連載「松田直樹を忘れない 天国の背番号3への手紙」6通目 横浜F・マリノスカメラマン草野裕司 かつて日本サッカー界に輝く…
連載「松田直樹を忘れない 天国の背番号3への手紙」6通目 横浜F・マリノスカメラマン草野裕司
かつて日本サッカー界に輝く唯一無二のDFがいた。松田直樹。横浜F・マリノスで背番号3を着け、日本人離れした身体能力で数多のFWを封じ、2002年ワールドカップ(W杯)日韓大会で日本代表の16強に貢献。プレーはもちろん、歯に衣着せぬ言動とカリスマ性で選手、ファンに愛された。しかし、2011年の夏、所属していた松本山雅の練習中に急性心筋梗塞で倒れ、8月4日、帰らぬ人に。34歳の若さだった。早すぎる別れから、もう10年――。
節目の年に合わせた「THE ANSWER」の連載「松田直樹を忘れない 天国の背番号3への手紙」。その功績と人柄を語り継ぐため、生前にゆかりがあった選手・関係者らが命日となる8月4日まで連日、天国の背番号3への想いを明かす。第6回は横浜F・マリノスのオフィシャルカメラマン・草野裕司さん。1995年開幕戦のデビュー戦からファインダー越しに見続けた被写体・松田直樹の肖像とは。(構成=THE ANSWER編集部・神原 英彰)
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被写体としてカッコ良かったですね、直樹君は。
いつも味方を鼓舞し、自分を奮い立たせ、敵には闘志むき出し。前線に上がる時は鬼の形相です。でも、笑うと優しい笑顔で、かわいらしい。喜怒哀楽の100%が表情に出る人で、どんなカットを撮っても絵になる。そんな選手でした。
昔のマリノスは守ってカウンターの戦術。攻め手を欠くと彼は我慢できず、ボールを持って上がってくる。そんな人間らしい姿を見ていると、裏がなく、素直。だから、シャッターを切った時には、もう彼そのものが写っている感じです。
カッコ良く撮ってやろうとか、何か意図を込めなくていい。そのくらい彼の内側から発散されるオーラは魅力的でした。しかし、それは撮りやすい半面、誰が撮っても良く写るということ。松田直樹をどう表現するか。気持ちを持って対峙しないと“撮らされちゃう”。
凄く良いものが撮れたと思っても、見返してみると、実は“撮る”のではなく“撮らされていた”。最後の数年です、ある程度“撮れていた”のは。だから、僕自身、カメラマンとして育てられた面もあります。
人柄としても、フレンドリーでした。今でこそ試合後は会話しながら、選手から「撮って、撮って」とアピールされることもありますが、当時は選手とカメラマンの距離は近くありませんでした。にもかかわらず、ポーズをくれたり、表情をくれたり。
もともと、家が近所。朝、散歩をしていると、練習に向かう彼が車から手を振ってくれたり、ショッピングモールのエスカレーターでばったりすれ違うと、見て見ぬふりをするのではなく「おう!」と挨拶してくれたり。社交的で礼儀正しい。
ピッチ以外ではオーラを消し、なるべく人と関わらない選手もいますが、彼は一切そういうことがない。カメラマンに対して、そういう距離感で接してくれたのは、当時、彼が唯一でした。
忘れられない3つの試合、背番号31のGKユニホームを着用した日
撮影した中で、忘れられない試合が3つあります。
1つ目は1995年の開幕戦、アウェーの鹿島アントラーズ戦。高卒1年目でいきなりスタメンに抜擢され、右サイドバックで出場。2-3とリードされながら彼も得点に絡み、最後は延長Vゴールで逆転勝ちした試合です。
厳しい気候で雨が降り、気温は6度。当時はまだフィルムでオートフォーカスもない時代ですが、フィルムを交換する手がかじかんで動かないくらい。そんな中で劇的な勝ち方をして、18歳の彼が活躍したことが印象的でした。
当時は新旧のマリノスの過渡期。ホルヘ・ソラリ監督の初戦で直樹君は新しいマリノスの象徴でした。先輩・後輩の上下関係は絶対という時代でしたが、彼だけは「ピッチに入れば関係ねえよ!」というスタイルでした。
2つ目は2007年のナビスコカップ準決勝第2戦、川崎フロンターレ戦。2-3の後半35分にGK榎本哲也選手が退場になり、交代枠を使い切っていたため、直樹君がベンチに入っていた飯倉大樹選手の背番号31のGK用ユニホームを着てGKを務めた試合です。
榎本選手が退場になった瞬間、「俺がやる、任せろ」という感じ。榎本選手がうなだれている中、グローブをはめてバンバンと手を叩き、やる気満々。隣にいたカメラマンですら「ああ、終わったな」という空気なのに、です。
ピッチの中で、彼一人だけだったかもしれない。GKを欠いてボロボロの状況でも、諦めないぞという気持ちで動いている。だから、写真を見ても全く諦めた顔をしていない。今回、十数年ぶりに写真を見返しても感じるものがありますね。
3つ目は2008年のJ1第33節の東京ヴェルディ戦です。後半13分に中盤から持ち上がり、自分で凄いミドルシュートで先制ゴールを決めた。その後、MF田中隼磨選手に乗りかかられ、ガッツポーズをしていました。
その時撮った写真が、彼にしてはですが、嬉しさの中に憂いがあったんです。彼の写真は闘争心や悲しみ、それだけが100%出てくる写真が多いのですが、ガッツポーズをする中に何かがあった。
当時の心情は分かりませんが、カメラマンとして直感的に感じるものがあり、だからこそよく覚えています。
ちなみに、彼はよく髪形を変えていましたね。いろんなヘアスタイルがありましたが、僕は2002年の日韓W杯と坊主が好きでした。私服はお洒落なんですが、「気合いだ」みたいな感じで坊主にしてしまう。その感情をすぐに行動に移す。
今はお洒落な美容院に行って、綺麗に整えている選手も多いですが、カッコいいとかそんなことじゃなく、気合いを入れるために坊主にしている。「闘将」という言葉が一番彼に似合うし、彼が醸し出すオーラを含め、最もふさわしかったと思います。
亡くなって今年で10年、直樹君のような熱い選手を撮り続けたい
亡くなって今年で10年になります。
最近、マリノスのサッカーを見ていると、彼の想いが具現化されていると感じます。アンジェ(ポステゴグルー前監督)になって以降、0-3で負けていても全然、諦めない。どんどん攻めにいく。あの世から見ていて「おお、いいじゃん」「攻めてるじゃん」と頷いてくれていると思います。
だから、今、天国の彼に伝えることがあるとするなら、直樹君が愛してやまなかったマリノスは着実に進歩してるよ。直樹君がやりたかった“攻めるサッカー”はちゃんとやれるようになってるよ。そこは心配しないでね、ということ。
僕はカメラマンとして、選手のいろんな表情を撮りたい。特に、0-1でも0-2でも0-3でも、負けていても次の1点を獲ろうと必死になり、一丸となって攻めてくる表情。それは勝っている時とは全く違うもの。
時には監督の指示を破ってでも上がってくる、それこそ直樹君のような熱い選手を撮り続けたいと思います。
横浜F・マリノス オフィシャルカメラマン
草野裕司(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)