オリンピックで4つのメダルを獲得したアランチャ・サンチェス ビカリオ(スペイン)は、1988年にテニスが五輪種目に復帰し…

オリンピックで4つのメダルを獲得したアランチャ・サンチェス ビカリオ(スペイン)は、1988年にテニスが五輪種目に復帰して以降、別々のオリンピックでそれぞれ複数のメダルを獲得した唯一の選手である。サンチェス ビカリオは1992年のバルセロナでダブルス銀メダルとシングルス銅メダル、1996年のアトランタでシングルス銀メダルとダブルス銅メダルを獲得。「東京オリンピック」の開催に向けて、ITF(国際テニス連盟)公式オンラインメディアがサンチェス ビカリオのコメントを伝えている。【動画】錦織 オリンピックで96年ぶりの快挙!ナダルを翻弄【関連記事】錦織圭「そこでオリンピックの大きさを感じた」。過去3大会や東京五輪への思いも語る

「グランドスラムは毎年プレーする機会があるけれど、オリンピックは4年に一度しか出場できないから、素晴らしい気分よ。母国のために選抜されたという事実だけで本当に特別だし、いいプレーをして表彰台に上って、国を代表して国旗を掲げることができるか楽しみでしょう。

私はいつでも重要な瞬間に母国を代表する女性だったし、スペインを頂点に導くことができてとても幸せ。表彰台に上がって4つのメダルを獲得し、いいプレーをして5度のオリンピックに参加したのもすごく幸せよ。

シングルスとダブルスで世界ランキング1位になるという自分の目標を達成したし、その上メダルを4つ獲得できるなんて、スポーツ選手として子どもの頃に望みうる最高の結果よ。そうした瞬間はとても特別だった。金メダルを獲得することはできなかったけれど、手にした2つの銀メダルと2つの銅メダルは私にとってすごく特別よ。

一番初めに出場したのは、私の国スペインの、まさに私の生まれた町でのオリンピックだった。母国の人々みんなの前での大会だったから、おそらく他の大会よりずっと特別だったと思うわ。自分の国で五輪に出場する機会は何度もないからね。だからその時は、重圧に対処するために他の時よりずっと感情がこもったわ。だって、みんな私が活躍してシングルスとダブルスでメダルを獲得することを期待していたからね。期待が高かった分、他の大会よりも少し難しかった。

2度目にオリンピックに出場した時は、私が世界ランキング1位で頂点にいた時だった。当然この時もみんなが私の活躍を期待して、私は再び表彰台に戻って、前回と同じく銀メダルと銅メダルを獲得した。頂点にいれば誰もが活躍を期待するし、それは最初の時よりもずっと普通のことだったわ。

オリンピックは一つ一つが違った体験だった。全ての瞬間を楽しんだわ。選手村で生活することで、母国の他のスポーツ選手たちとも会う機会に恵まれたから。他の国の選手だけじゃなく他のスポーツの選手たちと深く関わるのは、完全に別物よ。バルセロナでさえ、私はそこに自宅があって家に帰ることもできたけど、最初の何日かは選手村に行ったわ。私は常に、テニスはいつだってチャンスがあるスポーツだと言っているの。毎年出場できる大会があり、自分で年間の予定を選べるし、グランドスラムには毎年出場する機会がある。

おそらく、オリンピックは4年に1度で、4年の間にはたくさんのことが起こりえるから、大会により神経を集中させるんじゃないかしら。だって、次の大会に出られるかはわからないから。

私はすごく若い時に選手生活を始めて、引退もすごく若いうちにしたから、何度も出場できたのはおそらく恵まれているわね。他の選手はその機会に恵まれなかったかもしれない。でも自分の国のために出場して、国のために思いを込めてプレーするという気持ちだったわ。

グランドスラムではシングルスで4回優勝して、ダブルスも合わせるとグランドスラムで合計14回優勝した。シングルスでもダブルスでも世界ランキング1位になった。これこそが選手として目指すものだわ。私はそういう立場にたどり着いて結果を出し、テニスの歴史の一部になるためにすごく努力をしたから、本当に幸せよ。私の名前はずっと残るでしょうから、子どもたちに母である私が何をしたのか伝えることができる。

今、テニスから離れていると、以前とは違った感じがする。昔よりも感情豊かで、誰かが私に話をしたり試合を見せてくれたりすると、自分が昔したことを昔より思い出すの。記憶がよみがえってくるのよ。間違いなくいい気分よ、とてもいい気分。

開会式や閉会式に行くのは素敵な経験だわ。他の選手たちと一緒に過ごせる機会だから。バルセロナで抱いた感情、観衆が私に声援を送っていたこと、その反応。大泣きした瞬間。どれも長い間ずっと覚えているでしょうね」

(テニスデイリー編集部)

※写真は1996年「アトランタオリンピック」での(左から)サンチェス ビカリオ、リンゼイ・ダベンポート(アメリカ)、ヤナ・ノボトナ(チェコ)

(Photo by Gary M Prior /Allsport)