日本代表が強豪国と戦う時(8)~オランダ(1)から読む>>「考え方は合理的だが、性格はこだわりが強く頑固」 欧州における…
日本代表が強豪国と戦う時(8)~オランダ
(1)から読む>>
「考え方は合理的だが、性格はこだわりが強く頑固」
欧州におけるオランダサッカー界の人物への評価である。選手も監督も共通して、この表裏一体の特徴で語られる。つまり、見方によってはどちらにも映るのだろう。
例えば名将ルイス・ファン・ハールは、戦術家として知られている。その戦い方は極めて理にかなっていた。しかし、不遜なほどの自信を隠さず、周囲との衝突が絶えなかった。バルセロナ監督時代は、リーガ・エスパニョーラを連覇しながら、まるで愛されていなかった。アヤックス監督時代に手塩にかけた選手を多く引き抜いた当時のバルサは合理的だったが、「複製品で勝ち誇っている」と嫌悪されたのだ。
ともあれ、優れたものを見抜き、効率を重んじ、偏見なく取り入れられる自由な気風がオランダなのだろう。
だからこそ日本人サッカー選手は受け入れられ、力を引き出された。本田圭佑、吉田麻也が飛躍を遂げ、現在も堂安律(PSV)、板倉滉 (フローニンゲン)、菅原由勢 (AZ)、中山雄太 (ズヴォレ)が在籍。オランダは今も昔も、日本人の海外進出の大事な港だ。
オランダサッカーは、日本に何を指南するのか?

南アフリカW杯、1-0で敗れたオランダ戦に出場した日本代表の本田圭佑
2010年6月、ダーバン。南アフリカワールドカップ第2戦で、日本は過去に勝ち星のないオランダに挑んでいる。この大会でもファイナリストになる強豪相手だけに、苦戦は必至だった。
とはいえ、日本は弱気を見せてはいない。前線からの守備で極力、相手に自由を与えず、何より中澤佑二、田中マルクス闘莉王のセンターバックとアンカーの阿部勇樹が真ん中を固め、ダメージを最小限にしていていた。それ以外のポジションの選手も激しく応戦した。
ただ、じりじりと押し込まれていく。
オランダには、ブラジルのような即興性はない。しかしコレクティブな動きで無駄がなく、精度が高く、そのための技術や体力が練磨されている。それが組織の機能美のように映り、凄みになるのだ。
後半始まってすぐ、日本は自陣でのセットプレーを多く与えてしまう。そのたび、失点の確率は上がっていった。劣勢は明らかだ。
そして53分、ロビン・ファン・ペルシーのポストプレーの後、ウェズレイ・スナイデルに豪快なミドルシュートを叩き込まれた。
「失点は仕方がない。相当に効率的な動きをせんと、得点は無理やったと思う。松井(大輔)さんと(本田)圭佑と3人で動きを微調整し、効果的な攻撃を考えていたけど......」
オランダ戦に3トップの一角として先発した大久保嘉人は、厳しい戦いをこう振り返っていた。
「オランダ相手に、あの展開(劣勢)は仕方ない。(カメルーン、デンマークには勝てたが)日本とオランダでは、当時はまだまだ差があった。前には広いスペースがあったから、カウンターのチャンスはあったと思うし、俺はFWとして一泡吹かせてやりたかったけどね。まあ、客観的に見れば、オランダの楽勝だったでしょ?」
オランダはできるだけ早く勝負を決め、「次の試合に向けて主力を休ませたい」という思惑が透けて見えた。事実、1-0とリードした後は、ラファエル・ファン・デル・ファールト、スナイデル、ファン・ペルシーといった中心選手を次々と下げている。その点でも、彼らは効率的で合理的だった。
<解答に辿り着くところに、まどろっこしさがない>
その様式に共感できる日本人選手は、オランダで才能が触発するのかもしれない。嫌われようと好かれようと、率先して行動できた本田は、その典型と言えるかもしれない。
2005年にオランダで開催されたワールドユースで、本田は初戦のオランダ戦に出場したが、低調なプレーに終わった。結果、それ以降は先発を外されたにもかかわらず、単純に悔しがるのではなく、日本のサッカーに冷徹な視線を向けていた。「中盤でボールを持てないと、勝てない」と、世界で勝つイメージを持ち、実現の努力を始めていた。
そして2006年時のインタビューで、日本サッカーのパイオニアになった中田英寿について訊いた時、本田の答えは啓示的だった。
◆日本代表が演じた激しい撃ち合い。イタリアサッカーへのコンプレックスはなくなった
「エゴイストで、日本では珍しい選手だった。プロは自分がどれだけやるかで評価される。だからエゴは出すべきで、失敗したら自分に返ってくるけど、そんなことを恐れていたら始まらない。中田という選手はそうやって、あそこまで辿り着けた。これから先、それを見習って、追いつき追い越せでいかなければならない。彼のような選手が何人も出てきて初めて、世界と渡り合える」
彼はその精神で挫折を糧にしていった。
2008年の北京五輪でも、本田はオランダに打ちのめされている。その敗北が反骨を強め、同時に論理的戦いを考察させた。彼が何かとオランダと結びついているのは天運だったのか。
「結局、攻撃の選手はゴールをしないと世界では認められない。わかりやすい結果が必要だ」
本田は2008年の年始に移籍したオランダリーグ、VVVフェンロでのデビューシーズンはわずか2得点で、チームも2部に降格した時、そう割り切って殻を破っている。2部でゴールを決めまくってリーグのMVPに輝き、1部昇格のエースになった。「無理だ、できない」と弱音を吐かず、それを可能にするために合理性を突き詰めた本田は、誰よりもオランダの水に合っていた。
(つづく)