文武両道の裏側 第4回 女子柔道 朝比奈沙羅選手(ビッグツリースポーツクラブ/獨協医科大学)後編 今年6月にハンガリー・ブダペストで開催された柔道世界選手権で、女子78キロ超級を制した朝比奈沙羅選手。柔道では世界のトップレベルで戦いながら、…

文武両道の裏側 第4回 
女子柔道 朝比奈沙羅選手(ビッグツリースポーツクラブ/獨協医科大学)
後編

 今年6月にハンガリー・ブダペストで開催された柔道世界選手権で、女子78キロ超級を制した朝比奈沙羅選手。柔道では世界のトップレベルで戦いながら、医学部生でもある朝比奈選手に、「文」と「武」の両立についてインタビュー。後編では、柔道選手としてのこれからと、目指す医師像について語ってもらった。



医学生でありながら、柔道では世界のトップレベルで戦う朝比奈沙羅

* * *

――中高一貫の進学校として有名な渋谷教育学園渋谷高校を卒業後、残念ながら東海大学医学部への合格は果たせず、東海大学体育学部に進学しました。東海大学時代、柔道と勉強の比率はどうでしたか?

「1、2年のときは柔道のほうがメインでした。一方で、1年時に、けっこう詰め詰めで講義を入れて、単位を多く取るようにしたんです。東海大では、学部を超えた講義も含めて124単位を習得すれば、卒業ができる。だから早い段階でたくさん単位を取れば、のちに余裕が生まれて他のこともできると考えていました。

 また、2年生からは教職(課程)の履修も始めました。部活をやっている多くの1、2年生が、講義は4限まで、5時から部活という感じだったんですが、私は5限まで講義を取っていたので、6時ぐらいから部活に出ていました」

――3年生以降はどうでしたか。

「3年生以降は、どちらかというと実技のバレーボールやラグビーといった身体を動かしながら楽しめる講義を取っていました。単位的にも少し余裕が出てきたので、医学部再受験に向けて、ヨーロッパ言語の語学履修をしたり、空き時間に医学部進学予備校に行ったりしてましたね」

――2019年に東海大学を卒業後、かねてからの目標だった医学部を受験します。そして、高校3年時以来の挑戦となった2020年春、獨協医科大学医学部AO入試に見事合格しました。

「獨協医学部に受かったとき、高校3年時に医学部受験をサポートしてくれた担任の先生に報告したんです。すると先生が、『正直、担任をしていたときは、受からないかもしれないってずっと思っていた』って言われたんです。続けて、『でも、自分は安全に戦える土俵でしか戦ってこなかったから、上のレベルのフィールドで戦おうとしてる朝比奈をずっと応援してたんだ』と。聞いた瞬間、『え、ヤダー』って、少し泣きそうになりました(笑)」

――とはいえ、医学部といえば、授業がハードなイメージがあります。特に朝比奈選手は柔道を続けながら、ということもあって、大変な生活を送っているのでは?

「医学部は、入るのも大変でしたが、入ってからも大変でした(笑)。特に1年目は慣れないことも多く、自分のペースをつかめなくて、本当にハードでしたね」

――2年生になった今年は、少し慣れてきましたか?

「そうですね。ただ、2年生になってからペースをつかめた反面、学ぶ内容が重たくなって、勉強時間をかなり要するようになってきています。結局、入ったから卒業できるわけじゃなくて、入ってからも努力し続けないと留年してしまう。今も、本当に留年しないかどうかヒヤヒヤしながらすごしてます(笑)」

――医学部では解剖の実習もあるかと思いますが、そのあたりは大丈夫ですか?

「大丈夫です。たぶん、女性のほうが解剖とかに対して強いんだと思います。授業で手術風景を動画で見ることがあるんですが、男性の中には倒れる人もいましたから」

――大変忙しいとは思いますが、語り口から察するに、充実した生活を送っている印象を受けます。

「そうですね。1年生の頃はいっぱいいっぱいで、柔道の結果も出せなかった。それが2年目になって、やっと充実感を得られるようになりました。去年はコロナの影響で新歓(新入生歓迎活動)がなかったんですが、今年から徐々に始まって、今の1、2年生を対象に部活の勧誘が行なわれました。ちなみに私は、ラグビー部と軽音部に入部しました!」

――ラグビー部と軽音部にですか!?

「ラグビーはもともと好きだったのもあって、部の雰囲気や部員たちの人柄もすごく良かったので、すぐに決めちゃいました。ただ、ケガのリスクがあるので、現在はマネージャーとして受け入れてもらっています。軽音部に入ったのは、ドラムをやってみたくて(笑)」

――さすがのバイタリティですね(笑)。ただ日本では、学業とスポーツ、さらには朝比奈選手のように部活動と、マルチで頑張る人が、「二兎を追うものは一兎をも得ず」みたいな目で見られることがあります。朝比奈選手自身、そういった視線を感じたことはありましたか?

「ありますね。そんなふうに言ってくる人たちに、私は『静かにして!』って思うんですが(笑)、やっぱりそう思われないためには、自分自身が結果を出さないといけない。柔道も、勉強もいい成績を残す必要があるんです。

 だから、そういうことを言われたときは『そうですね』って聞き流しながら、それこそ父との衝突で私が医師になる決意を固めたように(前編)、『絶対見返すから!』って気持ちで頑張ってきました。私って反骨精神だけで生きているんですよ」

――ところで、朝比奈選手は柔道の練習で、トランポリンやボクシングなど他の競技を取り入れていると聞きました。

「柔道では、勝つための練習にすごく重きが置かれます。だから、とにかく投げ技を磨くことが第一と考えられがちなんですが、世界のトップレベルまでくると『負けないための練習』が重要になってくるんです。もちろん、勝つための練習もするんですが、負けないためにどうするかっていうところで、防御力を高める必要がある。そこで他の競技が役に立つんです」



練習にトランポリンを取り入れる朝比奈沙羅(左)。元体操選手でもある大久保雄右JOC強化コーチ(右)から教えを受ける

――例えば、トランポリンがどのように柔道に活きるのでしょうか?

「柔道ってシンプルに言うと、投げられたときに背中をつけたら負けなんです。裏を返せば、投げられる瞬間に、即座に体を動かして、(顔が)畳のほうを向くようにすればポイントになりにくいんですよ。そこで、トランポリンの動きを取り入れることで、投げられる時に瞬時に背中をつかないようにする練習ができます。

 これは実際の試合での話なんですが、2017年の皇后盃全日本女子柔道選手権大会準々決勝、投げて、投げられての大接戦だったんです。そこで相手に投げられたとき、身体が完全に宙に浮いてる状態にもかかわらず、身体をひねって、畳を見ることができた。結果、相手にポイントがつかないように着地できたんです。空中で身体をひねって着地する、まさにトランポリンの練習のおかげだったのかなと」

――なるほど。朝比奈選手には、いろいろなことを受け入れられる柔軟性、それらをマルチタスクでやっていく能力が備わっているように思います。

「というよりも、私は飽き性なので(笑)。飽き性だから、ひとつのことだけを頑張れないんですよ。あと、ひとつのことを頑張りすぎると、まわりが見えなくなって、スランプに陥ったときに、なかなか抜け出せなくなるのかなって。何事も、モチベーションが下がっちゃうのが一番もったいないんで。別のスポーツを取り入れることは、リフレッシュの効果もあるんですよ」

――つまり、行き詰まったら、一度そのことから離れてみて、切り替えると。

「そうですね。それの繰り返しなんです。たまに、『うまくいかないときこそ、トランポリンなんてやってないで、投げる練習をもっとやるべき』みたいに言われることもありました。でも私としては、自分の課題から目を逸らしているわけじゃなくて、いずれは必ず克服する。必ず克服するけど、ときには回り道をしてもいいんじゃないか、っていう考え方なんです。

 そもそも、逃げることって特段悪いことではないと思っていて。例えば、ひとつの問題がその時点で対処できなかったとしても、別のことが先にできるようになる。それによって、できなかった課題も克服されることもあると思うんです」

――そういった冷静な視点を身につけられたのも、「学ぶこと」を放棄せずにやってきたからこそ、でしょうか。

「どうでしょうかね......。ただ別に、『文武両道』って特別なことだとは思いません。これまでずっと当たり前のようにやってきたことですし。人に『文』と『武』は両立するべき、なんて押しつける気持ちもまったくなくて。私はただどちらもやりたいから、習慣だったからやってきただけですから。

 それよりも、勉強とスポーツという二軸だけでなく、例えばスポーツで2つの競技を頑張っているとか、勉強も専門的なことと趣味的なことで2分野を研究しているとか、そういった人に対して、世の中がもっと寛容であってほしいとは思います。そういう人をもっと応援するような雰囲気に変わればいいなって」

――ちなみに、補欠としてエントリーしている東京五輪後も柔道は続ける予定ですか?

「とりあえず、12月に開催予定のグランドスラム東京、(所属のビッグツリースポーツクラブ/栃木県の一員として)地元枠で出場予定の2022年栃木国体までは続けるつもりです。2024年のパリ五輪は......、自分のモチベーション、気力次第ですね」

――最後にうかがいます。トップアスリートとして柔道をやりきった先に、どんな医師になりたいですか?

「まだ専門は悩んでいるのですが、小児科や整形外科、麻酔科に興味があります。医師としての目標は、聖路加国際病院名誉院長だった日野原重明先生。実際にお会いしたことがあるんですが、本当に悟りのオーラが見える方なんですよ。人として徳を積んできたからこそ出せるような雰囲気がありました。日野原先生がおっしゃっていたのが『名医よりも良医であれ』ということ。まさにこの言葉のように、患者にとって親しみやすく、心から信頼される医師が私の理想です。

 あと、スポーツ選手だったからこその視点、経験も医師として活きると思っていて。自分が柔道でケガをしたとき、早く復帰したい私の意思を汲んで、手術を回避しつつも、最適解を導き出してくれたドクターがいました。少し月並みですが、そんなふうに、患者に心から寄り添える医師になりたいと思います」

Profile
朝比奈沙羅(あさひな さら)
1996年生まれ、東京都出身。ビッグツリースポーツクラブ所属。小学校2年生から柔道をはじめる。渋谷教育学園渋谷中・高から東海大体育学部を卒業し、2020年春に獨協医大医学部に入学。今年6月、現役の医学生として出場した2021世界柔道選手権ブダペスト大会の女子78キロ超級で優勝した。