「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#21「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信す…

「THE ANSWER的 オリンピックのミカタ」#21

「THE ANSWER」は東京五輪の大会期間中「オリンピックのミカタ」と題し、実施される競技の新たな知識・視点のほか、平和・人権・多様性など五輪を通して得られる様々な“見方”を随時発信する。柔道では、活躍した選手の恩師の育成法をクローズアップした短期連載を掲載。第3回は女子52キロ級で金メダルを獲得した阿部詩(日体大)。兄の男子66キロ級・阿部一二三(パーク24)と柔道史上初の兄妹V同日金メダルの快挙を成し遂げた。シンデレラストーリーを駆け上がった詩は、どんな高校時代を過ごし、強くなったのか。兵庫・夙川学院の中高6年間、指導した垣田恵佑氏(現・佐久長聖高校柔道部監督代行)に育成方法を聞いた。(取材・文=THE ANSWER編集部)

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 垣田氏は、幕末の思想家・吉田松陰の言葉「思想を維持する精神は、狂気でなければならない」を胸に、詩を指導した日々を振り返る。

「指導者として何が大切なのかと言うと、まず価値観を植えつけるということ。勝つ選手の価値観が、どういう価値観なのか。どういう意識を持って練習しているのか。そのことを生徒にずっと伝えていかないといけない。勝つという目的に対して、強いじゃ足りないくらいの、言葉は悪いですけど、狂ってるなというくらいの思いを持って生徒に接する。そういうものを言葉や行動で生徒に伝えられる先生が生徒を強くできるのかなと思います」

 稽古一つとっても、指導者の向き合い方によって変わってくる。夙川学院では、乱取りを80分やった後に、一本勝負で練習を締めるのが習慣だった。

「意識の低い選手は一本勝負と言われたら一本なんですよね。一本投げたら終わりなんです」

 ところが、詩の場合は、「一本取ろうが、二本取ろうが、三本取ろうが、もうやめようって言うまでやり続けていました。80分乱取りして、さらに一本勝負を60分くらいやっている。ずっと真剣勝負ですからね。本当にやめろって言うまで、これ最後ねって言うまでやめない」。

 垣田氏もとことん練習に付き合った。生徒の気持ちに負けない情熱を持って見守った。「少なからず、そういう思いがあるから生徒が強くなる。先生も根気強くないと。折れたら負けです。生徒と我慢比べですね。本人の向上心と、指導者の価値観がマッチして初めて柔道のレベル、本人の考え方、価値観のレベルが上がっていく」と説いた。

求めた勉強と柔道の両立「勉強に努力ができない者は柔道にも努力はできない」

 同じ方向を向くために、部内の環境作りにも気を配った。

 詩が高校2年時には、中高合わせて19人の部員中、強化選手が6人もいた。そのため、詩を特別扱いをしたことはなく、自然と意識の高い練習ができる環境が整っていった。

「この子だったら五輪に出てもいい、才能を持っているよねっていう子はいますけど、高校や中学校の考え方一つで代表になれないとか、そういうことは十分あると思います。1人だけ意識が高くても、周りの意識が低いと楽なほうに流されちゃう。やっぱりあの集団だからこそ、阿部詩は伸びたと思います」

 最強の軍団を作り上げるために、脱落しそうな生徒をフォローすることもあった。

「意識が低い子に対して放っておいたりしたら、なんでこの子に怒らないの? みたいなある意味、嫉妬じゃないけど、そういうのがある。女の子は特にそう。指導者としてはそういうところは激励していく。そういうふうに、意識の高い集団を作り上げていく」と力を込めた。

 柔道だけではなく、勉強との両立も促した。学生アスリートは、練習時間を増やせば、その分、勉強時間が削られがちだ。しかし、夙川学院では、生徒の将来も考え、勉強もおそろかにしなかった。

 それは、ともに詩の指導にあたった松本純一郎監督(現・佐久長聖高校柔道部監督)の教えでもあった。

「松本先生がよく言っていました。『バカでも勉強しなさい。最悪、成績は取れなくてもいい。『勉強はしなければいけないものだ』ということをちゃんと理解して、努力して努力して努力した結果、成績が取れないのは仕方ない。けれども、勉強に努力ができない者は柔道にも努力はできない。だから最終的には柔道に勝つために勉強しなさい』と」

 道着を脱いでからの人生のほうがはるかに長い。詩は高校時代に世界選手権を制する一方で、クラスでは優等生だった。海外遠征からテストの1週間前に帰ってくると、その1週間で課題を覚え、平均点以上の成績を取っていた。テスト前には、柔道の練習時間を減らし、柔道部全員で勉強することもあった。垣田氏は「私たちもその部屋で、一緒に仕事していました。勉強しなければダメだよっていう環境を作っていたと思います」と回顧した。

最も大切にしていた「負けた時の向き合い方」

 そして指導する上で、最も大切にしたことがある。それは敗戦時の向き合い方だ。ほとんど負けることのない詩が、負けたとき、指導者はどう寄り添ったか。
 
 高校1年で全国高校総体(インターハイ)に敗れ、練習ができないくらい落ち込んだ。高校2年では全日本選抜体重別選手権で敗れ、世界選手権代表を逃した。そして、2019年グランドスラム大阪では、フランスのブシャールに敗れ、対海外勢の連勝が48でストップした。

「一番、気をつけて伝えたことは、負けた後のこと。グランドスラム大阪で負けたときも、ひと通り、取材受けた後、泣きながら帰ってきた。そのときにも、負けた後が大事だよね、負けた後に強くなったんだよ、この負けを生かさないかんなっていう話はしました。負けること自体が少ないので、かなり貴重な経験だと思うんですよ。それこそ、そこから学ぶことを大切にしてほしいなと思いましたね」

 松本監督は、過去の敗戦で詩が泣いていても、かばおうとはしなかった。「言い訳を覚えたり、負けてつらそうな顔を出して悲劇のヒロインを気取ったりする子、多いですよね。それをやったら勝負師は負けですから。自分の責任で負けたわけですから」と話していた。

 どんな理由があれ、たとえ微妙な判定だったとしても、敗因を分析した。「負けたシチュエーション、取れなかったシチュエーションに対して、どう克服していくか」と受け止め、「勝負の重み、重さをあの1敗が教えてくれた」と苦い経験を次に生かすことを考えた。そして言葉に出さなくても、詩にその成長が見れたときは、素直に喜んだ。 

 こうして負けるたびに強くなっていった詩。最後に垣田氏は、こう話した。

「今はキラキラしてますけど、その日々の練習を見てきた人間としては、地べたはいつくばって頑張ってきたんだよっていうことは分かってほしいです」(THE ANSWER編集部)