現在開催中の「東京オリンピック」に合わせて、WTA(女子テニス協会)の公…
現在開催中の「東京オリンピック」に合わせて、WTA(女子テニス協会)の公式サイトが過去8大会の女子シングルスの金メダリストたちを紹介している。【関連記事】ゴールデンスラム達成のレジェンドが語るオリンピック「決して忘れることはない」
20世紀に入って間もなく、女子テニスは3つのオリンピックで採用され、マルグリット・ブロクディス(フランス)、スザンヌ・ランラン(フランス)、ヘレン・ウィルス(アメリカ)の3人が金メダルに輝いた。プロ選手の登場により1928年のアムステルダム大会からテニスはオリンピック競技から除外されたが、64年後の1988年ソウル大会で再び競技として認められるようになった。同大会では、当時19歳だったシュテフィ・グラフ(ドイツ)が見事なパフォーマンスで金メダルを獲得した。
そのソウル大会から2016年リオデジャネイロ大会までの28年間に女子シングルスの金メダリストとなった8人のうち6人は世界ランキング1位に登り詰め、複数のグランドスラムを制覇している。グラフとジュスティーヌ・エナン(ベルギー)、そしてビーナス・ウイリアムズ(アメリカ)とセレナ・ウイリアムズ(アメリカ)、リンゼイ・ダベンポート(アメリカ)、ジェニファー・カプリアティ(アメリカ)の6人だ。そのうち2人は当時10代で、他の2人もまだ20歳だった。ほかにはエレナ・デメンティエワ(ロシア)、そしてモニカ・プイグ(プエルトリコ)がこの偉業を成し遂げた。13年前の北京大会で優勝したデメンティエワは当時、「これこそ私が待ち望んでいたもの。これこそ私が目指していたものよ。これは私のキャリアそして人生において最高の瞬間」と話していた。
過去8大会の金メダリストたちを、当時の本人たちのコメントとともに振り返ってみよう。
■1998年(ソウル大会):シュテフィ・グラフ(ドイツ)
19歳のグラフは金メダルをかけた決勝戦でガブリエラ・サバティーニ(アルゼンチン)を6-3、6-3で破り、同じ年に4つのグランドスラムとオリンピックの金メダルを獲得する「年間ゴールデンスラム」を達成した初めてのテニス選手となった。グランドスラム優勝の緊張感からか、大会序盤は心身ともに疲れている様子だったグラフは徐々にリズムを取り戻していった。「とても興奮しているわ。今後、そう多くの人が達成できないことを成し遂げられた」と当時語っていた。その言葉通り、33年経った今でも後に続く者はいない。
■1992年(バルセロナ大会):ジェニファー・カプリアティ(アメリカ)
カプリアティはバルセロナの屋外クレーコートでディフェンディングチャンピオンのグラフに1セットダウンから逆転し、金メダルを獲得。16歳4ヶ月でオリンピックの最年少優勝者となり、いまだにその記録は破られていない。
「鳥肌が立ったわ。信じられないことだもの。本当に信じられない。この2週間、他のアスリートたちが表彰台に立っているのを見て、“ワオ、私もあそこに立てたらすごくクールなのに”って思っていたの」
■1996年(アトランタ大会):リンゼイ・ダベンポート(アメリカ)
準決勝で親友のメアリー ジョー・フェルナンデス(アメリカ)を破ったダベンポートは決勝でアランチャ・サンチェス・ビカリオ(スペイン)を7-6 (8)、6-2で下した。自国開催のオリンピックで優勝を果たした時、ダベンポートは20歳だった。
金メダル獲得について、のちに本人は「間違いなく私の人生を変えたわ。どんな大会やグランドスラムでも“やってみようじゃない”っていう気持ちで臨めるようになったから。でも、当時のどの写真を見ても“これって現実なの?”という感覚がずっと抜けないの」と回想している。
■2000年(シドニー大会):ビーナス・ウイリアムズ(アメリカ)
ビーナスは女子シングルス決勝でエレナ・デメンティエワ(ロシア)を6-2、6-4で破って自身初の金メダルを獲得し、翌日には妹セレナと組んだ女子ダブルスでクリスティ・ブーヘルトとミリアム・オレマンスのオランダペアに勝利して2つ目の金メダルを獲得。ウイリアムズ姉妹はその後、女子ダブルスで2008年の北京大会、2012年のロンドン大会と合計3つの金メダルに輝く。シドニー大会当時、20歳だったビーナスは1924年大会のヘレン・ウィルス以来、76年ぶりに同大会でシングルスとダブルスを制した女子選手に。その12年後にはセレナが同じ偉業を成し遂げている。
■2004年(アテネ大会):ジュスティーヌ・エナン(ベルギー)
当時エネルギーを消耗する免疫疾患と闘っていた22歳のエナンはこの年の「ウィンブルドン」を見送っており、オリンピック出場も不可能だと考えていた。「今回のオリンピックは私には無理だと思っていたわ。でも、経験できるのは一度きりかもしれないから行くことにしたの」とのちに語っている。この時のエナンは過去4ヶ月で2試合にしか出場しておらず、準決勝では第3セットで1-5とアナスタシア・ミスキナ(ロシア)にリードされるも最後は7-5、5-7、8-6で勝利を挙げ、決勝ではアメリー・モレスモー(フランス)を下して頂点に立った。
「あの準決勝を乗り越えた後は負ける気がしなかったわ。絶対に勝てると思っていた」
■2008年(北京大会):エレナ・デメンティエワ(ロシア)
デメンティエワは12年間のキャリアの中で4つのグランドスラムすべてで準決勝に進出し、2004年の「全仏オープン」と「全米オープン」では決勝に辿り着いている。だが北京での経験に勝るものはないだろう。その4年前のアテネ大会では1回戦で敗退したものの、本大会の決勝では同じロシアのディナラ・サフィナを7-5、6-3で破り、金メダルを手にした。
「オリンピックの金メダルはあまりも重みがあって、グランドスラムとは比べものにならないわ」
■2012年(ロンドン大会):セレナ・ウイリアムズ(アメリカ)
この時の決勝戦はわずか63分で決着がついた。「ウィンブルドン」と同じ会場で芝の女王セレナがマリア・シャラポワ(ロシア)を6-0、6-1で下したのだ。
「信じられない、金メダルよ。これ以上ないプレーができたわ。マリアのような選手と戦うにはベストを尽くさなければならない。それがわかっていたから、失うものは何もないという気持ちで臨んだの」
「シングルスで金メダルを取れるとは思っていなかった。ダブルスの金メダルだけでも嬉しいのに。もし私のキャリアが今終わったとしても“金メダルも取ったし、すべてが揃った”と思えるわ」
■2016年(リオデジャネイロ大会):モニカ・プイグ(プエルトリコ)
世界34位だったプイグはグランドスラムのチャンピオンたちを次々に倒して頂点に達した。準々決勝でガルビネ・ムグルッサ(スペイン)を、準決勝でペトラ・クビトバ(チェコ)を、そして決勝ではアンジェリック・ケルバー(ドイツ)を6-4、4-6、6-1で撃破。プエルトリコがオリンピックの夏季大会で金メダルを獲得するのは68年ぶりであり、プイグはプエルトリコ人女性として初のメダリストとなった。
「歴史に名を刻めたことを誇りに思っているわ。まだ実感が湧かないけど、いつか振り返った時、今起こったことに少しでも価値を加えることができるんじゃないかしら」
(テニスデイリー編集部)
※写真は「ソウルオリンピック」でのグラフ
(Photo by Rzepka/ullstein bild via Getty Images)