1998 年に行われた長野五輪スキージャンプ団体で、日本代表の金メダル獲得を影で支えたテストジャンパーの活躍を描いた映画、「ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~」が絶賛公開中だ。リレハンメル五輪ジャンプ団体の銀メダルを獲得したものの、4年後の…

1998 年に行われた長野五輪スキージャンプ団体で、日本代表の金メダル獲得を影で支えたテストジャンパーの活躍を描いた映画、「ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~」が絶賛公開中だ。リレハンメル五輪ジャンプ団体の銀メダルを獲得したものの、4年後の長野五輪では代表を逃し、テストジャンパーとして大会に参加することとなった西方仁也さんのエピソードを描いた今作。西方さんに当時の想いや、作品の感想をお伺いした。

「個人種目でミスをしてしまったんですよ。2本目で少し力が入り、ジャンプのタイミングが早くなってしまって…。もし、次の五輪に出られていたら、改善が出来ていたと思うのですが…」。

個人種目ではいずれも8位に入賞。「欲を抑えてチームプレーに徹した」という団体戦では銀メダルを獲得したリレハンメル五輪を、西方さんは次のように振り返る。

団体戦では、「1本目で理想的な順位につけ、2本目では思い描いたジャンプが出来た」と語る西方さんをはじめ、岡部(孝信)選手、葛西(紀明)選手も、安定したジャンプを披露した日本チームは、後続を大きくリード。金メダル獲得が目前に迫るなか、最終滑走者の原田雅彦選手が登場した。

「原田くんが普通に飛べば、金メダルが取れると思っていました。でもこの年の原田くんは、ワールドカップで好成績を収める一方で、2桁順位の試合もあって…。調子の波が激しかったんですよ。『もし、金メダルを逃したら、大変なことになるだろうな…』と、

思って見ていたら、不安は的中してしまって…」。

まさかの逆転を許した日本代表。“失速ジャンプ”を披露した原田さんは、その後にさまざまな誹謗中傷も経験したという。

「団体競技なので、誰かが足を引っ張ると言うこともある。なので、前もって「誰かが失敗しても恨まない」とみんなで約束していたんです。だから試合後も『2番でもいいじゃん。次の長野で頑張ろう』と話していたんですけど…。今でこそ、失敗について答える原田くんの姿を見ると、『慣れたもんだな』と思うんですけど、当時は、同じメンバーの僕らでさえも、声をかけるのが辛かったですね」と、苦しい状況に置かれた原田さんの状況を次のように振り返る。

リレハンメルの団体戦を終えた後、「長野五輪で雪辱を果たす」ことを誓い合ったという面々。「原田選手や葛西選手の活躍が、世界を見据えるきっかけになった」という西方さんも、好成績を残す日本選手と切磋琢磨しながら、4年後に向けて順調な調整を続けていた。

「長野までの4年間では、ルールの変更などの影響で、不調やスランプも経験しましたが、五輪を直前に控えた1997年の夏あたりは、本当に調子が良かったんですよ。『イケるかな?』と、確かな手応えを掴んでいたのですが、その年の秋に腰を痛めてしまって…。結局、代表に選ばれることはありませんでした」。

中学生時代から共に競い合った原田さんも、「西方が子供の頃から地元の期待を背負っていたことも知っていた。なので、その悔しさは想像を超えるものがあったと思います」と語る“絶望”のなかで過ごす西方さんの元に届いたのは、テストジャンパーとしての大会参加のオファーだった。

「『トレーニングの代わりにやらないか?』と声をかけていただいて…。(出場を逃した五輪に参加する複雑な気持ちはありましたが、)五輪後には国内での試合も控えていたので、参加を決めました」。

1972年の札幌大会以来、26年ぶりに日本で開催された長野五輪は、これまでにない盛り上がりを見せた。個人ラージヒルでは、原田さんも逆転で銅メダルを獲得。個人戦での勢いそのままに、団体戦での4年越しの金メダル獲得に挑む原田さんの様子を、西方さんは複雑な感情で見つめていたという。

「普段通りのジャンプができれば、日本チームが金メダルを獲得することは分かりきっていました。でも、その一方では、『(原田さんが)飛びすぎて、自分が持っている銀メダルが霞んだら嫌だな』と言う想いもありました。さまざまなことを考えながら原田くんのジャンプを見ていたら、思った以上に失速してしまって…。その時は、『余計なことを思ったかな』と思いましたね(苦笑)」。

前が見えないほどの大雪のなかで、1本目の滑走をスタートさせた原田さんは、4年前と同じように失速。日本はメダル圏外の4位に沈んだ。その後、雪が強くなるにつれて競技は一時中断。1回目の順位が最終順位となる可能性があるなか、競技再開の行方は、テストジャンパーの滑走に委ねられることとなった。

「『条件は悪かったですけど、何とかしてあげたい』と思ったのは事実ですね。ジャンプ台の表面は凸凹しているのですが、たくさんの選手が滑り続けた方が、音やスピードを掴めますし、ベストなジャンプも飛びやすい。さまざまな選手がテストジャンパーチームにはいましたが、みんなが一丸となって取り組めたかなと思います」。

再開後には岡部孝信選手、斎藤浩哉選手の活躍もあり、首位に立った日本チームの3人目のジャンパーとして原田さんが登場。リレハンメル五輪を共に戦い、この試合に出場出来なかった葛西紀明選手のグローブと西方さんのアンダーウェアを身につけて飛んだ原田さんは、2本目で137mの大ジャンプを披露し、日本の金メダル獲得を大きく手繰り寄せた。

「団体戦の前に、原田くんが『アンダーウェアを貸してくれ』と言ってきたんですよ。『何だろうな?』と思いながら差し出したんですが…。今思うと、気を遣ってくれていたんだろうなと思います」。

その後、日本の最終ジャンパーの船木和喜選手が、安定した滑走を見せ、日本は金メダルを獲得。自国で開催された五輪での快挙や、原田さんの“リベンジ”は、度々メディアでも取り上げられた。

「当初望んでいた形とは違いましたが、(地元開催の)長野五輪にも参加することができましたし、無事に金メダルを取った時には、原田くんのおかげでスッキリしたような部分もあって…。長野五輪に関しては、諦めがついたかなと思いますね。僕個人としては、憧れていた日本代表に入れて、リレハンメル五輪ではメダルも取れた。長野でも『過去も、これからも続いていくワンシーン』を作れたことを、今では凄く誇りに感じています」。

再び日本での五輪開催が間近に迫るなか、知られざるエピソードが映画化されることになった。23年越しに長野五輪の“主役”となった西方さんは、映画についての意気込みを次のように語る。

「五輪の時期になる度に、『いつか映画になる』という話が出ていたのですが、ようやく実現に至りました。これまでは長野五輪のことを話しても、なかなか分かってもらえない部分もあった。この作品を通じて、試合に出ている選手もそうでない選手も、みんなで大会を盛り上げている様子を感じて欲しいなと思います」。

『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』は、現在全国の映画館で公開されている。スクリーンで緻密に再現された23年前の感動を、再び感じられてみてはいかがでしょうか。

『ヒノマルソウル~舞台裏の英雄たち~』  ©2021映画「ヒノマルソウル」製作委員会 

出演:田中圭 土屋太鳳 山田裕貴 眞栄田郷敦 小坂菜緒(日向坂46)/濱津隆之/古田新太 他 

 

写真/「ヒノマルソウル」製作委員会