行き先を間違えたわけではない。小学生にして東京オリンピックでサッカー観戦の楽しさに目覚めたベテラン蹴球放浪家は、じつに3…

行き先を間違えたわけではない。小学生にして東京オリンピックでサッカー観戦の楽しさに目覚めたベテラン蹴球放浪家は、じつに32年ぶりにオリンピック本大会を観戦するべく、勇躍マイアミビーチへと向かった。のちに“マイアミの奇跡”として知られることになる日本とブラジルとの一戦は、マイアミのオレンジボウルで行われたのだった。しかし、ビーチに面した小洒落たレトロなホテルへと投宿した理由はいったいどこにあったのか?

■試合日なのに朝からマイアミビーチを満喫

 メキシコ・オリンピックで銅メダルを獲得してから28年目となる1996年。それ以降、オリンピック出場権を逃し続けていた日本は再びオリンピック出場権を獲得しました。その間にレギュレーションが大きく変わり、オリンピックのサッカー競技は23歳以下のチームの大会になっていました。

 1996年3月にマレーシア・クアラルンプール近郊のシャーアラムで行われたオリンピック最終予選の準決勝で日本はサウジアラビアを破って2位以内を確定し、オリンピック出場権を獲得します。サウジアラビアの猛攻をGKの川口能活が神がかり的なセービングを連発して勝利した瞬間。ピッチ上も記者席も大騒ぎ……。いつも冷静な中田英寿以外は涙に暮れていました。今考えれば、「たかがオリンピック予選に勝っただけなのに」です。

 そして、その年の7月にはアメリカ・ジョージア州のアトランタでオリンピックが開かれました。「近代オリンピック100周年大会はギリシャのアテネで」という至極もっともな意見を退けてアトランタが選ばれたのは、「IOCにとって最大のスポンサーの一つであるコカ・コーラの本社があるからだ」とも囁かれました。

 もっとも、サッカー競技は準決勝と3位決定戦・決勝がアトランタ近郊アセンズで行われるだけで、あとは他の州の都市ばかり。日本の試合の会場はフロリダ州のマイアミとオーランドでした。

「28年ぶりのオリンピック出場」で、きっと僕も浮かれていたのでしょう。僕は便利なマイアミのダウンタウンではなく、わざわざ海辺のマイアミビーチ市に泊まったのです。ビーチに面したオーシャン・ドライブにある「レスリーホテル」です。

■古き良きアメリカを満喫

 1930年代に「マイアミ・デコ」とも呼ばれる“アールデコ”様式の洒落たビルが次々と建てられた一角です。1937年に完成したという、レトロな小さなホテルのバーでカクテルなんかを一杯やるだけでも、気分はすっかり古き良きアメリカです。

 そして、目の前には有名なマイアミビーチが広がっています。

 日本対ブラジルの試合がある7月21日の朝も僕はビーチに出かけました。5ドルでビーチチェアを借りられるので(時間無制限)、そこに寝そべってビーチを満喫したのです。で、満喫はしたのですが、「せっかく5ドルも払ったんだから」と貧乏根性丸出しでさらにビーチで粘っていました。そのためすっかり日焼けしてしまい、火照った体のまま僕はバスで会場のオレンジボウルに向かいました。

 7万人以上を収容する古くて伝統のあるアメリカン・フットボールのスタジアムです。

 まず16時から女子の中国対スウェーデンの試合があり、当時はアジア最強だった中国が2対0でスウェーデンを破りました。

 女子サッカーはこの大会で初めてオリンピック種目となり、まだ「なでしこ」などとは呼ばれていなかった日本女子代表も参加。まだ17歳だった澤穂希さんや28歳の高倉麻子さんも出場していましたが、3戦全敗に終わりました。

 さて、日本とブラジルの試合は18時30分にキックオフ。ブラジルには23歳のロベルト・カルロスや19歳のロナウドがおり、そのうえオーバーエイジとしてアウダイール、ベベト、リバウドを招集。監督は選手としても監督としてもワールドカップ優勝経験のあるマリオ・ザガロ。そのままワールドカップに出ても優勝を狙えそうなチームです。

 一方の日本は世界レベルの大会はほとんど初めての出場。「とうてい勝ち目はない」と誰もが思っていました。

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