王者の源流~大阪桐蔭「衝撃の甲子園デビュー」の軌跡第7回  大阪桐蔭のシート打撃は、1991年当時から受け継がれている伝…

王者の源流~大阪桐蔭「衝撃の甲子園デビュー」の軌跡
第7回 

 大阪桐蔭のシート打撃は、1991年当時から受け継がれている伝統的な練習メニューである。2点ビハインドの9回二死ランナーなし、カウント3ボール2ストライク。絶体絶命のピンチからどのようにして形勢を変えていくのか? シチュエーションを細かく設定することで、練習とはいえ緊張感が漂う。

「練習のための練習では意味がない」

 これは監督の長澤和雄が掲げる金科玉条のようなものであった。

「フリーバッティングも練習に取り入れていましたけど、それだけだとどうしても『失敗したけどええわ』って気が抜ける瞬間がある。打つほうも、守るほうも、走るほうもプレッシャーがかかる状況で、どうやってランナーを進めて、ホームに還すのか。練習から勉強させることが大事なんです」

 その成果が結実したのが、1991年夏の甲子園3回戦だった。



1991年夏の甲子園の秋田戦でサイクル安打を達成した大阪桐蔭の澤村通

 初戦(2回戦)で樹徳(群馬)に快勝した大阪桐蔭は、次の対戦相手が秋田に決まると、選手の誰もが"勝利"を確信した。

 今でこそ地域格差がなくなってきた高校野球界だが、当時の大阪代表にとって東北勢のチームは負けるわけにはいかない格下のような存在だった。

 初回に先発した背尾伊洋が本塁打を含む3失点と出鼻をくじかれても、チームに動揺はなかった。

「まだ初回。3点なんてすぐに返せるやろ」

 相手が秋田であるがゆえの不遜も多少なりとも潜んでいたとはいえ、大阪桐蔭には「いつでも点が取れる」という自信があった。

 3番の井上大と4番の萩原誠が大きな得点源ではあったが、1番から4番までをひと区切りとし、5番から8番までを「裏のクリーンアップ」と位置づけていた。井上と萩原、そして9番の投手は固定であるが、長澤は選手の状態や相手チームによって打順に微調整を施していた。

「1番からはもちろんだし、何番からでも『選手たちは点を取ってくれる』と信頼していました。あの夏は、澤村をよう動かしました。大阪大会ではあまりに調子が悪くて、甲子園でも初戦は8番でしたからね」

 澤村通からすれば、8番は当然のこと、6番ですら「嫌だった」と不満はあったが、結果的にこの打順が運命を分けることになる。

 大阪大会で23打数5安打、打率.217。数字こそ低かったが、5安打のうち3本は準決勝以降に放ったものである。センバツ時から悩まされてきた消音バットに対応しつつあったことは、2安打した樹徳戦で証明している。

「甲子園に入って調子が上がっているのはわかっていたので、『打てる』としか思わなかった。初戦から『甲子園で暴れられる』って」

 事実、反撃の狼煙をあげたのはこの日6番に入った澤村だった。0対3の7回一死から左中間を破る二塁打でチャンスをつくると、7番の白石幸二がレフト前に運んで一、三塁。続く足立昌亮がスクイズを決めて1点を返した。

 だからといって、この1点で大阪桐蔭打線が息を吹き返したわけではなかった。「裏のクリーンアップ」は機能したが、肝心の上位打線が沈黙していたからだ。秋田のエース、サイドスローの菅原朗仁にスライダーとシュートを内角、外角にうまく散らされ、決定機をつくれぬまま試合は9回に突入した。

「アカン! やってもうたぁ......」

 この回先頭で打席に立った4番の萩原は、菅原の初球のスライダーをとらえきれず、ライトへ打ち上げてしまう。ベンチの空気が沈むなか、続く光武敬史もライトフライに打ち取られツーアウト。誰もが負けを覚悟するなか、澤村の脳裏に「敗北」の二文字は浮かんでいなかった。

 身長170センチの小柄な左打者は、もともと大阪桐蔭に入る予定がなかった。兵庫尼崎ボーイズの中心選手ではあったが、部長の森岡正晃の目には「向こうっ気は強そうだけど、打者としては井上や萩原のほうが上。内野手なら元谷(哲也)がいる」と、それほど強く印象に残っていなかった。

「澤村はあんたらのプラスになる選手やから獲っとき。絶対に何かやってくれる男やから」

 兵庫尼崎の関係者に強く説得された森岡は、「そこまで言うなら......」と信じて獲得した。事実、澤村は1年夏からレギュラーとなり、不動のリードオフマンとして大阪桐蔭初の甲子園となるセンバツ出場に貢献した。

 秋田戦の9回二死の場面で打席に入った澤村はこんな思いを抱いていた。

「最後のバッターだけにはならん。さすがに春夏連続はカッコ悪すぎるで!」

 センバツ準々決勝の松商学園戦で、澤村は最後のバッターとなっていた。そこから野球人生で初めてといった大スランプを経験したからこそ、ますます闘志に火がついた。

 フルカウントからの6球目、外角低めのシュートをとらえた打球はセンター横を抜ける三塁打となった。"絶体絶命"から首の皮一枚つなげた澤村が言う。

「本当の鳥肌もんは自分の三塁打じゃないです。そのあとのヤツらです」

 7番の白石はネクストバッターズサークルで「引退かぁ......車の免許、いつ取りに行こうかな」とぼんやり考えていたという。それが澤村の一打にとって我に返った。

「絶対に最後のバッターになりたくない!」

 カウント1−1からの3球目。「センターに打ち返そう」とだけ心がけていた白石が、外角のストレートをライト前に弾き返し1点差。ここで大阪桐蔭ベンチは、一塁ランナーの白石に代え、元谷の弟である2年生の信也を代走に送った。長澤に迷いはなかった。

「白石より足は速かったし、走塁技術も高かった。うちはあとがないわけですから、切れるカードは切ろうと」

 二死一塁、8番の足立も白石同様「自分には回ってこないだろう」と思っていた矢先での打席だった。足立は7回のスクイズのように小技もできるが、通算本塁打は「15本くらい」と長打もある選手だった。得意なコースは内角。ボールに逆らわず引っ張る打撃が持ち味だと自認していた。

 初球、その内角にストレートが来た。しかし、体はいつもと逆の方向に反応していた。

「ほんまは三遊間にガツーンって引っ張るんですけどね。あの時は右足を引いて、逆方向へおっつけたんです。いま考えてもあれは不思議でしたね。いつもはあんなことしないのに。なんか降りてきたのですかね?(笑)」

 足立の打球は一塁手の前でイレギュラーし、ライト前に転がった。代走した元谷信也は迷わず三塁に進み、二死ながら一、三塁とチャンスを広げた。

 三塁側アルプススタンドでは、大阪桐蔭応援団がチャンステーマのテンポを上げていく。気温35度に迫る猛暑のなか、応援団長の今宗憲は「絶対に逆転する!」と水分も摂らず、声を張り上げていた。

 この好機に、長澤は7回からマウンドに上がっていた和田友貴彦をそのまま打席に送った。「代打じゃないのか?」とベンチで訝しがる選手がいたし、なにより和田自身「オレ、打つんだ」と思ったという。

 ブルペンでは3番手の野崎厚が控えており、ピッチャーを使い果たしたわけではない。「切れるカードは切る」と言っていた指揮官だが、和田にすべてを託した。

「あの時は流れでそのまま和田をいかせてしまいまして......。負けていたら監督の責任でしたね」

 主将の玉山雅一が分析するに、長澤は「勝負勘のさえる監督」であり、「選手とノリノリになれる監督」でもあるという。おそらく指揮官としては、この流れを止めたくなかったのだろう。

 和田は2ボールからの3球目、ストレートに詰まりながらもセンターにしぶとく転がし、期待に応えた。白石と足立が逆方向に打ったことで、秋田のセカンドは一塁寄りに守備位置を変えていた。本来ならセカンドゴロになっていた可能性のある打球が、安打という結果を生んだ。

 9回二死ランナーなしから怒涛の4連打で同点。積み重ねてきたシート打撃の成果が、この大舞台で発揮されたわけだが、それは攻撃だけではなかった。

 延長10回裏、大阪桐蔭は二死二塁とサヨナラのピンチを迎えた。ここでセンターを守る玉山はレフト寄りに前進守備を敷いた。迎える左打者の佐藤幸彦はこの試合で2安打しているが、いずれも逆方向。「ヒットでも引っ張りはないし、弱い打球の可能性がある」と判断してのことだった。そう語る玉山の読みどおり、打球はセンター前に落ちた。セカンドランナーは迷わず三塁ベースを蹴った。

「あれは3年間で一番の送球やったんですよ。いつもなら絶対に暴投になるんですけどね」

 そう語る玉山の送球は、ホームベース上で待ち構えるキャッチャーの田中公隆のミットにワンバウンドで収まった。セカンドベース付近で主将の一世一代のバックホームを目の当たりにした澤村は「ミラクルや!」と唸った。

 直後の11回表、テンションが最高潮に達していた澤村が打席へと向かう。

「絶対に打つからな!」

 ベンチで盛り上がる選手にそう宣言し、澤村は「よし!」と気合を入れた。

 フルカウントからの8球目、球種はストレートなのかシュートなのか判然としないが、内角の球を打ったことだけは覚えている。この日、4本目の安打はライトスタンドへと飛び込む決勝のホームランとなり、同時に夏の大会史上3人目のサイクル安打達成となった。

「打った瞬間『いった!』と思いましたね。なんか甲子園でホームランを打った人って、ガッツポーズしているイメージがあって、自分もそれっぽいことをやったんですけど、ちょっとやりすぎましたね(笑)」(澤村)

 絶対に何かやってくれる男──小さな大打者は、甲子園の大舞台で記録にも記憶にも残る活躍でチームを救った。それでも澤村は、自身のことよりチームの勝利をなによりも喜んだ。

「(9回に)自分のあとにつないでくれたヤツら。タマ(玉山)のバックホーム。そういうのがなかったら、サイクルは達成できなかった。みんなに感謝しかなかったです」

 球史に残る激闘を制した大阪桐蔭は、センバツに続きベスト8進出を決めた。しかし、まだ「全国制覇」を軽々しく口にする者はいなかった。準々決勝では「東の横綱」が待ち構えていた。

(つづく/文中敬称略)