もし東京オリンピックで、日本代表が6試合を勝ち抜いて金メダルを獲得するとしたら、それを見届けるのは誰だろう。無観客開催で…
■オリンピックの取材パスとは
オリンピックはフリーランスのジャーナリストにとって鬼門だ。
1996年にアトランタ・オリンピックの出場権を獲得したとき、私は即座に取材に行くことを決断した。だがマレーシアのクアラルンプールで行われた予選を突破し、実に28年ぶりのオリンピック出場が決まったのは3月末。オリンピックの取材パスの申請期限はとっくに過ぎている。いやそもそも、私のようなフリーランスのジャーナリストには、申請の可能性さえないのだ……。
日本では、オリンピックの取材パスは新聞社や通信社、放送局で構成された「運動記者クラブ」がほぼ独占し、せいぜい雑誌協会に少数の枠が回されるだけ。その他のメディア、ましてフリーランスになど、1枚たりとも回らないシステムになっている。運動記者クラブの人に聞くと、日本に割り当てられた取材枠そのものが、加盟社からの総要望数より大幅に少ないのだという。
幸いなことに、ワールドカップはまったく違う。日本サッカー協会(JFA)は、主催者の国際サッカー連盟(FIFA)から受けた割り当てのほぼ半数を運動記者クラブに回すが、残り半分はその他の出版社やサッカー専門雑誌にも配分する。そして私のようなフリーランスにも、かなりの数を確保してくれる。FIFAと激しい交渉をして世界のサッカー大国に匹敵する割り当て数を確保し、フリーランスにまで回してくれるJFAの広報に、私は足を向けて眠ることはできないのである。
■IOCに言ってはみたが
さて、オリンピックのアトランタ大会(といっても、日本男子の1次リーグ3試合はすべてフロリダ州(マイアミとオーランド)で行われたから、ジョージア州アトランタなどには一歩も足を踏み入れず、私はフロリダに向かった。そのかなり前には、国際オリンピック委員会(IOC)とFIFAの広報担当に対し、取材パスは求めないので、試合後のメディアセンター使用だけ許可してほしいという要望を出してあった。
新聞に記事を書く約束になっていたので、試合後すぐに原稿を書き、送らなければならなかった。当時はWi-Fiも普及していなかったし、モバイルで通信できる機器もなかった。記事はノート型のワープロ機で書いていた。それを新聞社に送るのは、ワープロに電話線をつなぎ、パソコン通信で送るという方法だった。スタジアムのメディアセンターなら簡単にできる。しかしそこにはいれなければ、ホテルに戻って書き、送るしかない。
FIFAからは「申し訳ないが、オリンピックには、試合日だけのメディアセンターのパスはない。また、取材パスを含めたオリンピックのセキュリティー関係はすべてIOCがやっており、FIFAは手を出すことができない」との返事がきた。IOCからは何の返答もなかった。試合前日にオレンジボウル隣接のメディアセンターまで行ってIOCの広報担当と交渉したが、にべもなく断られた。
1996年7月21日、「マイアミの奇跡」の日、タクシーでダウンタウンのホテルからオレンジボウル・スタジアムに向かった。人のよさそうなドライバーだったので、車を降ろされたところで、「20時半にここで待っていてくれ。そしてまたホテルまで連れていってほしい」と頼んだ。料金は、きたときの1.5倍支払うことを約束した。
■予約したタクシーが来ない!
アメリカの都市は広大である。地図ではオレンジボウルは都心にあるように見えるが、実際には、私のホテルから20キロ以上あった。公共交通機関はなかった。新聞の夕刊の締め切りに間に合わせるには、遅くとも試合終了後1時間程度で送稿する必要がある。選択肢はなかった。試合が終わると同時に飛び出し、タクシーに乗れれば30分後にはホテルに戻れるだろう。締め切りまでには30分の時間がある。
ところが……。試合後、約束の場所に走っていったのだが、タクシーはいない。それどころか、スタジアムから続々と出てきた人で、車道まで人がはみ出している。優勝候補のブラジルの登場、しかもロナウド、リバウドといったスター選手がどんなプレーを見せてくれるのかという期待で、この試合には、4万6724人もの観客が集まっていたのだ。約束したタクシーが来ないなら、別のタクシーを探すしかない。私はタクシーがきそうな大通りまで出ようと歩いた。だが大通りは車であふれ、タクシーは通りかかってもすべて客が乗っている。これでは、とてもではないが、新聞社と約束した時間には間に合わない……。
そのときだった。赤信号で目の前に停車した1台のタクシーを見ると、日本人と思しき2人の若者が乗っているではないか。私は窓ガラスをどんどんと叩いた。そしてダウンタウンのホテルに急いで帰らなければならないので乗せていってほしいと頼んだ。聞くと、彼らのホテルはダウンタウンの東、マイアミビーチにあるという。私のホテルに寄ると少し遠回りになるが、いいでしょうと言ってくれた。
私はピンチを脱し、新聞社との約束を守ることができた。もちろん、私のホテルまでのタクシー代は、私が払った。商社マンのような若い2人は、そこからマイアミビーチまでの料金を払えばいいのだから、少しは安くなっただろう。