ジャン・ジジェン(中国)は、人口14億人の母国の重みを背負っている。しかし、24歳のこの選手と話すと、そんなことは微塵も…

ジャン・ジジェン(中国)は、人口14億人の母国の重みを背負っている。しかし、24歳のこの選手と話すと、そんなことは微塵も感じられない。

ジャンはこのほど、オープン化以降で「ウィンブルドン」(イギリス・ロンドン/6月28日~7月11日/グラスコート)本戦出場権を獲得した初めての中国人男子選手となった。1959年にChu Chen Hau(中国)とMei Fu Chi(中国)という2選手が出場して以来、実に62年ぶりだ。しかし現在世界ランキング175位のジャンは、この大いなる瞬間が近づく中でも落ち着き払っていた。ATP公式オンラインメディアが伝えた。【ドロー表】錦織、フェデラーら出場!ウィンブルドン2021男子シングルス【ドロー表】バーティ、シフィオンテクら出場!ウィンブルドン2021女子シングルス

「これは僕の最後の大会ではないし、大会はまだ終わっていない。まだ始まりに過ぎない。始まったばかりなんだ。落ち着いて、気楽でいないとね」とジャンは大会前に語った。彼はこの機会の重大さのせいで感情を内側に閉じ込めているのではない。いつでものんびり構えているのだ。

「僕の名前はあまりにも発音しづらいから、皆には好きなように呼んでくれれば返事をすると伝えるんだ。そうしたら“ZZZ”になった、僕の名前にはZが3つ入っているから。中国以外の人にはその方がずいぶん言いやすいよね。かっこいい響きだし、トリプルZ。それに僕は寝るのも好きだから、“ZZZ”は僕にぴったりだ」

上海出身のジャンは、父は元サッカー選手、母は元射手というスポーツ一家の出身だ。しかし、現在中国トップの男子テニス選手である彼は、両親の足跡を辿らなかった。ジャンはこう振り返る。「父は僕に選択肢をくれたんだ。勉強か、水泳か、テニスか。勉強は退屈すぎるしお金がかかりすぎる。水泳はコーチがすごく力強くて屈強で、僕はコーチがとても怖かった。テニスは楽しかった、コーチはのんびりしていたしね。それで、“テニスにしよう”って感じだった」

初めてテニスを体験した時ジャンは4歳で、当時は「テニスが何か全然わかっていなかった」と振り返る。6歳の時、彼は水泳や他のスポーツよりもテニスに集中することを選んだ。彼にはサッカーの血が流れているにもかかわらずだ。「父はサッカー選手だったけど、僕にはサッカーをして欲しくなかったんだ。サッカーだとピッチに11人の選手がいて、自分1人でチームの試合を決することはできないから、難しい。父は僕には自分で試合の行方を決められるスポーツをして欲しかったんだ。テニスなら自分で全て決められる。負けるのも勝つのも自分次第だ。全てが自分にかかっていて、他の10人の選手は関係ない」

ジャンは2015年、18歳の時に初めてツアー大会の本戦出場権を獲得し、2回戦に進出したことで名を上げた。その翌週には北京で、初めて世界ランキング100位以内の選手から白星を挙げた。

ジャンは2年前にこう語っている。「あの時は翼を得たような気持ちだったよ。何か大きなことを達成できるんじゃないかってね。でも、大きな怪我をしてしまった。走っている時に左足を骨折したんだ。あの怪我の後は苦しんだよ。フューチャーズの大会に2、3回出場した。最初の週は初戦敗退で、“オーケー、問題ない”と思った。次の週は1試合勝ってポイントを獲得した。“問題ない、また戻ってこよう”って感じだったね。でもその後は、落ちて落ちて落ちて、落ち続けた」

ジャンはトレーニングのために世界中を巡った。スペイン、アメリカ、フランス、イタリア、そしてクロアチアなど。18歳の時には、現在世界ランキング2位のダニール・メドベージェフ(ロシア)と同じ、フランスのニースにあるアカデミーで訓練を積んだ。2人は一緒に練習し、友達になった。この頃の練習ではメドベージェフが「65%から70%」勝っていたという。2016年に「ATP250 ニース」の予選で対戦した時は、最終セットのタイブレークにまでもつれた挙句にメドベージェフが勝利し、本戦出場権を手に入れた。「フルセットで負けて、すごく悲しかった。その後、彼はそのまま“ビューン”って感じで駆け上がっていった」とジャン。

2017年5月には世界894位まで落ち込んだが、時おり輝きを見せることもあった。2019年の終わり頃に地元中国で行われたチャレンジャー大会で、初タイトルと2つ目のタイトルを獲得した。この2度の優勝の合間には、珠海と北京でのツアー大会の本戦で勝ち星を上げている。

この年の珠海では、ジャンは友人のウー・ディ(中国)と組み、2015年の深センでの大会以降で初めてツアー大会で2回戦に進んだ中国人ペアとなった。「ウィンブルドン」でのジャンの成功にも、ウーは驚いていない。「彼はこれから良くなる一方だと思うよ。数年前にすでに質の高いテニスを見せていたからね。彼には才能があって、テニスをよく理解している。たいていの人は、中国本土の選手は芝は得意ではないと思っていた。ジジェンはここ数年の間にどれほど成長したかを見せたし、この先、人々がもっと彼を目にする機会ができると思うよ」

昨年2月に、ジャンは自己最高となる世界ランキング136位に浮上した。パンデミックの影響で5ヶ月以上も試合が中断される前のことだ。そして今ロンドンで、グランドスラム本戦出場を賭けた4度目の挑戦、かつ初の「ウィンブルドン」への挑戦で飛躍を遂げた。オープン化以降に「全豪オープン」以外の四大大会で初めて本戦出場を果たした中国人男子選手となったのだ。

ジャンはリー・ナ(中国)が2011年「全仏オープン」や2014年「全豪オープン」で優勝した試合を見てはいなかったものの、彼女を含む中国人女子選手の成功はよく心得ている。ジャンにとって、こうした高みに一夜にして上り詰めようとはしないことが重要だ。

「中国の女子選手は、何年も何年も、ずっとずっと前から常にいい結果を残してきた。シングルスでもダブルスでもグランドスラムで優勝を果たしている。男子はと言えば、世界ランキング100位にも遠く及ばない。かなり差があるから、たぶん一歩一歩積み重ねないといけないんだろうな。これは1日や1週間でどうにかできることではないからね」

ロジャー・フェデラー(スイス)を「完璧な選手」と呼んで憧れるジャンは、四大大会で20度の優勝経験のあるフェデラーその人と共にグランドスラム本戦に出場。予選勝者である彼には、友人から多くのメッセージが届いたという。「何も特別なことではないよ。普通の試合にとどめておくと言うべきかな。いつもとは違った試合で、少しだけ特別なものだ。でも普通の試合と同じように準備するよ」と試合前に語っていたジャン。同じく予選勝者の世界156位アントワン・ホアン(フランス)との6-4、6-7(5)、7-6(5)、3-6、2-6という3時間40分に及ぶ激闘の末に初戦敗退となってしまったが、これからジャンの作っていく中国男子テニスの歴史に注目しよう。

(テニスデイリー編集部)

※写真は「ノッティンガム・チャレンジャー」でのジャン

(Photo by George Wood/Getty Images)