1996年に母国で行われた「アトランタオリンピック」で金メダルを獲得した時、リンゼイ・ダベンポート(アメリカ)はまだ20…

1996年に母国で行われた「アトランタオリンピック」で金メダルを獲得した時、リンゼイ・ダベンポート(アメリカ)はまだ20歳だった。後に世界ランキング1位となるダベンポートはこの勝利によって新たな高みへと上り、最後に出場した2008年の北京大会まで、オリンピックは4年に1度の特別な瞬間であり続けた。「東京オリンピック」開催に向けて、ITF(国際テニス連盟)公式オンラインメディアがダベンポートのコメントを伝えている。【関連記事】自身は金メダルを逃すも、教え子が栄冠を掴む【関連記事】ゴールデンスラム達成のレジェンドが語るオリンピック「決して忘れることはない」

「表彰台の上では、泣かないように自分に言い聞かせていたのを覚えているわ。おかしな話なんだけど、私の気持ちを表しているわね。ひたすらそれを自分に言って聞かせていたの。なぜって、あそこに上がると圧倒されてしまうから。楽しいばかりで幸せ一色と思うかもしれないけれど、本人の性格によって、もっと感情的にもなりえるのよ。私の場合は、少し感情が高まりだしていたけど、ほとんどは衝撃だった。

それが自分にとって初めての大きな賞や業績だと、難しいものなの。私はとにかく、私が見た写真ではもれなく“ああ大変、これって現実なの?”って感じの顔をしていると思うわ。そういう感情を乗り越えることが出来なかった。

準決勝では、親友のメアリー ジョー・フェルナンデス(アメリカ)と対戦しなければいけなかった。感情をあらわにしすぎるのは辛かったから、厳しい試合だったわ。当然だけどコーチたちはみんな中立的だった。私たちは一緒に滞在していたの。

あれはまるで違う経験だったわ。あの時は、ただのテニスクラブとは違う別のクラブの一員であるように感じたし、今もそんな気がする。つまり、自分はアメリカのオリンピック代表だというだけじゃなく、金メダリストでもある。これはいつだって素晴らしい響きよね。現役の時はそのことが、そしてそう紹介されることがとにかく嬉しかった。スポーツが好きな人ならみんなオリンピックが好きだと思うから、このことには常に特別な感覚があった。私にとっては、メダルを取ることはおろか、代表になれたのだけでも信じられないことだったの。まして金メダルを取るなんて、ただただ最高だったわ。

テニスと縁のない人に関して言えば、オリンピックでの優勝は、新しいファン層と出会ったり、それまでと違った反応を引き出したりするきっかけになると思う。テニスをよく知らない人でも、「へえ、あなたはオリンピックにも出たんだ」ってなるからね。

私の子供たちもそうやって言うのがすごく好きよ。子供たちの学校では、1年生の時にオリンピックについて一通りのことを学ぶの。毎年、1年生のオリンピックの授業の時には、金メダルを持って行くのよ。1年生たちはよくわからないみたいだけど、私の子供たちはそれをかっこいいと思ってくれているわ。

オリンピックでの金メダル獲得は、確実に私の人生を変えたわ。あの後、大会やグランドスラムに出る時は毎回、「そうよ、もちろん。私ならできるわ」って思えたから。それでも、自分を完全に納得させるまでには少し時間がかかったけどね。あれは素晴らしい第一歩だった。その後の私は間違いなく、誰にも注目されずにプレーすることはなくなったわ。

おかげで扉が開かれたのも間違いない。おそらく、あまりにも多くの扉が開かれて、20歳、21歳、22歳の頃の私はそれに気づいてもいなかったかもしれない。今でも、あのおかげで限られた人だけのクラブの一員になったように感じるわ。これだけ年月が経って、物事をもっとはっきりと見ることができるようになったんじゃないかしら。

「北京オリンピック」の開会式の時は、アメリカのオリンピック委員が私のところに来て、行進した後にその場を離れたければ、スタジアムの3つ目のコーナーで通路に入るように言われたの。それで、(ダブルスのテニスレジェンド、マイクとボブ・)ブライアン兄弟、ジェームズ・ブレイク(アメリカ)と私は行進することにした。でも3つ目のコーナーを曲がっても、そこにはほとんど誰もいなかった。「どうする?行く?行かない?」って感じになったけど、結局競技場に残ってしまった。そうしたらブライアン兄弟がうろたえ始めたの、そこからまた6時間かかるって知っていたからね。中国のチームが通り過ぎたところで、私たちはすぐに走ってトラックを横断して、スタジアムの外に出たわ。

今度は北京の真ん中に出たわけ。お金も何も持ってない、何も持って行かせてもらえなかったから。さてどうする?結局、封鎖区域の外を1マイル(約1.6km)歩いて、それからタクシーに乗ったけど、お金を持ってなかったから1人が部屋に走ったわ。そうして自分たちのベッドに戻って、聖火が灯されるのを見ることができたの。

出場した全てのオリンピックの開会式が、私の人生全体の3大ハイライトのうちに入る。もちろん、子供やそういったことは別としてね。でもあの瞬間を忘れることは決してないわ」

(テニスデイリー編集部)

※写真は2016年「全米オープン」チャンピオンズダブルスで優勝したメアリー ジョー・フェルナンデス(左)とダベンポート

(Photo by Jaime Lawson/Getty Images)