若林舞衣子が出産後初V、3週間前に亡くなった母への想いとは 女子ゴルフの国内ツアー・GMO&サマンサカップ最終日が18日、茨城・イーグルポイントGC(6657ヤード、パー72)で行われ、1打差の2位で出た33歳の“ママさんゴルファー”若林舞…

若林舞衣子が出産後初V、3週間前に亡くなった母への想いとは

 女子ゴルフの国内ツアー・GMO&サマンサカップ最終日が18日、茨城・イーグルポイントGC(6657ヤード、パー72)で行われ、1打差の2位で出た33歳の“ママさんゴルファー”若林舞衣子(ヨネックス)が5バーディー、2ボギーの69。通算15アンダーで並んだ野澤真央(愛知製鋼)とのプレーオフを2ホール目で制し、逆転優勝した。2019年4月の出産後初の優勝となり、17年3月以来1575日ぶりのツアー通算4勝目。6月末に亡くなった天国の母を想い、涙を流した。観衆は1156人。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

 若林が勝ち切った。プレーオフ2ホール目。2メートルのバーディーパットは想定よりもやや右に出たが、戻ってくる。カップへ消えた瞬間、右手を突き上げた。「本当に解放された。今週は絶対に負けたくない気持ちだったので張りつめていた」。2週連続のプレーオフ。悔し涙を流した1週間前の雪辱を果たした。

「本当は生きているうちに優勝を見せてあげたかったけど、天国で喜んでくれていたら嬉しいな」

 6月最終週のアース・モンダミンカップ最終日、母・久美子さんが72歳で亡くなった。病を抱え、入退院を繰り返していた。コロナ禍で面会も簡単にできない。ようやく会えたのは亡くなる3日前だった。「寝たきりで本当に危ないかもしれないと聞きました」。地元・新潟の病院に家族が集まった。

 プロゴルファーとして試合に出ることを選んだ。最終日は姉から「心拍数が下がっている」と聞いてスタート。「怖くて携帯を見られなかった」。ラウンド後に亡くなったことを知った。「会いに行けなかったのが本当に後悔している。自分のゴルフだけは後悔しないように自分を信じてプレーしようと決めました」。2週後、優勝のチャンスが巡ってきた。

 7月11日のニッポンハム・レディス最終日、堀琴音とのプレーオフ。3ホール目にボギーを叩き、パーだった25歳に優勝を譲った。敗れた後、インスタグラムを更新。周囲への感謝を記し、勝者を称えた。最後につづったのは母へのメッセージ。取材などでは母の訃報について明かしていなかった。

「天国へ逝ってしまったお母さん 今週は本当にお母さんが見守ってくれてる!って思うことで気持ちを強く持ち続けることができたよ。誰よりも私を信じて応援してくれてたお母さん。それを思うと、もう少し自分自身を信じてあげようと思えるよ。これからも頑張るから応援しててね!」

優勝スピーチで涙「きっと姉が母を連れて来てくれた」

 迎えた今大会。前週の決勝ラウンドから続く連続ボギーなしを継続させた。この日の14番で1つ落とすまで85ホール。2015年申ジエ(韓国)の82ホールを上回り、ツアー新記録を打ち立てた。「自分を信じてやれているかな。この2週に関しては」。強さを支えたのは、自分自身を信じ抜くことだった。

「新潟から父が応援に来てくれたり、東京にいる姉が息子を連れて夫と来てくれたり、家族総出で応援に来てくれた。そして、きっと姉が母を連れて来てくれたので、天国にいる母にも良いプレゼントになったと思います。今日一日、忘れられない日になりました」

 優勝スピーチ。晴れ渡る夏空の下、涙ながらに言葉を並べた。

 18年11月から産休制度を利用し、19年4月に第一子の長男・龍之介君を出産。姉や会社員の夫のサポートを受けながら昨年6月の20-21年シーズン開幕戦からツアーに復帰した。1988年のツアー制施行後、出産後に優勝したのは6人目。今週は龍之介君が初めて応援に駆け付けた。「ただ復帰するだけでなく、結果を残して復帰したかった」。優勝の瞬間、愛息はスヤスヤと眠っていたが、大きくなったら母の強さをわかってくれるだろう。

 毎年、次々と若手が台頭する女子ゴルフ界。今年5月以降は上田桃子、笠りつ子、菊地絵理香など30代が復活優勝を遂げている。続いた若林は「だんだん世代が若返ってきて、私たち世代が諦めモードになる空気は変えたいと思っていた」と奮闘。「また優勝できるように頑張るだけです」。若手、ベテラン、中堅と世代を問わず活躍するツアー。夏本番へさらなる盛り上がりを見せていく。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)