ピッチの中もベンチも観客席も、みんな表情がこれまでと違って見える。掲示板に目をやれば、時計の針はすでに「45分」で止ま…

ピッチの中もベンチも観客席も、みんな表情がこれまでと違って見える。掲示板に目をやれば、時計の針はすでに「45分」で止まっている。アディショナルタイムに突入だ。特別な時間の始まりだ。数々の事件が起きてきた——。「ドーハの悲劇」の時計の謎、ワールドカップ予選で謀議をもちかけられた国際レフェリーの告白、Jリーグでの「18分50秒」のアディショナルタイム——。さあ、ドラマの幕開けだ。

■「18分50秒」のアディショナルタイム

 さて、Jリーグで最も残念な「アディショナルタイム事件」は、2018年11月24日、J1の第33節に日本平で行われた清水エスパルスヴィッセル神戸だろう。さまざまなアクシデントや混乱に加え、主審の勘違いで18分50秒ものアディショナルタイムになってしまった事件である。

 この試合を入れてJ1は残り2節。清水にとってはホームでの最終戦であり、神戸にとってはルーカス・ポドルスキーやアンドレス・イニエスタといった世界的なスターを補強しながらこの時点でまだ続いている残留争いから抜け出さなければならない試合だった。勝ち点41の神戸は12位だったが、「降格圏」の16位名古屋グランパス(勝ち点37)との差は4。なんとしてもこの試合に勝って残留を決めてから最終節、ホームでの仙台戦に臨みたいところだった。主審は柿沼亨氏である。

 試合は激しいものとなった。前半26分に神戸が藤田直之のゴールで先制したが、清水は前半のうちに河井陽介のゴールで追いついく。しかし神戸は後半に古橋亨梧三田啓貴のゴールで突き放す。そして後半38分に神戸の藤田が2枚目のイエローカードで退場になった後、清水がドウグラスのヘディングシュートで1点を返し、時計は後半45分を経過する。第4審判の数原武志氏が掲げたボードには、アディショナルタイム4分が示されていた。

 10人の神戸を相手に猛攻をかける清水。自然と、後方からのロングボールが多くなる。そうした攻撃のひとつがはね返されたボールが、小さくペナルティーエリアの右外に飛んだ。飛び込んでヘディングでゴール前に戻そうとする河井。だがその直後、神戸DF橋本和と空中で頭を激しくぶつけ合い、倒れる。プレーは流されたが、中盤に戻ったところで柿沼主審が笛を吹いてプレーを止め、河井のところに戻る。すぐにドクターが呼ばれ、診察が行われる。

 柿沼主審が笛を吹いてプレーを止めたのがアディショナルタイムにはいって3分36秒。残る試合時間は1分あるかないかのはずだった。だが4分20秒後に試合が再開されたとき、柿沼主審は大きな思い違いをしていた。当初示した4分間に4分20秒を加えなければならないと思ってしまったようなのだ。

■試合終了のホイッスルは「後半63分50秒」

 時計のうえでは後半53分01秒に試合再開。だが1分もたたないうちに今度はポドルスキーが前線に出ていた清水のDF立田悠悟に体当たりをくらわし、立田が倒れる。ファウルにはとらなかったが、倒れたままの立田を見て柿沼主審は54分05秒に笛を吹いて試合を止める。すでに3人の交代を送り出している清水。立田は突っ伏したまま、もん絶していたが、交代はできない。そして立田が担架で運び出され、試合再開の笛が吹かれたのは、57分00秒のことだった。

 この時点で、1プレーか2プレーで試合は終了のはずだった。ところが10プレーしても20プレーしても試合は終わらない。そして58分過ぎに清水が左CKを得て石毛秀樹がキック、上がってきていた清水GK六反勇治がヘディングシュートを決めたのは、58分30秒のことだった。

「なぜ終わらないのか。なぜ試合が続いているのか……」。神戸の何人かの選手の集中力は完全に切れていた。ゴール後のキックオフを、ウェリントンは直接シュート。ボールはゴールを越えていく。そのゴールキックから、清水が再びロングボールで攻撃をかける。59分41秒、スローインを受けようとした小柄な石毛に、20センチ近く大きなウェリントンがヒジ打ちしながら体当たり、石毛が倒れる。ウェリントンにはこれでイエローカードが出るが、目の前の清水ベンチから彼に激しい非難の言葉が飛ぶと、ウェリントンはその清水ベンチのスタッフか交代選手にくってかかり、すぐに両チームの選手たちが入り乱れての混乱になる。

 この混乱の後、ウェリントンには2枚目のイエローカードが出され、退場となる。試合が再開されるのは、時計で後半63分44秒。清水のMF兵働昭弘がけったFKを神戸がはね返すと、柿沼主審はようやく試合終了の笛を吹いた。「後半63分50秒」のことだった。後半のアディショナルタイムは、実に18分50秒となっていた。

 後半45分が過ぎてからプレーすべき時間は4分間から4分59秒だった(「アディショナルタイム4分」の表示はそれを示している)。だが実際プレーしたのは7分27秒になってしまった。主審の勘違いだったが、終わるはずの試合がいつまでたっても終わらない状況に置かれた選手たち、無用な醜い混乱を長時間見させられたファンのことを考えると、二度とあってはならないことだった。

■特等席でも冷静さを失う時間

 その2カ月後、2019年のアジアカップ準々決勝、UAE対オーストラリアの主審を務めた佐藤隆治氏は、アディショナルタイムの扱いになんども「だいじょうぶか」と自分に言い聞かせながら確認したという。

 アディショナルタイム入りの直前に両チームの選手がヘディングの競り合いで頭を強打し、UAEのDFジュマは脳振とうで倒れた。この時点でアディショナルタイムは「4分」と示されていた。しかし2人の治療が終わって試合が再開されたのは48分29秒。3分半も遅れている。そしてまた、いちどは運び出されたジュマがドクターの制止を振り切って出場、わずか1プレー後にまたふらふらと倒れた。それをチームメートがなだめ、押し出して試合を再開するまでに2分半を要した。

 さて、試合が再開されたとき、佐藤主審は「後半何分」で試合を終わらせただろう。正解は「55分08秒」。アディショナルタイムにはいって空費された計約6分間を除き、ほぼぴったり4分間プレーさせて試合を終わらせたのである。さまざまなことが起こり、感情面でも異常な状態になるアディショナルタイム。それを冷静に運営することは、けっして簡単ではない。

 サッカーファンなら誰でも知っているように、スタンドの記者席はとてもいい場所にあり、試合の詳細を逃さず見ることができる。しかしなぜか、私はよく「アディショナルタイム」の掲示を見のがす。ひとつは、この掲示は、時計が後半45分00秒になった瞬間に、インプレー中でも掲示されることがある。プレーに集中しているので、つい見のがすのだ。

 しかし記者席はメインスタンドにあり、第4審判の掲示は大きな交代ボードを使ってメインスタンド側のタッチラインとハーフラインの交点で行われる。いわば、私たちはいちばんその掲示を見やすい特等席にいるのだ。側にいる仲間の記者に「ロスタイム(現場では、まだこの言葉が飛び交っている)何分?」などと聞くのは、相当視野が狭い証拠で、恥ずべきことであるとは思っている。しかし実際のところ、周辺にいる仲間の記者も「さあ?」ということが、実はかなり多いのである。

 いつもというわけにはいかないが、湘南対柏のように、アディショナルタイムには、ノーマルタイムにはないドラマが用意されている。それは、開演前から、いや、練習を始めた日から決まっている音楽コンサートの「アンコールナンバー」とはまったく違う、想像もつかないドラマなのだ。

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