東京2020パラリンピックのアーチェリーで、個人リカーブオープン(女子)と、チームリカーブオープン(混合)の2種目に出場する重定知佳。「てっぺん」(金メダル)を獲る力はついていると手ごたえを感じている一方、目標の実現には課題もあると語る。車…

東京2020パラリンピックのアーチェリーで、個人リカーブオープン(女子)と、チームリカーブオープン(混合)の2種目に出場する重定知佳。「てっぺん」(金メダル)を獲る力はついていると手ごたえを感じている一方、目標の実現には課題もあると語る。

車いすテニスからアーチェリーに転向

車いすテニスは、20歳の時、当時勤めていた会社の同僚に誘われて始めました。中学2年で、両下肢がまひする進行性の難病「HTLV-1関連脊髄症」と診断されて以降、徐々に歩きづらくなってはいたのですが、その頃はまだ自力で歩いて移動していたんです。そのため、車いすはほとんど乗ったことがなく、ましてや競技用車いすなんて初めてという状態。片手にラケットを持ちながら、ブレーキもなく、くるくる回る競技用車いすを操作してボールを打ち返すなんて、どうやってやるのという感じで。ボールを出されても、打ち返せないのはもちろん、私一人だけ、キャーって言いながらボールと違う方向に行っちゃったり。でも負けず嫌いなので、がんばっていたら次第に腕が上がっていったんです。試合で勝てるようになると楽しくて、「パラリンピックに出たい!」なんて言うようにもなって。もちろん、練習はめっちゃがんばっていましたよ。仲間たちと全国を遠征して回るのも楽しかったです。

力強いドローイングで日本のトップ選手になった photo by X-1

試合で勝てていたのは、当時の女子としては珍しいハードヒッターだったから。ただ、チェアワークがいまいち苦手で、コートいっぱいにボールを振られると打ち返せなかった。そのため、コート内を激しく動き回りながら強く打ち返す選手が出てくるようになると、勝てなくなっていきました。それでも楽しくて続けていたのですが、1回戦負けが重なっていくうちに、ふと「私は何をやっているんだろう」と思ってしまって。当時勤めていた会社の理解が得られず、海外遠征に行ける見込みはなかったし、新人の選手にもすぐに負けてしまうようになると、あんなに好きだったテニスが楽しくなくなってしまいました。こんな状態で試合に出るのは対戦相手にも失礼だと思い、11年間続けた車いすテニスをきっぱりやめました。

アーチェリーは、1年でやめるつもりだった

私はもともと、一人で何かに打ち込むことが好きなタイプ。だから、今度は自分一人でできるスポーツをと思い、見つけたのがアーチェリーでした。いろいろ調べたところ、自宅から車で通えるところでパラアーチェリー団体が活動していることがわかったので、連絡を取り、体験させていただきました。

初心者用の弓を借りて、矢をつがえ、弓を構えて弦を引き、パッと手を離しました。すると、スパンと矢が真ん中に刺さったんです。もちろん、ごく近距離の的なのですが、その爽快感と言ったら! めっちゃ楽しい!って思って、すぐに始めました。

アーチェリーは「1年間だけ」のはずだったが……

車いすテニスの経験から、パラリンピックを目指すのは難しいってわかっていましたから。だから、アーチェリーはあくまでも趣味。1年間だけ真剣に取り組んで、いろいろな大会で優勝して、ぱっとやめようと思っていました。

私にとって、上山君はスター選手です。初めてテレビで見たとき、こんなにきれいなフォームで射つ車いすの選手がいるのかと心底驚きましたし、以来、憧れ続けていましたから。その選手が、まさか目の前のトイレから出てくるなんて! なんとか接点を持ちたくて、トイレの列から外れて追いかけ、「すみません」って声をかけました。

そして、「今回の試合で引退します。最後に優勝したいので、試合前の練習でフォームを見ていただけませんか」とお願いしたところ、「いいですよ」と快諾してくれて。翌日、本当に見に来てくれたんですよ。

憧れの選手が「原石だ」ってほめてくれて、うれしかったです。やめるつもりでいたのに、すっかり心を動かされて、「もう少しやってみようかな」なんて思っちゃって。結局、その大会は、大会新記録で優勝。そのため、日本身体障害者アーチェリー連盟の方たちからも注目していただき、「パラリンピックを目指さない?」とお声がけいただいたときには、「わかりました」と答えていました。

北九州を拠点に練習を重ねる重定。目指すは東京パラリンピックのメダルだ
突然の東京パラリンピック1年延期

東京大会の延期よりも、緊急事態宣言が発出されたことの方がすごくショックでした。東京パラリンピックを目指すと決めて以来、練習を休んだのは、週に1~2日と、練習場が閉鎖されるお正月ぐらいで、ひたすら突っ走ってきたんです。練習量が私の自信を支えていたのですが、練習がまったくできなくなってしまったら、これまで積み重ねてきたものがすべてリセットされてしまうのではないか。そう考えると、恐怖でしかありませんでした。

それでもできることをやろうと、自宅の部屋の中で、2mほど離れたところに置いた的を狙って射つ「近射」をしたり、筋トレをしたり、それなりに練習しました。だから、そんなに調子は落とさないで済むだろうと思っていました。実際、緊急事態宣言が明けて、久しぶりにパラリンピックラウンドである70mの練習をしたら、以前と同じような点数が出て。2mの近射より、やっぱり70m先の的を狙って射つ方が気持ちいいし、楽しい。「70、サイコー!」なんて思いながら、最初の1週間はただただ楽しく過ごしていました。でも、これは、いわば魔法の時間でした。1週間過ぎると、魔法が溶けたようにまったく当たらなくなったのです。

それで2019年から師事しているコーチに動画を送ったら、「フォームが乱れています」と言うじゃないですか。その後、コーチが実際に練習を見に来てくれた際には、「体が細くなっています」とも指摘されました。そこでやっと気づきました。実は矢取りのために70mの往復を繰り返すことが筋トレになっていて、それができなくなったことで筋肉が落ちてフォームが崩れ、当たらなくなっていたのです。

練習に限ってのことではありますが、今は絶好調だった2019年より点数が出るようになっています。ただ、試合では、ほかの選手たちが横一線に並んで射ちますし、結構緊張するタイプということもあり、まだ点数が安定しません。試合慣れすることがすごく大切なのですが、いまは試合自体が少なく、経験を積む機会がない。それだけが気がかりです。

でも、東京パラリンピック本番でいつも通りの射ができれば、リオパラリンピック金メダリストでオリンピアンでもあるザーラ・ネマティ選手(イラン)にも勝てる自信があります。そのためにも、まずは予選ラウンドを4位以内で通過し、ネマティ選手と決勝で当たるようにしなければ。これから本番まで大きな試合を経験できませんが、練習環境を工夫しながら備えます。

text by TEAM A

photo by Hiroaki Yoda