シーズンのおよそ半分を終えた今季Jリーグに、驚きのニュースが飛び込んできた。 柏レイソルの江坂任が、浦和レッズへ移籍す…
シーズンのおよそ半分を終えた今季Jリーグに、驚きのニュースが飛び込んできた。
柏レイソルの江坂任が、浦和レッズへ移籍することが決まったのである。
柏の10番を背負う江坂は、言うまでもなく、攻撃の中心的存在である。柏の攻撃のほとんどが彼を経由して進められる、と言っても大げさではない。しかも、江坂は今年3月に日本代表デビューを果たしたばかりで、今まさに旬な選手のひとりなのだ。
そんな柏きってのスター選手が浦和へ、しかもシーズン途中で移籍したのだから、驚きのニュースという他ない。Jリーグ史に残る衝撃の移籍。そう表現してもいいだろう。
最近では、各クラブの主力選手が夏の移籍で海を渡るケースは増えているが、国内での移籍となるとあまり例がない。柏のサポーターがショックなのは当然として、浦和のサポーターでさえ「本当に来るの!?」といった心境ではないだろうか。

シーズン中に柏レイソルから浦和レッズへと異例の移籍を果たした江坂任
Jリーグの歴史を振り返ると、サポーターに悲喜こもごもの衝撃を与えた移籍は、これまでにもあった。
比較的記憶に新しいところでは、2017年に川崎フロンターレからFC東京へ移籍した大久保嘉人の例がある。
大久保は、2013~2015年に前人未到の3年連続得点王を獲得。それまで海外クラブも含めて移籍を繰り返してきた大久保にとって、川崎は30歳を過ぎてようやく見つけた安住の地かと思われた。
ところが、大久保は新たな挑戦の場を求めて移籍を決断。しかも移籍先が"多摩川クラシコ"のライバルというのも、大久保らしい選択だった。
さらにさかのぼれば、2010年に浦和から名古屋グランパスへと移籍した田中マルクス闘莉王も衝撃的だった。
浦和の主軸として活躍した闘莉王は、J1やAFCチャンピオンズリーグなど数々のタイトル獲得に貢献。移籍前年の2009年もチームは無冠に終わったものの、闘莉王自身はベスト11に選ばれている。
加えて、日本代表のセンターバックとしても替えが効かない存在であり、まさに全盛期で起こった驚きの移籍だった。
数々のタイトルを手にしていたチームを突然去ったことで印象深いのは、奥大介である。
絶頂期のジュビロ磐田で華麗な中盤の一角を担いながら、磐田が史上最強とも言われた2002年に横浜F・マリノスへ移籍。誰もが驚く決断だったが、そこでもJ1連覇(2003年、2004年)を果たすのだから、"優勝請負人"と言ってもいいほどの働きだった。
クラブの象徴的存在が移籍したという意味で驚きだったのは、中村俊輔のケースだ。
中村は2010年にヨーロッパからJリーグに復帰し、2013年には自身2度目のMVPにも選ばれた。その年、惜しくもJ1制覇を逃したものの(最終節で逆転されて2位)、サポーターにとっては「俊輔と一緒にまた優勝したい」という思いは強かったはずだ。
ところが、それも果たせぬまま2017年に磐田へ移籍。すでに全盛期は過ぎていたとはいえ、横浜FMの顔とも言うべき中村の移籍は衝撃だった。
今季セレッソ大阪から名古屋へ移籍した柿谷曜一朗も、同様のケースと言えるだろう。柿谷は小学生時代からC大阪のアカデミー育ちだっただけに、クラブの象徴という意味では中村以上の存在だったかもしれない。
とはいえ、戦力という観点に立てば、柿谷がC大阪で出場機会を減らしていたのは確かである。それを考えると、同じC大阪からの移籍のなかでは、山口蛍のほうが衝撃は大きかったのではないだろうか。
C大阪のアカデミー出身である山口は、トップチームでもキャプテンを任され、日本代表としてもワールドカップに2大会連続で出場。そんなJリーグを代表するボランチが2019年、同じ関西のライバル、ヴィッセル神戸へ移籍したのは驚きだった。
また、主力級の移籍と聞いてすぐに思い浮かぶのは、一時期相次いだサンフレッチェ広島から浦和レッズへの移籍である。
広島から浦和へは、西川周作、森脇良太、石原直樹ら、毎年のように主力の移籍が続いたが、やはりインパクトという点では、その先陣を切る形となった柏木陽介の印象が強い。
柏木の移籍は2010年だが、前年のJ1成績は広島の4位に対し、浦和は6位。広島はACL参戦も控えており、必ずしもステップアップとは言えない移籍だっただけに、当時としては意外な選択だったとも言える。
しかも、柏木は広島のアカデミー出身。やはり自前で育てた選手がチームを去ることは、サポーターにとっては一層の寂しさがあるだろう。
同じくアカデミー育ちの選手で言えば、ジェフユナイテッド千葉(当時ジェフユナイテッド市原)からガンバ大阪へ移籍した山口智(2001年)、浦和へ移籍した阿部勇樹(2007年)の例が思い浮かぶ。
山口と阿部は、ともに高校在学時にJ1最年少出場記録(当時)を作っており(山口の記録を阿部が塗り替えた)、当時の市原のサポーターにとっては、"小さい頃から見てきた選手"だったはず。そんな選手を送り出すことは、たとえそれが選手のためであったとしても、相当に寂しかったに違いない。
もちろん、衝撃の移籍は日本人選手だけではない。
現在でも、ブレイクした外国人選手が他のクラブに引き抜かれていくケースは数多いが、その先駆的存在となったのは、ビスマルクである。
草創期のJリーグで圧倒的な強さを見せつけたヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)で活躍後、1997年に鹿島アントラーズへ移籍。2000年には史上初の三冠を達成するなど、常勝軍団の礎を築く功労者となっている。
プロスポーツの世界では、移籍は当たり前のこととはいえ、選手、スタッフはもちろん、サポーターにとっても気持ちがざわつく複雑なものだろう。にわかに受け入れがたい。そんな気持ちになることもあるかもしれない。
だが、見る人の感情を揺さぶるという意味においては、移籍もまた、Jリーグのエンターテインメント性を高める重要な要素のひとつなのだろう。