ゴールの喜びは、ピッチに立つチームメートやベンチの仲間、スタジアムやテレビの前のサポーターとともに分かち合うもの。派手…

ゴールの喜びは、ピッチに立つチームメートやベンチの仲間、スタジアムやテレビの前のサポーターとともに分かち合うもの。派手なゴールパフォーマンスはスタジアムの華だ。新しいパフォーマンスを思いつき、その練習を重ねても披露するチャンスがないアタッカー。大舞台でゴールを決め、どう喜んでいいのかわからないディフェンダー。どちらも「サッカーあるある」だが、ゴールした選手が喜びを爆発させる様は見ている側も幸せな気持ちになるーー。

■変幻自在なネイマールのダンス

  だが「電話パフォーマンス」になると、わけがわからない。ブラジルのスタジアムには、ときおり、ゴール裏に電話が設置されているところがある。おそらく、報道関係者が必要なときに使うため(携帯電話などないころに)のものだったのだろうが、これを得点した選手が使う(ポーズをする)のである。ゴールをしたら電話のところに走っていく。そして受話器を取り、「ママ、見てくれた?」とでも話しているようなストーリーである。これを最初に見たときには、あきれてものが言えなかった。

 現代のブラジル代表エース、ネイマールは、さまざまなダンスのパフォーマンスをする。ひとりかふたりで踊っているならまだいいが、5人も6人も寄ってきて合わせて踊られたら、相手は「そんな練習までしてきたのか」と、うんざりするに違いない。もちろん、相手チームのサポーターもである。

 得点者だけがやるパフォーマンスは、短時間であればまだ我慢ができるが、「集団パフォーマンス」となるとうんざりする。サンフレッチェ広島の選手たちが一時さまざまなパフォーマンスに凝り、5人も6人も集まって矢を射るポーズをしたり、魚釣りのパフォーマンスをしていたが、相手はどう思っていただろうか。

 デズモンド・モリスが18種類を挙げた時代から30年、ゴールパフォーマンスは信じ難いほど多彩になり、その「進化」はとどまるところを知らない。すべてを紹介することなど、とてもではないが不可能だ。あといくつかのパフォーマンスに触れて、この駄文を終わることにする。

■女子スポーツに新時代を告げるゴール

 一時流行したのが「シャツ脱ぎパフォーマンス」だ。喜びのあまりシャツを脱ぎ、振り回しながら走るのである。これはルールで「警告」になるとされている。VARなどで最終的に得点が認められなかった場合にも警告である。現行のルールでは、「得点の喜び」で警告を与えられるのは、以下の4つのケースである。

・安全や警備に問題が生じるような方法で、ピッチ外周フェンスによじ登る、または観客に近づく。

・挑発する、嘲笑する、または相手の感情を刺激するように行動する。

・マスクや同様のものを顔や頭に被る。

・シャツを脱ぐ、シャツを頭に被る。

 1999年のFIFA女子ワールドカップはアメリカで開催され、決勝戦はロサンゼルス近郊のパサデナにある「ローズボウル」スタジアムで行われた。5年前の男子ワールドカップ決勝と同会場である。観客は9万0185人というとてつもない数だった。アメリカと中国の決勝戦は0-0からPK戦になり、先行の中国の3番手、劉英が失敗し、アメリカは5番手のブランディ・チャステインが決めれば優勝ということになった。

 慎重にボールをセットし、左足で力いっぱいのキック。ボールは右に跳んだ中国GK高紅の逆をつき、ゴール中央に突き刺さった。この瞬間、チャステインは白いユニホームを脱ぎ、それを振り回した。スポーツブラ姿になってしまったことなどまったく気にせず、走り込んできたチームメートたちに抱きつかれ、囲まれ、左手を挙げ続ける姿は、女性のスポーツに新時代が到来したことを象徴するものとなった。

■二枚重ねのユニホ-ムに思いを込めて

 シャツを脱ぎ、あるいはまくり上げて、アンダーシャツに書かれたメッセージを示すというゴールパフォーマンスが一時期流行した。名古屋グランパスでプレーしていたドラガン・ストイコビッチは、1999年3月、コソボ紛争に介入した北大西洋条約機構(NATO)が祖国セルビアを空爆したことに抗議するため、「NATO STOP STRIKES」とアンダーシャツに手書きしたメッセージを示した。ただこれは得点後ではなく、チームメートへのアシスト後のことだった。

 こうした政治的なメッセージだけでなく、母親の誕生日を祝うメッセージ、宗教的なスローガンなど、一時はさまざまなメッセージが花盛りになったが、ルールでは、サッカーの用具にいかなるメッセージをつけることも禁止さている。

 ただ、1997年のワールドカップ・アジア最終予選、グループ最終戦のカザフスタン戦で中山雅史が見せた「パフォーマンス」はどうだろう。得点を決めた後、彼は国立競技場ゴール裏スタンドのサポーターに向かって何か叫ぶと、自陣に戻りながらメインスタンドに向かって自分のシャツの前をまくり上げて見せた。何と、彼は背番号32の青いユニホーム(「炎のユニホーム」である)の下に、もう1枚、ユニホームを着ていた。そしてその胸には、11番がついていた。

「11」といえばカズである。カズはこの前の試合、ソウルで日本が起死回生の1勝を挙げた試合で予選2枚目のイエローカードを受けて、同様に2枚目のイエローカードを受けた呂比須ワーグナーとともにこのカザフスタン戦は出場停止になっていた。レギュラーのFW2人を欠くことになった日本代表岡田武史監督は、予選と並行して行われていたJリーグで絶好調だった中山を緊急招集し、カザフスタン戦に先発させた。2年5カ月ぶりの代表戦だった。

 もちろん、中山の「パフォーマンス」は、親友であり、尊敬する先輩であるカズへのリスペクトを示すものだった。自陣に戻りながらちょろっと見せただけだったためか、「おとがめ」はなかった。

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