再起戦で8回TKO勝ち、引退を撤回した伊藤雅雪の葛藤とは ボクシングのライト級(61.2キロ以下)ノンタイトル10回戦が3日、東京・後楽園ホールで行われ、前WBO世界スーパーフェザー級王者・伊藤雅雪(横浜光)が元日本スーパーライト級王者・細…

再起戦で8回TKO勝ち、引退を撤回した伊藤雅雪の葛藤とは

 ボクシングのライト級(61.2キロ以下)ノンタイトル10回戦が3日、東京・後楽園ホールで行われ、前WBO世界スーパーフェザー級王者・伊藤雅雪(横浜光)が元日本スーパーライト級王者・細川バレンタイン(角海老宝石)に8回1分17秒TKO勝ちした。前戦の敗北後に引退か悩んだ末、「背水の陣」で臨んだ再起戦。この日までの6か月、心を燃え上がらせるまでに様々な葛藤があった。戦績は30歳の伊藤が27勝(15KO)3敗1分け、40歳の細川が25勝(12KO)9敗3分け。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)

 感じたことのない安堵の想いが、雄叫びとなって表れた。勝利を決めた直後、伊藤はロープに両手をかけた。「しゃーっっ!!」。2020年はコロナ禍で簡単に試合ができず、ようやく迎えた12月のリングで三代大訓(ワタナベ)に僅差判定負け。半年ぶりの再起戦は、19年9月以来659日ぶりの勝利だった。

「素直にめちゃくちゃ安心しています。絶対に負けられない気持ちがあって安心した。去年つまんない試合をしたけど、それでもこんなに応援してくれた。とにかく勝ちたい気持ちがこんなに出るんだって思うくらい感情が出ましたね。凄く飢えていた。本当に勝ちたかったです」

 入場制限があったものの、チケットは2日で完売。774人の観衆に何度も拍手をさせる試合だった。序盤からタイミングのいい右がヒット。細川の顎を上げさせ、3回にはワンツーや右カウンターを決めた。完全にペースを掌握。「とにかく1ポイントでも勝ちたい。無難に行こうかな」。捨て身で拳を振ってくる難敵を警戒したが、5回終了以降、陣営から目を覚ますゲキが飛んだ。

「ここで倒すのと倒さないのとでは、これからが全然違うぞ。とにかく行け」

 ハッとさせられた。18年5月にWBO世界スーパーフェザー級王座を獲得。日本人37年ぶりに米国で王座戴冠の快挙を成し遂げたが、19年5月にジャメル・ヘリング(米国)に敗れて陥落。ライト級転向2戦目で三代に敗れた。ともに相手のペースにのまれ、中途半端な攻めで持ち味を出せず。世界ランクからも外れた。

「もう引退かな」。年が明けてしばらくはそう思っていたが、2か月ほど周囲と話して沸々とこみ上げる感情があった。

「あれが最後じゃかっこつかない。家族もいるし、納得がいかないからってダメージをためて将来に残るような形でズルズルやってくつもりはない。でも、怪我もないし、まだ動くし、何かが落ちたかというと自分でもよくわからない。周りにも『成長できる』と言ってもらえた。

 ボクシングが好き。まだボクシングをしたい。また練習したい。自分が頑張って、誇りを持ってやっていたボクシング人生を納得のいかないまま終わらせられない。もっと強くなりたいという気持ちが出た」

1歳7か月の長男も応援に「最近、シャドーを打つんですよ」

 辞める理由が消えた。横浜光ジムの元日本ミドル級王者・胡(えびす)朋宏トレーナーとタッグを結成。「自分がどんなボクシングをしたいか」を見つめ直した。試合前の決めごとなどを意識しすぎたのが前回の反省。「元々はビビりで技術もない。だから、足を使ってばかりになっていた」。過去の米国合宿で新たに覚えたのは前に出るスタイル。本来の「自由なボクシング」を目指した。

「足も使えるし、前にも出られるし、前に出てよくなければ下がれるし。その場その場の自分の感覚を信じてやってきた。それが自分のボクシング。持ち味で才能だと思っている。今はいろんなことができる。コンディションも今回は凄く慎重につくってきた」

 ライト級は3戦目。前戦は控室のミット打ちで息が上がった。「何か嫌だな」と抱えたモヤモヤがそのままリングに出た。計量後のリカバリーにも細心の注意を払い「パンチもキレていたし、本当に作り方が良かった」と成功。勝利への飢えが調整を慎重にさせた。

「背水の陣。命を削るような試合になる」と覚悟を決めて臨んだリング。一時は無難に行こうとしたが、陣営の言葉で目を覚ました。「死んでもいい。とにかく悔いを残したくない。もっと前に、もっと前に」。ロープに詰めて4発目、5発目を叩き込む。世界戦で米国のファンを沸かせた長所を取り戻し、足も使えた。8回に連打で倒しきった。

「やりたかったボクシングはできた。ボクシングを続けられることが凄く嬉しい。続けたいからこそ、今日は勝ちたいと思った。この1、2年で凄く変わったところ。世界挑戦した時は、あそこを死に場所にするつもりでやっていました。逆に言ったら僕の気持ちが中途半端になった時が辞める時かもしれないですね」

 世界的にタレント揃いのライト級は今、最も熱い階級とされている。1週間前には中谷正義(帝拳)が、ラスベガスで元世界3団体統一王者ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)に敗れた。中谷とスパーリング経験のある伊藤は「華やかな世界の真ん中の試合で、しかも相手はロマチェンコ。僕も米国で試合をしていた分、やっぱり悔しいし、羨ましさもある」と、さらに熱くさせられた。

「世界はもっと先かもしれないけど、やる以上は今もそこが大事です。世界を獲るためにはどこかで強い選手とやって一発逆転が必要。そういう試合をしてもらえるように今の自分の立場を理解して、一つずつ勝っていくしかない。でも、それ以上に自分が納得することの方が大きい。納得いくキャリアを積みたいです」

 この日は妻と2人の娘、1歳7か月の長男も駆け付けた。「最近、長男は僕の動画を見るとこうするんですよ」と嬉しそうにシャドーを打つ。7歳と5歳の娘はパパの仕事を理解し始めた。もう中途半端な背中は見せられない。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)