「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#22「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信す…

「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#22

「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信する。金メダルラッシュが期待される柔道は注目階級を専門家が独自の「ミカタ」で解説。男子73キロ級で連覇を達成した大野将平(旭化成)を柔道私塾「講道学舎」で指導したソウル五輪銅メダルの北田典子氏が、9分26秒に及んだ決勝の勝因を分析しつつ、エピソードを明かした(取材・構成=THE ANSWER編集部)

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 みんな大野選手が楽に勝つんじゃないかなって予想していたと思うんですけど、これが五輪。そう簡単には取らせてくれない。でも、その中で、よく辛抱して辛抱して辛抱して、集中力切らさずに頑張れたことが金メダルにつながったと思います。

 決勝の相手(ラシャ・シャフダトゥアシビリ=ジョージア)は徹底して研究していましたし、試合への思いもすごく強かった。だからこそ、素晴らしい試合展開になったと思います。大野選手の最近のコメントを聞くと、本当に修行僧のような、本当に祈る気持ちで毎日を過ごしてきたんだろうなと思っていました。試合後、彼はインタビューで目に涙が出ているけど、泣いちゃいけないって我慢をしている表情をしていましたね。あの表情を見たら、中学1年生のときの泣きながら練習をやっていた顔に戻ったなっていう感じがしました。すごく素直な大野選手の顔に戻ったなって。

 自分との闘いということを彼も常に言いますけど、やっぱり日本柔道を背負ってという責任があったと思います。単に自分が五輪2連覇ということだけじゃなくて、日本柔道界のためにという思いがすごく強かった。そこの責任を果たすというプレッシャーが大きかった。あの子はインタビューなどで涙を見せない。よほど苦しかったんだろうなというのが伝わってきました。今日のインタビューは今まで一番よかったと思います。

 決勝は自分の柔道をさせてもらえず、なかなかタイミングやリズムを作らせてもらえなかった。我慢、我慢っていうのが大野選手の口癖ですけど、我慢しながら、つないでいったっていうところがよかったです。引き手は常に彼が最初に取ってますから、釣り手を持った瞬間に技に入る。だから相手は徹底して、釣り手を取らせない。釣り手を取れないと、大野選手のリズムも作れないです。彼の場合は2本しっかり持って投げるっていうのが基本ですから。

 ただ、大野選手は強いですから、相手は技に入りたくても入れない。何回か入りましたけど、普通の選手では入れないです。入ったとしても、彼の軸がぶれない。大野選手は自分自身がかける技の素晴らしさもありますけど、やはり、受けの強さ。そして、相手に技に入らせない強さも、チャンピオンであり続ける要因であると思います。危なげは感じませんでしたけど、お互い後半、スタミナが切れてきた。五輪の舞台ってフッと魔が差す瞬間がある。それだけでした。怖さというのは。だけど、大野選手自身に不安はなかった。集中力さえ切らさなければ、いけるだろうと信じていました。

今だから明かせる中学時代の大野の言葉「ボクのこと、信じてくれますか?」

 リオ五輪のときは、ある意味、強さで言えば、一番ピークでした。今も世界で頭一つ抜けていると思うんですけど、やはり年齢もありますし、世界中がみんな研究してきている。ただ、これを超えて金メダルを取れたということ、これが成長だと思うんですね。インタビューで「悲観的なことを考えてしまいがちで」と言っていましたけど、そこをどうにか自分で奮い立たせて、いろんな学びをしながら年齢を超えていった。29歳のこの1年ってすごく大きい。去年だったらまた勝ち方も違ったと思う。練習ができない日々があったり、トレーニングしかできない日々があったり、その不安の中での闘い。それが、新しい大野将平として成長させてくれたんじゃないかなと思います。

 大野選手が講道学舎に入ってきたとき、私は中学生を担当していました。特に1、2年生を見ていました。講道学舎は技術云々はあまり教えない。もちろん練習も毎日見ますけど、技術的なことより精神的な生活のサポートであったりというところが大きかった。

 忘れられないのが大野選手が中学1年生のときです。体も小さかったですし、一番弱かったんです。だけど、中学2年生のとき、ある日、私に「ちょっと話があるんですけど、応接に来てください」と言って、2人で話しました。大野選手は先に講道学舎に入門していたお兄さんがすごく強かった。だから「みんなアニキが日本一になる、日本一になるって言うけど、ボクは世界一になるんです。ボクのこと、信じてくれますか?」と泣きながら言ってきて、私は「信じてるよ」と返したんです。

「世界チャンピオンは自分がなると決めた人間がなるものだし、あなたが本当に決めているんだったらそうなるでしょう」という話をして。私も2人兄妹の2番目で、あの子も2人兄弟で、私も自分を長女だと思ってなくて“次男”だと思っていたので、「だいたい、次男坊のほうが強いんだよね」と声をかけたのを覚えています。

 彼は毎日毎日、そういう思いで道場に上がり続けました。大野選手のお兄さんは高校1年生のとき、肘の大きなケガをして、それからなかなか調子が上がらない時期がありました。全国大会の前とかは強いから期待されるし、プレッシャーがかかります。そんなとき、大野選手はお兄さんを鼓舞するような言葉がけをしたり、練習でも自分からかかっていって、逆に胸を貸すじゃないけど、そういう姿が印象に残ってますね。「お兄ちゃん、しっかりしろ!」みたいな。お兄さんに対するリスペクトはいまだに強いと思うんですけど、私はその姿を見て「あー、お兄ちゃんを超える瞬間だな」と思いました。

 男子柔道で連覇は史上4人目です。

 今年、古賀稔彦君が亡くなったことで、改めて感じたことがありました。古賀君は本当に骨の髄まで柔道が好きな人だったなって。子どもたちを指導するにしても、選手としても、スター古賀稔彦のまま終わることはできたわけです。だけど、私が一番美しいと思った試合は、最後の講道館杯かな。これが世界の古賀かっていうほど、ボロボロになって闘っていた姿を見て、美しいなって思いました。おそらく大野選手はパリ五輪も目指しているでしょう。私は本当に、最後の1滴まで選手として闘ってもらいたい。だからこそ、伝説に残る柔道家になると思います。

(日本大学柔道部女子監督、全日本柔道連盟常務理事)(THE ANSWER編集部)