごとに階級を上げ、高校3年で70キロ級に転向。メキメキと力をつけ、全国高校総体(インターハイ)に初出場初優勝の快挙を達成した。

 体重が増えてくると、柏又監督は個別トレーニングで強化した。100キロを超える師との乱取りも、新井は楽しそうにやっていたという。「私がいじめられていた感じです」。地方の県立高校でも、できることはすべて取り組んだ。引け目はなく、「強豪の学校と遜色ない練習はしていたつもり」と回顧する。
 
 新井は勉強の成績もよく、「ウチの学校では常にトップでした」と3年間学年トップをキープした。「柔道だけではなくて勉強も恥ずかしくないようにやりたい」と、柏又監督に伝えていた。高校卒業後は大学進学も選択肢にあった。三井住友海上からスカウトの声がかかったとき、新井は「びっくりして硬直状態」。悩んだ末に、最後は「大学を出てからでは遅いかもしれない」と決断した。決め手になったのは、新井自身の気持ち。新井は世界で闘いたいという大きな夢を抱いていた。

 児玉高校では現在も、練習メニューは生徒が決めている。キャプテンと副キャプテンが毎日、柏又監督に練習メニューを持ってくる。生徒との対話の中で何が足りないのか考えさせ、その目的に添って、指導者が必要なところをサポートするという姿勢だ。

 自身の指導法について、「自信はないですよ。いつも試行錯誤しています」という柏又監督だが、児玉高校で地力をしっかりとつけた新井は世界に羽ばたき、東京五輪の金メダルを奪取した。(THE ANSWER編集部)